「朝日報道への批判の中に、むしろ歴史修正主義の息づかいを感じて、不快であった」by保坂

聞いてるか、安倍?お前のことだぞ、と言いたい件。

(6)保阪委員
 今回の慰安婦問題は、その管理に軍がどういう形で関与したか、慰安婦募集に強制があったかなかったか、さらにそこに植民地政策に伴う暴力性があったか否かなどの検証であったが、あえて言えば一連の慰安婦問題は全体の枠組みの中の一部でしかない。一部の事実を取り上げて全体化する、いわば一面突破全面展開の論争でしかなく、私は委員の一人として極めて冷めた目で検証にあたったことを隠すつもりはない。
(略)
 委員会のこの検証は、「軍隊と性」というテーマを具体的に確かめていくわけではなく、いわば1980年代、90年代の朝日報道を検証するだけであった。そのことは、戦後日本の「戦争報道」は、ある部分に執拗にこだわり、それが国際社会の作り出している潮流と結びついていたことを教えている。同時に、朝日報道への批判の中に、むしろ歴史修正主義の息づかいを感じて、不快であったことを付記しておきたい。

http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf

曖昧な書き方ではありますが、よほど現状の空気が嫌だったのでしょうね。
それでも、第三者委員会として、朝日新聞を体制寄り改造するための最後の処断、介錯を担った者として、いわば日本のジャーナリズムを殺した人間として記憶されることは避けられないでしょうが。

私個人は、現状の日本は既に手遅れであり今後10年間はもちろん、おそらくは四半世紀あるいは半世紀にわたって、朝日叩きの異常性を日本社会は自覚できないであろうと思っています。多分、私が生きている間に状況が改善されることはないでしょう。

時の権力である安倍自公政権とそれに阿るメディアや右翼論陣、漫然と看過した民衆によって、メディアが縊り殺される瞬間を見ているわけですが、その死刑執行人の一人となった保坂氏には遠い将来言論を殺した人物の一人として評価されることを多少の同情と共に、自己責任でもあろうという思いを抱かざるを得ません。


保坂氏は最後にこう述べています。

 慰安婦問題は、もっと根源的、多角的に考えることにより、日本社会の歴史検証能力は国際社会の中に独自の立場を保ち得るはずである。

http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf

しかし、この報告書で指摘された問題のひとつとして、記事掲載の影響をまとめの中でも「ウ 記事の効果の自覚」だとか「エ 報道した記事についての責任の自覚」だとかで指摘しています。
それでは、この検証報告書の内容は、慰安婦問題について、もっと根源的、多角的に考えることに資するものなのでしょうか。

朝日報道への批判の中にある歴史修正主義の息づかいをむしろ勢いづかせるだけではないのでしょうか。

それとも検証委員は、報告書の効果について自覚も報告書を書いた責任の自覚も不要なのでしょうかね。