1941年に記録された日本陸軍による性暴力犯罪

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120671700、陸支普綴 昭和16年度(防衛省防衛研究所)」という史料があります。
1941年における日本軍による非行行為を軍別に記録したものですが、もちろん全ての犯罪が網羅されているわけではなく、あくまでも憲兵らによって把握できている件数に過ぎません。実数はこれより遥かに多いのは間違いありません。例えば、全体で7699人分の非行行為が集計されていますが、このうち4000人以上が内地での件数です。

内地 4073人
関東 1716人
北支 938人
中支 723人
南支 249人
全体 7699人

ちなみに1941年11月時点の総動員数は約185万人、そのうち148万人が中国・満州・朝鮮に動員されています*1。母数から考えても内地の非行件数よりも満州・中国での非行件数が少ないことはまずありえません。また心理的に言っても戦場である満州・中国の方が非行件数が増えるはずですから、内地の非行件数4000件の4倍以上の非行行為が満州・中国であったことは容易に推測できます。
満州・中国の非行行為のうち、統計に現れているのはせいぜい2割程度でしょう。

さて、その中身ですが、北支では「公務出張又ハ討伐ニ際シ鮮人酌婦及婦女ヲ連行セントス」の項目があり、討伐という作戦行動時にすら慰安婦を連れまわしていたことがわかります*2。記録されているのは現役下士官3名ですが氷山の一角でしょうね。その他「婦女ニ対シ姦淫ヲ強要シ又ハ風紀紊乱ノ行為ニ出テ或ハ収容中ノ婦人俘虜ト関係ス」と言った明らかな強姦行為が准士官1名、下士官1名、兵2名、軍属3名として記録され、「支那家屋其他ニ不法侵入シ傷害ヲ与ヘ又ハ支那婦女ニ暴行ス」に至っては、現役将校1名、准士官1名、下士官14名、兵33名、軍属22名と全部で71人が記録されています。
公式に記録に残ったものだけで、これだけあるということは、闇に葬られた犯罪行為も多かったことを示しています。

中支では行為の中身がわかるような記載がなく「強姦」「猥褻」があるものの件数は多くありません。高度分散配置の北支との事情の違いかもしれません。

南支では「分哨勤務中華人婦女ヲ哨所ニ連行猥褻行為ヲナシ更ニ華人女ヲ溺死セシム」という明らか拉致監禁強姦殺人の項目があり、現役兵3人の犯行として記録されています。逆にこれ以外に性暴力犯罪に関する項目がなく、強姦後に殺害して証拠隠蔽することが多かったことが暗示されます。

この他、大きな戦闘のない関東軍でも「婦女ニ猥褻行為ヲナシ其他風紀ヲ紊ル」将校が2名及び下士官兵軍属合せて8名が記録されています。

*1:森本忠夫「魔性の歴史」P317

*2:あるいは討伐時に慰安婦として連れ去ろうとした、とも読めます