同じ“女性の尊厳を重んじる”発言をしても、発言者が性暴力被害者支援をしてきた者か、セクハラの常習犯かでは、聴衆の受け止め方が異なる

まあ、常識的な話ですね。
公に向けた声明とか談話とかを、その文言・字面だけではなく発言者の普段の言動を踏まえて判断するのは普通のことです。

安倍政権の普段の言動、これまでのやり口を踏まえれば、戦後70年談話の内容が戦争責任に相当踏み込んだ内容でない限り評価する余地がありません。安倍政権の普段の行状が自らハードルを上げているわけですから自業自得ですけどね。

さて。
安倍首相の戦後70年談話全文(2015年8月14日20時57分)

まあ、予想通りの駄目談話の出来上がり、と。しかも予想より酷くもなく良くもなし。安倍自身の思想信条からすれば、安倍の主観では屈辱的なほどに譲歩した結果ではあるんでしょうがね。

もし仮に、植民地支配責任・戦争責任に極めて真摯に向き合い、犠牲者らに対する謝罪・支援に積極的に取り組んできた政権がこの談話を出したのなら、植民地支配への言及が不足しているということ以外は、さほど非難されることもなかったかもしれません*1。それは談話で不足している部分が、実績でカバーされる、と言う意味で*2
そういう実績がまるでない、むしろ毀損ばかり繰り返している安倍政権では、評価されなくて当然です。
まして、安倍晋三は、村山政権の戦後50年決議に反対して妨害した張本人ですからねぇ。

多分、これから多くの安倍談話批判が出てくると思いますが、文言の字面だけでなく談話を出した政権の行状を踏まえた評価を期待したいものですね。

*1:ネトウヨらは非難するでしょうけど。

*2:それには、相当な反省・謝罪の積み重ねが実績として必要でしょうけど。