I.国立公文書館・大英帝国戦争博物館所蔵資料
内閣・内務省関係
(P92/294)
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf
文書件名 発行時期*1 発信者 宛先 記述の概要 1.渡支邦人暫定処理に関する件[「昭和16年満支外地渡航取締例規」] 1941.8.16 内務省警保局長 各庁府県長官 昭和15年5月7日の閣議決定「渡支邦人暫定処理に関する件」およびそれに基づく新制定の「取扱要領」を通達する。例外的に渡支を認める者の中に、婦女雇入のため一時帰国した在接客業者が雇入員数を明記した在支領事館警察署発給の証明書を所持する場合、その員数の被傭婦女が含まれている。 2.行政事務の聖地簡捷化及中央官庁の権限の地方委譲等に関する件[昭和18年12月14日] 1943.12.14 閣議決定 - 首題の件に関し関係各庁及地方行政協議会長より夫々意見の提出があったうち、◎印のものは至急実施することが適当と認められるので各庁は速やかに実施の措置をとることと決定する。 厚生省関係事項のうち、◎印のあるものの中に、軍慰安所に於ける酌婦女給の雇入就職の認可についての厚生大臣への稟伺(労働調整令に依るもの)はこれを廃止し地方長官限りにて為さしむるものとすとある。 3.第二次許可認可等行政事務簡捷化に関する件 1944.1.6 閣議決定 - 首題の件に関し関係各庁より夫々実施を可とする回答のあった事項は速やかに実施の措置をとることと決定する。厚生省関係事項のうちに、一、慰安所的必要に依り酌婦女給を雇入れの場合は県内に限り稟議を要せずとするとある。 4.朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件 1944.7.12 閣議決定 - 朝鮮における行政事務の進展に伴い職員の増員を行う決定の中、国民徴用事務、経済統制警察事務の増員が含まれている。国民徴用事務の増員に関連して、勤労労務者数および労務強化対策の説明があり、女子遊休労力の活用方針について記述がある。経済統制警察事務の増員の説明の中に「半島に於ける民衆は民度低き為に戦時下に於ける労務の重要性に対する認識なお浅く勤労報国隊の出勤をも甚だしく徴用なりと為し一般労務募集に対しても忌避逃亡し或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず未婚女子の徴用は必至にして中にはこれらを慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり此等悪質なる流言と相俟て労務事情は今後益々困難に赴くものと予想される」との記述がある。
軍関係
(P95/294)
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf
文書件名 発行時期*2 発信者 宛先 記述の概要 1.恤兵金の処分に関する件 1932.7.19 閣議決定 - 満州事変中に受理した恤兵金の使用一覧表(其の五)(自昭和7年5月12日至6月30日迄に於ける支出調の中に、「慰安施設の為現金にて直送したるもの」という記述がある。 2−(1).衛生業務旬報 1933.3.21〜31 混成第14旅団司令部 - 部隊内では花柳病患者が司令部の兵の中に一名出た。 2−(2).同右 1933.4.11〜20 同右 - 平泉に内鮮人娼妓38名が来て開業することにつき16日に検黴を実施し、将来毎週1回実施することとした。 花柳病予防については芸娼妓には健康診断票を所持させて客の求めにより提示させるよう指示し、これを兵員に周知させた。その他星秘膏「サック」の利用を厳選する他、外出者は帰宅後必ず陰部を昇汞水で洗浄させるよう指示した。 第1回検黴成績は次の通り(略) 2−(3).同右 1933.4.21〜30 同右 - 30日平泉における内鮮人芸娼妓全員を警察署に集め署長立会いの上で花柳病予防及びその防疫上に関し、衛生講話をし、続いて各妓楼を署長及憲兵と共に巡視し衛生並花柳病予防施設に関して指示した。 平泉に於いて23日に実施した第2回芸娼妓検黴成績次の通り (略) 2−(4).同右 1933.5.1〜10 同右 - 混成第14旅団芸娼妓酌婦健康診断実施要領(昭和8年4月28日)を収めている。その中に、旅団の警備区内(満鉄附属地を除く)に於いて営業する芸娼妓酌婦に対する健康診断は本要領により旅団司令部附軍医正の指示する医官をして実施させるものとするとある。また本健康診断は軍隊防疫上の必要により実施するものであるが、事が苟も人権に関するものなので慎重に実施することは勿論良く憲兵又は警察官と協議し遺漏がないよう期するものとするとある。 参考として娼妓取締規則が付されている。その中に、娼妓名簿に記録されていない者は娼妓家業をなすことはできず、娼妓名簿は娼妓所在地所轄警察署に備えるものとするとある。 2−(5).同右 1933.7.1〜10 同右 - 支那娼妓に対して検黴を実施することができれば、支那人遊郭を解禁することを可とするとの意見がまとまり、軍部に於いて検黴することについて治安維持会と交渉しその快諾を得たので、14日厳格な検黴を実施した後16日より駐留規定を改め立入りを許可することとした。 2−(6).同右 1933.7.11〜20 同右 - 支那娼妓の検黴は14日実施し爾後毎週1回実施することと定めた。成績は極めて不良で、概ね30%以上の罹病者がある状況であるものの、諸種の関係で駐留規定により立入りを解禁することに決めた。 支那娼妓の罹病者の治療を満州国国境検疫所医員において施療を実施することで協定実施した。 2−(7).同右 1933.8.11〜20 同右 - 山海関に於ける日鮮芸人芸酌婦検黴状況並びに妓楼の花柳病予防施設等に関して視察した結果、支那人娼妓は有毒者が常に他に比べて多数を占めるにもかかわらず治療の要求に応じず、且つ予防的施設をも行わないので有毒者は逐日増加を見つつある。一面多数の移住日鮮人娼妓により需要は充分な現況に鑑み、衛生部員の過少で余力に乏しい現下、支那人娼妓の検黴は徒労なので、以後廃止するを決意し、これを具申し、関係部隊には実況を通報し、兵員の之れに接しない様特に注意を促した。尚前所部隊に於いても同地日鮮人芸酌婦は有毒者が多いので、六軒中四軒に立寄禁止を命じた。 3.満州事変陸軍衛生史(第四巻)(昭和10年8月1日) - 陸軍省 - 混成第14旅団制定の「衛生委員会規程」の中に、芸娼妓の検黴を励行すると共に私娼の取締を厳にすることとある。 4.北支那並満州国視察報告[「満受大日記」(11冊の内其の5)] 9.3 工兵第四大隊中隊長 陸軍大臣 慰安法を講ずることは最も緊要である。重大使命を果して帰営してもこれに対する物質的慰安はなく待つのは廃屋のような古兵営だけでは軍心は弛み易く荒れ易くなる。 志気振興上最も重大なる時と信じるので諸施設を完備し、指揮官は部下を把握することで軍心を倦ましめないよう努力すべきである。 5.飛行第12連隊長に与ふる注意事項[「満受大日記」(11冊の内其の9)] 1935.7.17 関東軍司令部 飛行第12連隊長 衛生一般の成績は可であるが、花柳病の発生が少なくないことに鑑みこれらの防遏に一段の努力を払い実績の向上を図ることを要する。 6.陸軍軍事警察月報 [同右] 1945.8.4 北支那派遣軍憲兵隊司令部 なし 仁第1402部隊現役衛生准尉が犬を連れて軍慰安所に至り、慰安婦と口論中その犬が慰安婦及家族2、華人2に咬み付き咬傷を与えたのに何等これに対する防御策を講ぜず放任したことが記録されている。 鷲第3915部隊予備役軍曹は陣地構築に服務中無断外出の上特殊慰安所に到り登楼翌朝まで遊興したが、此の間酌婦の態度不良であると憤慨し、その酌婦の腕時計を窃取帰隊したことが記録されている。 7.駐屯地慰安所規定 1943.5.26 「マンダレー」駐屯地司令部 - 全四章、全23条の規定。第2条に「慰安所ハ日本軍人軍属ニ於テ使用スルヲ本則」とするも、支障を与えない限度でマンダレー在住の日本人にも利用を許可(24:30以降)するとある。料金は軍票によること、設備の営繕は軍が実施することとある。使用時間及び料金表、慰安所売上高報告書の見本、注意事項が添付されている。 8.第五野戦輸送司令部駐屯地業務規定 1943.10.3 第五野戦輸送司令部 駐屯地諸部隊一般 第39条に「慰安所の設置ならびに其の使用日割・・・に関しては必要の都度司令官之を定む」との記述がある。 9.「マンダレー」駐屯地業務規定 1943.10.20 同右 「マンダレー」駐屯地諸部隊一般 第20条に、慰安所については「駐屯地慰安所規定(昭和18年5月26日「マンダレー」駐屯地司令部)」に拠るべしとの記述がある。別紙駐屯地地図に慰安所の記載がある。 10.「マンダレー」駐屯地勤務規定 1945.1.2 同右 同右 第39条(8)に、慰安所を利用する者は「駐屯地慰安所規定」を遵守し不徳義の言動により名誉を汚してはならない」との記述がある。
II.厚生省関係公表資料
(P102/294)
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf
文書件名 発行時期*3 発信者 宛先 記述の概要 1.日本派遣南方軍最高司令官宛連合国指令書第一号[「日本国軍と連合国軍総司令部との往復文書」] 1945.9.7 仏領印度支那占領連合国軍司令官 日本派遣南方軍最高司令官 遊女屋並びに慰安隊を日本軍とともに撤退させ、性病患者と判明した婦人は国籍の如何にかかわらず一定の病院に収容し、適正警備と収容者の適正治療を行え、との記述がある。 2.沖縄本島の状況 [「部隊復員関係資料」] 1946.1.9 歩兵第22連隊附軍医大尉 - 沖縄本島の終戦後における「邦人の状況」の中で、収容所に「朝鮮人の慰安婦、内地婦人が地方人とともに収容されていた」との記述がある。 3.南部セレベス売淫施設(慰安所)調書 1946.6.20 セレベス民政部第二復員班長 復員庁第二復員局長 民政部において許可した施設に使用されていた婦女は223名、施設設置の許可は民政部張間が行う。 婦女の募集並びに雇用契約は主として民政部嘱託(帰還)及び実業団員(帰還)が行い、各地方施設に配置した。婦女の配置後の維持経営は一般邦人並びに現地民が当たり、各地方施設に対する婦女の保護、収入支出、休養、給与等の適正監督、風紀粛正等の取締指導等に関しては各県の監理官が行った。 この他、売淫婦の生活方法、給養、報酬、民族、種族(別人員数)等に関する記述がある。 4.法務部(GHQ)少佐からの記録要求の件 1947.1.9 終戦連絡事務局連絡官 同上事務官 父親が海南島で、本人もジャバで慰安所を経営していたという日本人等についての記録を要求。 5.「俘虜名票」に関する調査結果概要 1993.10.8 厚生省社会・援護局 - 「俘虜名票」の職業(Occupation)欄の一部に「Comfort Girl」等の記述がある。