「財政的に「戦争できぬ」日本」という理解はちょっとどうかと思う。

日本は「戦争をできる国」にはなれない」という記事がありました。
要するに莫大な債務を背負っている日本は財政的に戦争できないし、少子高齢化社会の日本は戦争の人員を確保できないと言っているわけです。

財政面からみて、少なくともわが国は「戦争のできる国」にはなれないことは明らかである。
 わが国の政府債務は、いまや対GDP比で約230%に達している。これほどの債務残高に達した国は、ナポレオン戦争直後のイギリスと、第2次世界大戦直後の日本とイギリスである。
 いずれも、戦費調達のために負った政府債務で膨張した。平時にこれほどの債務を負った国はない。別の言い方をすれば、戦争を始める前からこれほどの債務を負っていた国はない。戦費を賄うためにこれ以上債務を負おうにも、わが国にその余力は残されていない。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150309-00062639-toyo-bus_all

 「戦争ができる国」になれない根本的な理由は、もう1つある。それは少子高齢化である。少子高齢化の影響は、社会保障のみならず、自衛隊の階級構成と年齢構成にも及んでいる。
(略)わが国は社会全体で少子化である。若年層は産業界にとっても労働力として貴重であり、自衛隊員だけ若年層を増やすわけにもいかない。他方、人間の宿命として、40歳を過ぎると老眼の症状が出てくることもあわせて考えれば、いくら安全保障法制を整備したからといって、こうした年齢構成で、直ちに「戦争ができる国」になるとは思えない。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150309-00062639-toyo-bus_all

まあ、説得力はありますし、平時において戦争を回避しようとする意識付けにはなると思いますが、「我が国は、仮に些細な小競り合いから、自衛権を行使したとしても、財政面と人口構成の制約から早晩持ちこたえられなくなる状態」とまで言い切れるかというと、ちょっと疑問です。
ごく単純に言って、平時と戦時では国民の意識ががらりと変わるということを軽視しているのではないでしょうかね。
平時においては戦争のための増税に反対する声が強いでしょうが、「些細な小競り合い」でもいったん始まったら戦争のための増税に反対しにくくなるのが普通です。日本に限らず、ほとんどの国でそうでしょう。
つい最近も日本人人質事件での安倍政権対応を批判する声をテロリストに利する行為と言って黙らせているわけですし、尖閣諸島を巡る緊張状態でも強硬論の方が強い状況です。実際に戦火を交え、自衛隊員に犠牲者が出るような状況になれば、早期停戦の声が上がる可能性などほとんどないでしょう。

例えば、2010年3月26日に起きた天安艦沈没事件や2010年11月23日の延坪島砲撃事件のように、軍人・民間人に多数の犠牲者が出るような衝突が起きた場合、日本は当時の韓国のように冷静に対応できるでしょうか。
安倍政権を支持するような民度では多分無理なんじゃないかな、と思うんですよね。

なので、こういう結論も少しお花畑なのではないかな、と思えます。

 巨額の政府債務と歯止めのかからない少子高齢化は、目下、わが国における戦争抑止の最大要因である。確かに、「戦争反対」と声高に叫ぶのもよいが、巨額の政府債務と歯止めのかからない少子高齢化がある限り、わが国は戦争や軍事衝突などまともにできない国と肝に銘じる必要がある。この実情を踏まえて、外国と向き合うべきである。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150309-00062639-toyo-bus_all