日中戦争中に国民党が中共の陝甘寧根拠地を包囲攻撃していたことは有名ではないらしい

こういうブコメがありましたので。

keytracker 日中戦争の時に国民党が延安を包囲したって本当?西安事件前か日中戦争後の国共内戦の時しか知らないんだが。結局、右も左も嘘混ぜてんじゃねーの?
2015/08/22

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20150821/1440178125

まあ、別に知らないのは構わないんですが、知らないからと言って「嘘混ぜてんじゃねーの?」といった揶揄に走るのはいただけませんね。

延安を中心とした陝甘寧根拠地が国民党軍から包囲攻撃されていた件

そもそも日中戦争初期の1938年末から国民党軍は陝甘寧根拠地に対して度々攻撃を仕掛けています。1939年6月には国民党軍の朱紹良や胡宗南が蒋介石の命令で陝甘寧根拠地を包囲封鎖するようになり、1939年末には胡宗南部隊が侵攻を開始しています(97師などの部隊が三方向から延安に向けて侵攻)。中共軍も激しく抗戦し、1940年には一応臨時協定を結んで武力衝突の拡大は回避されましたが、軍事包囲・経済封鎖はこの後も継続してします。
皖南事件後、対日戦争中の反共策動に対して国際的な非難を浴びた蒋介石はしばらくおとなしくなりましたが、1943年には陝甘寧根拠地を包囲する国民党軍40〜50万人に達し、7月に軍事侵攻を開始する予定になっていました。これを察知した中共は国際世論を味方につけて、反共軍事行動に釘を刺すことに成功しました。
カイロ会談に向けて動いていたのが、この時期です。
この頃、米の評価では政治腐敗が深刻な国民党よりも清廉な中共の方が高くなっており、またビルマ戦線や大陸打通作戦に際しても陝甘寧根拠地を包囲するためだけに大軍を割いている蒋介石に対する不信感も高まっていました。この辺りがスティルウェル事件に関わってくるわけですが本筋ではないので省略。

蒋介石秘録にも、国民党が中共根拠地を軍事包囲・経済封鎖していたことが書かれており*1中共国府いずれも軍事包囲の事実は認めています。
さらに当時の日本軍の認識としても1944年8月に至ってもなお、国民党軍が中共根拠地に対する軍事包囲を継続していたとされています。

参宣資第一八一号 国共和解問題に関する件 昭和一九年八月二四日 広東外務電
最近米英ノ国共和解ニ関スル希望ハ圧迫ニ変リ且延安ノ外国記者団ノ報告ガ中共側ニ有利ナリシ為重慶側ハ之ガ解決ニ苦慮中ニテ張自忠及梁寒操ヲシテ対策セシメ居ル処一方胡宗南、陳誠等少壮軍人ノ妥協反対アリ重慶側ハ政治手段ニ依リ国共問題ヲ解決シ得ベシト称シオルモ対中共軍事包囲ハ未ダ其ノ手ヲ緩メオラズ尚重慶側ガ最モ警戒シアルハ中共ガ「ソ」連ノ援助ヲ受ケ対日妥協ノ挙ニ出ヅルコトニシテ現ニ国民党ハ中共ノ対日妥協説ヲ流布シオリ又各地党部及特務機関ノ工作ハ引続キ防共ニ重点ヲ置クコトトナリオル処右ハ国共会談ガ依然難行ヲ続ケオル証左ナリ
(※引用者註:「張自忠」とあるのは「張治中」の誤記かと思われる。張自忠は4年前の1940年に戦死。張治中は1944年当時は新疆で統一工作を行い、中共との交渉も行っていた。)

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14061240700

日中戦争の時に国民党が延安を包囲した」と言うのは、中共・国民党・日本軍ともに認める事実なわけですが、知らないってだけで「右も左も嘘混ぜてんじゃねーの?」とか言う感覚は理解できませんね。

*1:蒋介石秘録14日本降伏」P98 など