警察庁関係公表資料

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文書件名 発行時期*1 発信者 宛先 記述の概要
1.不良分子の渡支取締方に関する件[旧内務省文書] 1937.8.31 外務次官 警視総監、各地方長官、関東州庁長官 従来は支那渡航するには旅券の必要がなかったが、日支事変後の混乱で無頼の徒の渡航を取り締まるため、こののちは旅券を有するか、所轄警察署長発給の身分証明書をもつことが必要となったことを知らせ、制定された「支那渡航取締手続」を通知している。
2.上海派遣軍内陸軍慰安所に於ける酌婦募集に関する件[同右] 1938.1.19 群馬県知事 内務大臣、陸軍大臣、各庁府県長官 募集に来た業者について「公序良俗」に反するようなことを吹聴するのは「皇軍の威信」を失墜させるとして、厳重取締を求めている。
3.北支派遣軍慰安酌婦募集に関する件[同右] 1938.1.25 山形県知事 内務大臣、陸軍大臣、各庁府県長官 募集業者について銃後の民心、とくに応召兵士の家の婦女子の精神に悪影響を及ぼし、婦女の身売防止の精神にも反するとして、募集を断念させる説得を行ったと報告している。
4.支那渡航婦女募集取締に関する件[同右] 1938.1.25 高知県知事 内務大臣、各庁府県長官 軍の威信にかかわる言辞を弄する募集業者の活動は禁止し、渡航希望者にも証明書を出さないことにすると報告している。
5.時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件[同右] 1938.2.7*2 和歌山県知事 内務省警保局長 軍部の命令で「上海皇軍慰安所」に送る酌婦募集にきたと述べる二人の大阪の貸席業者が婦女子誘拐の疑いで取調を受けた件の報告。照会して得られた長崎県外事警察課長の回答(1938年昭和13年1月20日)を付す。そこには、1937年昭和12年12月21日在上海総領事館警察署長より長崎水上警察所長あてに来た軍慰安所設置への協力依頼が付されている。この依頼状には領事館、憲兵隊、武官室の任務分担が説明され、女性に書かせる承諾書の文案も添えられていた。
6.上海派遣軍内陸軍慰安所に於ける酌婦募集に関する件[同右] 1938.2.14 茨城県知事 内務大臣、陸軍大臣、各庁府県長官ほか 県内でも募集の事実があったことを伝え、その業者が「公序良俗」に反するようなことを吹聴したのは「皇軍の威信」を失墜させるとして、厳重取締を指示したと報告している。
7.上海派遣軍内陸軍慰安所に於ける酌婦募集に関する件[同右] 1938.2.15 宮城県知事 内務大臣、各庁府県長官 群馬県知事の通報にこたえて、県内での周旋業者の活動を調査した結果を報告している。
8−1.支那渡航婦女の取扱に関する件[同右] 1938.2.18 内務省警保局長通牒案 - 8−2の案
8−2.支那渡航婦女の取扱に関する件[同右] 1938.2.23 内務省警保局長 各庁府県長官 この通牒は、募集者の言動を遺憾として、慰安婦となる者は内地ですでに「醜業婦」である者で、かつ21歳以上でなければならないこと、渡航のために本人が警察に出頭することと親権者の承認をとることを義務づけている。婦女の募集周旋にあたって、軍の諒解または軍と連絡があるかのように言う者は取り締まるべきだとしている。
9−1.時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件[同右] 1938.11.4 内務省警保局警務課長 警保局長 南支派遣軍古荘部隊参謀と陸軍省徴募課長から南支派遣軍の慰安所設置のため婦女約400名を渡航させるのに援助が求められているので、2月23日の通牒の趣旨によってこれを取り扱うことにする、大阪100名、京都50名、兵庫100名、福岡100名、山口50名と割当し、その引率者を選定し募集を行わせたいと提案している。
9−2.時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件[同右] 1938.11.8 内務省警保局長 - 400名の派遣にさいして抱主たる引率者の選定、渡航婦女の条件、引率者との契約、募集の仕方、慰安所設置の場所などについて通達している。
10.醜業婦渡支に関する経緯[同右] 日付不明 内務省内で作成された 宛先不明 昭和12年12月26日付けで内務省警務課長から兵庫県警察部張に対して、上海と神戸の業者が行くので、便宜を計ってほしいとの電報が打たれたことが述べられている。13年1月8日には神戸発臨時船丹後丸で4、50名が渡支したが、うち20名は兵庫県警察が証明書を発行した者であるとある。
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf

*1:原資料は「昭和」だが、西暦に変換した

*2:資料には昭和12年とあるが誤記