安倍政権を盲信するあまり、解散総選挙に大義が不要とまで言い出したら末期症状

こいつの件。
解散総選挙に「大義」が必要?バカも休み休み言いなさい(9/22(金) 6:00配信 )長谷川 幸洋
まあ、長谷川幸洋氏ですから、ジャーナリストとしては末期症状を既に超越してゾンビ状態ですけど。

「私は、とってつけたような大義名分は必要ないと思っている」

衆院解散に大義は必要なのか。私は、とってつけたような大義名分は必要ないと思っている。なぜかといえば、衆院解散とは本質的に与野党の権力闘争であるからだ。政権与党はこれこれの国家戦略と理念、政策を掲げて国民に信を問う。それに対して、野党も野党なりの国家戦略と理念、政策を掲げて戦う。国民はそれを見たり聞いたりして、どちらに国の行く末を任せるのに適当か、判断を下す。それが総選挙だ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170922-00052952-gendaibiz-pol

多党制の民主主義において政治が与野党の権力闘争であることは実態としてはそうであっても、それを主権者である国民が認めてはいけません。
自分の管理下にある人が、欲情したからといって女性に襲い掛かったり、欲しいものがあったからと強奪したりした場合に“欲望は人間の本質だから”と認めてはいけないのと同じです。
大義もなしに党利党略で自党に有利だからと解散総選挙を乱発するのは、欲望に任せて強姦・強盗を繰り返す社会性不適合者と同じで、主権者である国民はそれを容認すべきではないんですよね。
そもそも解散権自体の憲法問題*1もありますが、首相の解散権を認めるとしても、その権利の行使は、日本国憲法第12条が国民に憲法が国民に保障する自由及び権利の濫用を戒めていることを考慮すれば、同様に濫用を禁止されていると見るべきでしょう*2

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

さらに長谷川氏は「政権与党はこれこれの国家戦略と理念、政策を掲げて国民に信を問う」と書いていますが、今回の解散総選挙に際し、安倍首相は今のところ、何ひとつ「国家戦略と理念、政策」といったものを掲げていませんよね。
長谷川氏の記事はそもそも自己矛盾を来たしていて、「大義名分は必要ない」といいながら「政権与党はこれこれの国家戦略と理念、政策を掲げて国民に信を問う」と言ってるんですよね。与野党の「国家戦略と理念、政策」が対立し膠着している状況で、国民の信を問うのが総選挙であるのなら、与野党の「国家戦略と理念、政策」を国民に選択させるということそのものがまさに解散総選挙の「大義」なわけです。今回の解散総選挙はそれが見えないから問題だと言われています。
長谷川氏はとにかく安倍政権を擁護したいあまりに、論旨に混乱を来たしているようです。

今回の解散総選挙が問題であるもうひとつの論点

第五十三条  内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

現在、安倍政権は野党議員らによる臨時国会の召集を求められていますが、これを無視し続けた挙句、ようやく開く臨時国会では、所信表明も質疑もしないまま冒頭解散させようとしています。憲法53条が要請するところは、内閣が国会で野党の質疑・追及を受けることなく独裁を行使したりしないように、4分の1という少数野党の要求であっても国会を召集して議論しなければならない、というものです。
これでは、安倍政権、自民党公明党憲法を遵守するつもりがない、国会を「国権の最高機関」とは認めないという宣言に等しいですね。
実際、こういった批判もされています。

民進前原代表、臨時国会冒頭解散「憲法違反」と批判

[2017年9月22日9時14分 紙面から]
 民進党前原誠司代表は21日の定例会見で、安倍晋三首相が臨時国会冒頭に衆院を解散する方針について、「憲法違反の疑いが極めて高く、解散権の乱用だ。絶対あってはならない」と強く批判した。
 野党4党は6月から臨時国会召集を求めており、憲法53条に衆参両院議員のいずれか4分の1以上が要求すれば、政府に臨時国会召集の義務が生じると規定されているとして、憲法違反の可能性に言及。「延ばしに延ばし、ようやく開くと思えば議論もせずに冒頭解散。絶対あってはならない」と述べた。共産党志位和夫委員長も党会合で、「前代未聞の党利党略、憲法違反の暴挙だ。総選挙で暴走する政治に退場の審判を下そう」と訴えた。

https://www.nikkansports.com/general/news/201709220000243.html

実際、憲法53条の主旨を考慮すれば、憲法違反としか言いようの無い解散ですからね。
さて、上記引用記事では共産党の志位委員長が「総選挙で暴走する政治に退場の審判を下そう」と述べています。安倍政権の独裁行為に対して受けて立つ構えです。

しかし、野党のそういった態度は長谷川氏には都合が悪いのか、見ない振りをしてこう述べています。

安倍晋三首相が衆院解散・総選挙の意向を固めた。野党や左派系マスコミは「森友、加計疑惑隠しだ」「解散の大義がない」などと一斉に反発している。本音は「敗色濃厚の選挙はしたくない」だろう。受けて立つ気概はないのか。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170922-00052952-gendaibiz-pol

安倍政権に責任を負わさないように御用マスコミが代弁する与野党の「国家戦略と理念、政策」の違い

長谷川氏は「これほど分かりやすい選挙もない」と言い「安倍政権と野党の政治路線はあきらかに違う」と主張していますが、そんなにあきらかに違うのなら、臨時国会で安倍政権による所信表明と野党による代表質問をやって、その上で解散するのが筋ですよね。その機会すら設けないのは、野党が自分の言葉で「国家戦略と理念、政策」を示す機会を作りたくないからに他なりません。
そして、長谷川氏のような御用マスコミに、有権者を錯誤させる与野党の「国家戦略と理念、政策」の違いを語らせる、という手法をとっています。

与党の「国家戦略と理念、政策」については好意的に解釈して説明し、野党の「国家戦略と理念、政策」については悪意を持って曲解して印象操作を行うという手法です。長谷川氏の記事はまさにその構造になっています。

長谷川氏の視点での与野党の違いを長谷川風味の印象操作を廃して記載してみる

長谷川氏が言及しているのは経済政策・外交安保・政治汚職(森友・加計問題)についてだけですが、一応、教育、福祉、消費税についても追加しておきます。

     安倍政権 野党
経済政策 株価重視 分配重視
外交安保 武力・圧力重視 対話・協調重視
政治汚職 隠蔽重視 公開重視
教育問題 差別賛成 差別反対
福祉問題 弱者排除 弱者支援
消費税  増税賛成 増税反対

ざくっと、こんな感じですかね。「野党」とひとくくりにしていますが、元記事での長谷川氏のつまみ食い具合に対応してると思ってください。
まあ、こうして見ると、確かに「分かりやすい」かもしれませんね。





解散総選挙に「大義」が必要?バカも休み休み言いなさい

9/22(金) 6:00配信 現代ビジネス

私の予測が的中した理由

安倍晋三首相が衆院解散・総選挙の意向を固めた。野党や左派系マスコミは「森友、加計疑惑隠しだ」「解散の大義がない」などと一斉に反発している。本音は「敗色濃厚の選挙はしたくない」だろう。受けて立つ気概はないのか。私は先週のコラムで、9月臨時国会での冒頭解散を予想した(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52905)。末尾で首相の決断について「いまは『いずれ、なんらかの展開があったときに分かる』としか申し上げられないのが、実に残念」と書いたら、直後に解散報道が相次いだ。自分で言うのもなんだが、まさに申し分のない展開である(笑)。なぜ予想できたかといえば、秘密はべつに何もない。自分の読みだ。首相や官房長官に取材しようと思えばできなくはないが、恥ずかしくて「解散するんですか」などとはとても聞けない。「バカな質問するなよ」と苦笑いされるのがオチだからだ。なんでも直撃質問すればいいと思っている厚顔無恥の女性記者が話題になっているが、彼女はただの「おバカ」か「ピエロ」だ。ときには直撃も大事だが、客観情勢から「こうなる」と分析するのも記者の仕事である。私は主に後者を仕事のスタイルにしている。
先週のコラムで書いたように、各マスコミの世論調査内閣支持率が急回復した半面、野党への期待は冷え切っていた。民進党山尾志桜里議員の不倫スキャンダルが尾を引く一方、離党の動きが止まらない。小池百合子東京都知事の新党構想も進んでいない。となれば、総理が解散したくなるのは当然である。そこを書いただけだ。日本のジャーナリズムには、なぜか私のようなスタイルの記者が少ない。というか、ほとんどいない。読者には、ぜひ今後ともご愛読をお願いする(笑)。 さて宣伝はこれくらいにして(笑)、本題に移ろう。
衆院解散に大義は必要なのか。私は、とってつけたような大義名分は必要ないと思っている。なぜかといえば、衆院解散とは本質的に与野党の権力闘争であるからだ。政権与党はこれこれの国家戦略と理念、政策を掲げて国民に信を問う。それに対して、野党も野党なりの国家戦略と理念、政策を掲げて戦う。国民はそれを見たり聞いたりして、どちらに国の行く末を任せるのに適当か、判断を下す。それが総選挙だ。

これほど分かりやすい選挙もない

安倍政権と野党の政治路線はあきらかに違う。安倍政権の経済政策は成長重視だ。それに対して野党は格差是正、言い換えれば分配重視である。安倍政権の外交安全保障政策は日米同盟を基軸にして中国や北朝鮮の脅威に対抗するのが基本である。それに対して民進党は日米同盟重視と言いながら、一昨年の安保関連法見直しに強く反対し、いまの前原誠司代表も政権をとれば廃止・見直しを公言している。共産党はもっと極端で、日米安保条約そのものの廃棄や自衛隊の解消を掲げている。加えて最近の野党はといえば、北朝鮮情勢の緊迫化などほったらかしで、ひたすら森友学園加計学園問題で政権追及に精力を投入した。国会はモリカケ問題に多くの時間を費やしたが、結局「総理の関与」を示す証拠は出てこなかった。
それどころか、加戸守行・元愛媛県知事が国会で「加計学園を招いたのは私」と決定的証言をしたにもかかわらず、NHKを含めて左派系マスコミは加戸証言を無視してほとんど報じなかった。「偏向報道も極まれり」である。かくのごとく安倍政権と野党(加えて左派系マスコミ)の対立は深まっている。そうであれば、なおのこと、安倍政権と野党勢力のどちらが国の将来を担うのにふさわしいか、日本の平和と安全、繁栄が脅かされている戦後最大の重大局面で、解散・総選挙は国民の声を聞く最善の機会になる。それこそが「解散の大義」にほかならない。もしも安倍政権が間違っていると国民が判断するなら、早めに軌道修正したほうがいいに決まっている。逆に、政権があらためて国民の信頼を得るなら、いっそう強力に安倍路線を推進できる。国民の目から見ても、今回の総選挙は分かりやすい。多くの人々は安倍政権と野党勢力(加えて左派系マスコミ)との対立構図を十分承知している。私たちはどっちがいいか、選ぶだけだ。これほど分かりやすい選択はめったにない。「分かりやすさ」は民主主義にとっていいことだ。「どう選んでいいか分からない」「どちらを選んでも一緒」というような状況だと、何が起きるか。政治がつまらなくなって無関心層が増え、結局、社会が停滞する。北朝鮮情勢が緊迫する中、日米同盟弱体化につながる安保法制廃止を唱える民進党に政治を委ねるべきか。あるいは同盟廃棄や自衛隊解消を唱える共産党に期待すべきか。これだけ路線が明確に違えば、有権者は判断しやすい。

「解散するな」と言う人々の自己矛盾

テレビの報道番組を見ていたら「大義なき解散」という批判では言い足りないと思ったのか、あるコメンテーターは「衆院解散は国民に対する背信行為」とまで述べた。重大局面で国民の声を聞くのが、なぜ国民への背信になるのか、私はさっぱり理解できない。モリカケ問題で説明が足りないまま解散するからか。それは、当の番組を含めた左派系マスコミの問題である。安倍政権は国会で説明を尽くした。左派系マスコミが政府や加戸・元愛媛県知事の言い分をしっかり伝えなかっただけだ。
先のコメンテーターは解散を背信行為と批判した。つまり、彼は政権を批判する一方で「解散するな」、すなわち「このまま安倍政権を続けよ」と言っている。なぜ、そんな自己矛盾が起きるのか。選挙の結果次第で「もしかしたら安倍政権が終わるかもしれない」などとは夢にも思っていないからだ。それがホンネである。つまり「野党が負けそうな選挙だからやってほしくない」と思っているのだ。そう正直に言ってしまったら、ミもフタもないから「タイギ、タイギ」と言っている。もっともらしい話をしながら、実は権力闘争に負けるのを恐れている。殴り合いのケンカに負けそうだから、土壇場できれいごとを唱える気弱な子供のようではないか。こういうところに、何かと言えば格好をつけたがる左派の情けなさがにじみ出ている。政権に解散の大義を求める前に、自らチャンスと受け止め、左派の大義を掲げて戦いに立つべきではないか。それとも、もう左派の大義を掲げる勇気はないのか。権力をめぐる戦いは勝つか負けるか、生きるか死ぬかである。安倍政権は勝負に出た。野党も性根を据えて戦いに臨むべきだ。いまさら泣き言を言っている場合ではない。

長谷川 幸洋

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170922-00052952-gendaibiz-pol

*1:首相に解散権があるのかという問題

*2:国民の権利は濫用してはならないが、内閣の権利は濫用して構わないという解釈にはならないと思います。