安倍談話は「答案」じゃなくて「三題噺」と見るべきだと思う

三題噺(さんだいばなし)

落語の一形式。落語家が客席から「人物」「品物」「場所」と3つの題をもらって,即席で一席の噺にまとめるもの。文化1 (1804) 年,江戸下谷の孔雀茶屋で1世三笑亭可楽が「弁慶・辻君・狐」の3題をまとめたのが始りとされている。

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E9%A1%8C%E5%99%BA-168196

何かと言うと小田嶋隆氏の「“採点”するなら、あれは百点満点だった:日経ビジネスオンライン」に関する件です。
小田島氏はコラムの終盤で「答案」としてではない安倍談話に対して批判的に述べていますが、前段では安倍談話を「答案」として捉えれば評価できる、とも述べています。

 ひとつのヒントとして、あの原稿が「演説」ではなくて「答案」だったというふうに考えると、多少、理解が届く感じはする。
 スピーチライター氏は、談話原稿を執筆するにあたって、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という4つのキーワードをすべて使うことをタスクとして命じられていたはずだ。この点をクリアしないと、閣議決定を通過することができないし、それ以上に、アジアの近隣諸国からの非難の声を呼び起こすことになるからだ。
 これはこれで、なかなか困難な課題だ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/082000008/?P=2

ただ、安倍談話を「答案」と考えると、私なら「4つのキーワードをすべて使う」という点においては及第点はとてもつけれませんね。
言うまでもなく、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という4つのキーワードは、その単語が入っていれば、どんな使い方をしてもいいというものではないからです。なぜ「4つのキーワードをすべて使うこと」が求められたかを考えれば、わかる話ですよね。
単語さえ入っていれば、どんな使い方をしてもいいと言う今回の安倍談話のようなものは、「答案」と言うよりむしろ落語家の「三題噺」と言うべきでしょうね。

だとすると、安倍政権の本音である以下の条件こそを談話の本体として、「三題噺」を作ればいいだけですから、正直言ってさほど難しいとも思いません。

 一方、彼は、安倍首相サイドから
「自分の名前で謝ることはしたくない」
「私は先の大戦侵略戦争だとは思っていない」
「植民地支配は第一次大戦以降の時代背景から、当時の日本が外交上の必然として選択したひとつの政策であって、現代の常識からすれば錯誤と評価されるものであるのだとしても、日本だけが為していた悪行ではない」
従軍慰安婦という言葉は使いたくない」
「戦時の謝罪に一定の区切りをつけることを明言しておきたい」
 という要望を聞かされていたはずだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/082000008/?P=2

安倍政権の本音が上記だということは、皆知ってるわけで、その本質を変えずに「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」という4つのキーワードをちりばめるというレトリックを評価している人もいるとは思いますが、原型となるレトリックは、歴史認識に関する国会答弁でこれまで何回もありましたからねぇ。

まあ、せいぜい安倍式レトリックの集大成として評価できる程度だと私は思ってます。