日本政府の1877年と1881年時点での独島(竹島)認識と現日本政府によるこじつけの事例

太政官指令関連文書の文脈

年月日 文書名 内容 鬱陵島・独島(竹島)記述
1876年10月5日 内務省地理寮 島根県地籍編製係 乙第28号文書 隠岐国沖にある「竹島」と呼ばれる孤島に関する照会文書*1 --
1876年10月16日 島根県 内務省 日本海竹島外一島地籍編纂方伺 竹島略図を添付*2 竹島外一島」=鬱陵島及び独島(竹島
1877年3月17日 内務省 外務省書記官 内務権大書記官西村捨三発外務書記官宛照会 領土の問題は大事だから念のため右大臣にも確認を求める 竹島外一島(外一島ハ松島ナリ)」=鬱陵島及び独島(竹島
1877年3月29日 右大臣 内務省 太政官指令 伺之趣竹島外一島ノ義本邦関係無之義ト可相心得事 竹島外一島」=鬱陵島及び独島(竹島
1877年4月9日 内務省 島根県 回答 竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事 竹島外一島」=鬱陵島及び独島(竹島

以前も書いた通り、何も難しい話ではなく、1876年10月5日に内務省地理寮から島根県に対し「竹島」と呼ばれる孤島は島根県の管轄なのか確認する文書が出され、島根県は調べてみたもののよくわからず磯竹島略図などの資料を添付して内務省に対し、「竹島外一島」を島根県の地籍に編入してよいか1876年10月16日に確認しています。島根県から内務省への照会で初めて「竹島外一島」という表現が出てきますが、添付された磯竹島略図や竹島・松島の説明文から、「竹島外一島」が現在の鬱陵島と独島(竹島)を指していることは明白です。
島根県から照会を受けた内務省では過去の記録を調べて「竹島外一島」がどうも日本領ではないと判断しています。このとき「外一島」を明確にするためか内務省は「(外一島ハ松島ナリ)」と注釈をつけています。この文書でも「竹島外一島」が現在の鬱陵島と独島(竹島)を指していることは明白です。内務省はいずれも日本領ではなさそうだと判断したものの領土に関する話であり、判断を右大臣に委ねるため、1877年3月17日に右大臣にも確認を求めるよう外務省に照会しています。
その結果、1877年3月29日の太政官指令「伺之趣竹島外一島ノ義本邦関係無之義ト可相心得事」に至ります。
この一連の文脈で一貫して、「竹島外一島」が現在の鬱陵島と独島(竹島)を指していることは明白ですが、現在、独島(竹島)に関して韓国と領土問題を抱える日本政府にとってはそのような解釈は都合が悪いことこの上ありません。
1877年3月29日時点で日本政府が正式に独島(竹島)は日本領にあらずと決定したことを示すこの太政官指令は、領土争いの当事者である日本政府が主張する“竹島は日本固有の領土”というプロパガンダを否定するものです。

さて、領土争いの当事者・日本政府はどのような屁理屈を編み出したのでしょうか。

日本海内松島開墾之儀ニ付伺

年月日 文書名 鬱陵島等記述
1881年11月12日 島根県 内務省 別紙乙号(日本海内松島開墾之儀ニ付伺) 松島
1881年11月29日 内務省 外務省 島地第一一一四号(1877年3月17日内務省発文書と別紙乙号を参照) 日本海ニ在ル竹島松島
1881年11月30日 外務省 公信局 公第二六五一号 朝鮮国蔚陵島即竹島松島
1882年1月31日 島根県 - 「県治要領」明治15年1月の条(明治15年1月31日) 松島

これは上で紹介した太政官指令関連の文書群とは全く別の文書群です。1881年に民間人から「松島」を開墾したいので許可を求められているが出してよいかと島根県内務省1881年11月20日に確認しています。この時既に1877年の太政官指令によって、鬱陵島と独島(竹島)共に日本領にあらずと決定していましたので、この島根県からの照会に対し、内務省は先の太政官指令を求める内務省発文書(1877年3月17日)をひいて外務省に「日本海ニ在ル竹島松島」は日本領にあらずと1881年11月29日に連絡しています。外務省は公信局を通じ「朝鮮国蔚陵島即竹島松島」への渡航を禁ずる旨を報じています。最終的に島根県は、当初の表記「松島」を用いて「本邦関係無之義」としています(1882年)。

この文書群で「松島」「日本海ニ在ル竹島松島」「朝鮮国蔚陵島即竹島松島」などと記載されている島ですが、これらがどの島を指すかは少々複雑です。
この文書群の発端となった別紙乙号(日本海内松島開墾之儀ニ付伺)の「松島」に関する記載があります。

日本海内松島開墾之儀ニ付伺
(略)其旨趣タル該島ノ義ハ同郡浜田ヨリ海上距離凡八十三里酉戌ノ方位ニ当リ無人ノ孤島ニ有之候処、(略)其景況東西凡四五里南北三里余周廻十五六里、島山ニシテ海岸ヨリ頂ニ至ル凡一里半雑樹森在古木稠茂シ其間幾多ノ渓流且ツハ平坦ノ地アリ(略)

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html

「東西凡四五里南北三里余周廻十五六里」という点(東西8〜10km、南北6km)からもこの文書で言う「松島」が鬱陵島であることは明らかです。これは単に民間人・大屋兼助が鬱陵島を開墾する許可を島根県に求める文書を書くにあたって、大屋が鬱陵島を「松島」と呼ぶと認識していたからに過ぎません。航法未発達な時代において複数の孤島の名称が混在・錯綜することは不思議ではありません。島根県内務省への照会にあたって上記引用のような「松島」の説明をつけたのは混在・錯綜を避けるためでしょう。この時点において「松島」=鬱陵島であることは間違いありません。
しかし、島根県から照会を受けとった内務省は、先の太政官指令を求める内務省発文書(1877年3月17日)が「竹島外一島(外一島ハ松島ナリ)」は日本領にあらずとしていることを根拠として「日本海ニ在ル竹島松島之義ハ別紙甲号之通去明治十年中本邦関係無之事」と回答しています。ここで記載が「竹島松島」となり、これがどの島を指すのかが複雑です。
「別紙甲号之通」とあることから、「別紙甲号」である内務省発文書(1877年3月17日)の「竹島外一島(外一島ハ松島ナリ)」のまま、「竹島」=鬱陵島、「松島」=独島(竹島)の意と解釈するのが自然ですが、島根県からの照会文書は「松島」=鬱陵島で書かれていますので、この時点の内務省は「松島」=鬱陵島、「竹島」=独島(竹島)という勘違いをしていた可能性もあります。ただし、いずれにしても内務省発文書(1877年3月17日)が「竹島外一島(外一島ハ松島ナリ)」は日本領にあらずとしているため、島根県からの照会に対する回答としては鬱陵島開拓許可を却下という結論に変わりありません。
ただし、公信局に通知する際には上記の混在の可能性をなくすため、明確に「朝鮮国蔚陵島即竹島松島」と表現し、「朝鮮国蔚陵島即竹島」=鬱陵島と「松島」=独島(竹島)が日本領ではないと明示したわけです。
1881年12月においても、日本内務省は1877年の決定をひく形で、「竹島松島」(鬱陵島と独島(竹島))共に日本領にあらずとの結論を下したわけで、1881年時点でも日本政府は独島(竹島)を日本領ではないと認識していた証拠と言えます。

結局のところ、民間では、鬱陵島に対して「竹島」「松島」「磯竹島」などの名称が混在して用いられていただけのことに過ぎず、1877年の太政官指令に関わる文書群では「竹島」=鬱陵島、「松島」=独島(竹島)とされていた名称が、1881年日本海内松島開墾之儀ニ付伺関連の文書群では民間からの要望書が「松島」=鬱陵島で書かれていたため、表現が一部混在しただけのことです。

日本政府のこじつけ

ところが近年になってから、領土争いの当事者・日本政府はここに目をつけ、屁理屈をこね始めます。
まず、「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」関連文書群における「日本海ニ在ル竹島松島」という表現は、日本海に存在する竹島および松島という2つの島を指すと解釈するのが妥当ですが、これを“「竹島松島」は「竹島一名松島」であり、1つの島を指す”というアクロバティックな解釈を持ち込みます。この曲解を援用すればもちろん「朝鮮国蔚陵島即竹島松島」という表現も鬱陵島1島のみを指すと強弁できます。「蔚陵島即(すなわち)竹島」のように「即」を用いた表現を「竹島松島」で用いていないことの矛盾は、日本政府の強弁では無視されます。
それがさらに太政官指令関連文書群にまで拡大され「竹島外一島」は“「竹島」他に一名を持つ島”という曲解につなげられます。

明治9年地籍という歴史にも関係する内容の質問に、島根県は江戸時代の史実を中心に「竹島外一島」で伺い書を作成、提出しました。これに対し内務省の指示は、島根県が用いた「竹島外一島」の文言をそのまま利用しているものの、明治初期の現状を反映し「竹島とも松島とも呼ばれている島(鬱陵島)は日本領ではない」を意味するものであった可能性が大です。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/sugi/take_04g08.html

もちろん、太政官指令関連文書群の一つである内務省発文書(1877年3月17日)に「竹島外一島(外一島ハ松島ナリ)」とあること、そしてその「松島」の説明が「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦鳥獣ヲ産ス
*3と明らかに独島(竹島)を指していることは都合よく無視されます。

例えば、「日本海竹島外一島地籍編纂方伺」*4には「大谷九右衛門村川市兵衛ナル者」という表現がありますが、これを「大谷九右衛門」一名「村川市兵衛」であり同一人物である、などとは解釈しません。しかし、「竹島松島」に対しては“「竹島一名松島」であり、1つの島を指す”という曲解をしています。
また、「別紙乙号(日本海内松島開墾之儀ニ付伺)」には「当管内石見国那賀郡浅井邨士族大屋兼助外一名ヨリ松島開墾願書差出シ」という表現がありますが、「大屋兼助外一名」を“「大屋兼助」他に一名を持つ人”とは解釈しません。にも関わらず「竹島外一島」は“「竹島」他に一名を持つ島”と日本政府は曲解するわけです。

いずれも紛争の当事者たる日本政府に都合の良いこじつけに過ぎません。

しかしさすがに“「竹島松島」は「竹島一名松島」であり、1つの島を指す”とか「竹島外一島」は“「竹島」他に一名を持つ島”とか言った曲解ではあまりにも無理がありすぎると考えたのでしょう。太政官指令から6年後の文書を持って、「竹島外一島」=“「竹島」他に一名を持つ島”説のこじつけを謀ります。
1882年、朝鮮政府から鬱陵島に不法入国する日本人がいることを咎められ、「翌明治16年3月31日に内務省は全国の各府県長官宛てに「(前略)日本称松島、一名竹島、朝鮮称蔚陵島ノ儀ハ従前彼我政府議定ノ義モ有之、日本人民妄ニ渡航上陸不相成(以下略)」」*5と通知したという内容です。
ここで「日本称松島、一名竹島、朝鮮称蔚陵島」と書いているのだから、1877年の太政官指令における「竹島外一島」は“「竹島」他に一名を持つ島”だと主張するわけです。

言うまでもなく、航法未発達の時代に現在の鬱陵島や独島(竹島)に対する名称が「磯竹島」「竹島」「松島」などと混在していただけのことで、それぞれ太政官指令関連文書群や日本海内松島開墾之儀ニ付伺関連文書群の内では、混同が生じないようになっています。
つまり、太政官指令関連文書では、「竹島」=鬱陵島、「松島」=独島(竹島)であり、日本海内松島開墾之儀ニ付伺関連文書群では民間の要望書での表現が「松島」=鬱陵島になっている点以外は、やはり「竹島」=鬱陵島、「松島」=独島(竹島)という形式で書かれています。
民間に「松島」=鬱陵島という混同があることを踏まえて、1882年に「日本称松島、一名竹島、朝鮮称蔚陵島」と明治政府が明示しただけに過ぎず、これをもって、他の文書に記載された「松島」は全て(というより日本に都合の良いものだけ)鬱陵島であると解釈するのは誠実な態度とは言えません。

要点

1877年3月29日の太政官指令「伺之趣竹島外一島ノ義本邦関係無之義ト可相心得事」は、内務省が「竹島外一島(外一島ハ松島ナリ)」と明示した文書(1877年3月17日)と添付された磯竹島略図*6、そしてそこに書かれた「松島」の説明文「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦鳥獣ヲ産ス」という記述を踏まえて出されたものであり、太政官指令で「本邦関係無之義」とされた「竹島外一島」が現在の鬱陵島と独島(竹島)の二島を指すことは明白です。

ちなみに、日本政府は領土争いの当事者ですから、自分に都合のいい資料を提示し、都合の悪い資料は隠し、既存の資料は自分に都合よく解釈する、というのは立場上当然と言えます。無論、他方の当事者たる韓国政府だって同じです。
政府間の争いの場合、それぞれの国民は自国政府の方を持つ傾向が強いのは、政府広報やマスコミの提供する情報に依存する以上やむを得ないところではあるでしょう。しかしながら、柳条湖事件の真相を知らされなかった日本国民が当時の日本帝国政府を妄信し戦争を支持したのが誤りであったように、自国政府の一方的な情報提供や客観的な見方を封じられたマスコミ情報だけを見て自国政府を妄信するのは危険です。
政府の発する情報であっても矛盾点や不自然な点がないかを、冷静に、排外主義、差別感情に惑わされずに確認することは、日本国民が為すべき「不断の努力」のひとつであることを忘れてはならないと思います。

*1:御管轄内隠岐国某方ニ当テ従来竹島ト相唱候孤島有之哉ニ相聞固ヨリ旧鳥取藩商船往復シ線路モ有之赴右は口演ヲ以調査方及御協議置候義モ有之加ルニ地籍編製地方官心得書第五条ノ旨モ有之候得共尚為念及御協議候条右五条ニ照準而テ旧記古図等御取調本省ヘ御伺相成度此段及御照会候也

*2:隠岐の北西にあり山陰西部の所属になるかと思うので島根県の国図に記載し地籍に編入してよいか、内務省に判断を請う

*3:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130215/1360949754

*4:「内務卿あて日本海竹島外一島地籍編纂方伺(明治9年10月16日)」

*5:http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/sugi/take_04g08.html

*6:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130215/1360949754