天皇・皇太子が言ってもないことを読み取る右派と言ったことを解釈する左派を同列に扱うのはどうかと思う

皇室関連の発言に関してリベラルとして注意すべき点は、(1)発言者の身分に過剰に反応しない、という点と、(2)発言内容を踏まえる、という点です。
これはいずれも右派論者にはあまり留意されない点です。

例えば、極右の勝谷誠彦氏は以下のように天皇を政治利用しています。

 「あのときの政治には天皇陛下も怒っていらしたと思いますよ。僕は皇室の崇拝者でウオッチャーですが、伝え聞くところでは、震災や原発事故を大変心配されて、専門家から独自に話も聞いておられたようです。そして、震災直後の3月16日に、直接国民におことばをかけられた。僕は“平成の玉音放送”といっていますが、極めて異例なことです。そのおことばを聞き、私なりに陛下は政府を信用していないなと思いました。普通なら、政府をはじめとか首相をはじめというところを、自衛隊をはじめ、警察、海上保安庁、消防関係者の労をねぎらい、被災者を激励された。そのおことばは同時に政府に対する不信任でもあったと思っています」

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150308/dms1503080830005-n2.htm

右派が天皇という身分に過剰に反応すること自体は、その政治的立ち位置からはやむをえないところでしょう。しかし、発言内容を踏まえないの勝谷発言は頂けません。「そのおことばを聞き、私なりに陛下は政府を信用していないなと思いました。」などというのはただの勝谷氏個人の感想に過ぎず、天皇発言そのものを全く踏まえていません。

そもそも2011年3月12日の時点で、「努力を深く多とするお気持ち」を菅首相に伝えています。

平成23年3月12日(土)
天皇皇后両陛下には,この度の東北地方太平洋沖地震により,広範な地域にわたって甚大な被害が生じており,時間の経過と共に,報じられる被害状況が刻々と悪化し,拡大していることに深く心を痛めておられ,犠牲者へのお悔やみ,負傷者及び被災者へのお見舞いと共に,災害対策に全力を尽くしている関係者一同の努力を深く多とするお気持ちを,菅総理大臣に対し宮内庁長官を通じてお伝えになりました。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/saigai-01.html

で、2011年3月16日に「おことば」が出たのも、未曾有の大災害であることを考えれば政府に対する信任とかの関連を見出すこと自体おかしな話です。

「普通なら、政府をはじめとか首相をはじめというところを、自衛隊をはじめ、警察、海上保安庁、消防関係者の労をねぎらい、」

確かに以下のような発言はありますが、これを「政府に対する不信任」と解釈するのは無理があるでしょう。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html

ちなみに「普通なら、政府をはじめとか首相をはじめというところ」という勝谷氏の主張が正しいのかというと、これも疑問です。

御嶽山の噴火による被害についてのお見舞い

平成26年10月6日(月)
天皇皇后両陛下には,この度の御嶽山の噴火による被害についてのお見舞いを,また,困難な状況の中で捜索救助活動に引き続き努力している警察,消防,自衛隊ほか関係者に対するおねぎらいのお気持ちを,本日,侍従長を通じ,阿部守一(あべ・しゅいち)長野県知事及び古田肇(ふるた・はじめ)岐阜県知事にお伝えになりました。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/saigai-01.html

安倍政権下で起きた御嶽山噴火災害ですが、ここでも「警察,消防,自衛隊ほか関係者」という2011年3月16日と同様のくくりで述べており、「政府をはじめとか首相をはじめ」などとは言っていません。まあ、勝谷解釈なら、天皇が安倍政権に対して不信任を出したと言うことになるのかもしれませんが、そんな超解釈は極右くらいしかしないでしょう。

勝谷解釈は(1)発言者の身分に過剰に反応している上に、(2)発言内容を踏まえていない、という色んな意味で駄目駄目な内容になっています。

リベラルはどうか

私の観測範囲では、天皇・皇太子発言をリベラル的に解釈している言説は基本的に(2)発言内容を踏まえていると思いますね。勝谷解釈のような超解釈は見た覚えがありません。まあ、広範にウォッチしているわけではありませんので皆無ではないでしょうが。
むしろリベラルに見られる問題は(1)発言者の身分に過剰に反応しない、という点だと思います。
とは言え、天皇の発言だからと過剰に権威付ける方向ではなく、殊更無視しようとする方向で、ですけど。

つまり、リベラルは天皇・皇太子の地位を特異な権威として認めるわけではなく、当然にその発言に対して過剰な権威をもって他者説得に利用したりもしないわけですし、そうすべきでもないのですが、逆に天皇・皇太子が何を言おうが関係ない、無視だという主張もあるわけです。そして、むしろ天皇・皇太子発言を殊更無視しようとする態度もまた、天皇・皇太子の地位を特別視しているからこその反応であるとも言えるわけです。

天皇の発言だから、内容の是非に関わらず従え”というのはリベラル的価値観ではありえませんが、“天皇の発言だから、内容の是非に関わらず無視せよ”というのもまたリベラル的価値観ではありません。
発言内容に賛同できるのなら発言者が天皇であろうがなかろうが賛意を示し、賛同できないのなら発言者が天皇であろうがなかろうが批判するのがリベラルのあるべき態度でしょう。

まあ、こんな基本的なことは多くの人にとっては自明のことで今さら指摘されるまでもないでしょう。

その基本的なことが理解できない人はこんなことを言って得意になってるわけですが。
21世紀の今「天皇陛下は政治家Aがお嫌いの筈」「いや、嫌いなのはBだ」と推測し合うのが突然のブーム。