新潮に続いて、ニューズウィーク・ジャパンも南京事件否定論の側面援護にまわるようです。
新潮の件:さすがに南京事件の存在すら否定するアパホテルの主張は新潮ですら擁護できないらしく論点をすり替える側面援護を始めた件。
NWJの「アパホテルを糾弾する前に中国共産党がやるべきこと( 辣椒(ラージャオ、王立銘)、2017年01月25日(水)19時15分)」を一読して驚いたのが、アパホテル元谷氏による南京事件否定論について一切評価されていない点でした。
その上で辣椒氏は「中国共産党は自らの統治の正統性を守るため、歴史の真実の上に数えきれないほどうそをついている」と一方的な中共批判を繰り返しており、まるでアパの南京事件否定論には問題が無いかのように読めてしまう記述になっています。
現状、日本国内でアパの南京事件否定論が厳しく批判されているならともかく、「国民はアパホテルに声援、日本は変わった もはや中国の不当な干渉を許さない」等と言った妄言が全国紙から出てくるような状況での一方的な中共批判記事では、辣椒氏自身が南京事件否定論に心情的に与しているとしか思えませんね。
それはさておき辣椒氏が「2つの疑問」と書いている点について反論しておきます。
1.“毛沢東が非難しなかったから南京事件はなかった”
辣椒記事のこの部分。
更に興味深いのは、南京大虐殺の疑問点だ。私は最近、『毛沢東――日本軍と共謀した男』(新潮新書)の著者である東京福祉大学の遠藤誉特任教授に、この問題について話を聞いた。彼女によれば、毛沢東は彼の年表から判断するに一度も南京大虐殺を非難したことがなく、80年代以前は中国の歴史教科書も南京大虐殺に言及していなかった、という。
http://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2017/01/post-37.php
はっきり覚えているが、私の小さい頃、中国の歴史教科書が南京について触れていたのは、「雨花台事件」だけだった。1949年に中華人民共和国が建国された後、南京の雨花台という丘に烈士の陵墓園が造られ、毛沢東は「国難に殉じた烈士万歳」と揮毫(きごう)した。南京大虐殺記念館の建設より30年以上も前のことだ。この間、南京市政府は雨花台で主に国民党によって殺された共産党員と共産党シンパを追悼していて、かなりの長期間、まったく南京大虐殺について宣伝していなかった。私はネット上で「雨花台」について調べてみたが、関係する資料は既に探せず、ただ雨花台が以前は刑場だったこと、国民党政府の統治時代に10数万人の共産党員とシンパがこの地で殺されたことが分かっただけだった。ここでも南京大虐殺と同様に、「10数万人」というぼんやりした数字しかない。中国では過去、精度の高い正確な人数の統計が存在したためしがない。これはおそらく、物事を徹底的に理解しようとしない中国人の欠点なのかもしれない。
もちろん、辣椒氏は“南京事件はなかった”とは明言していません。
ですが、遠藤誉本*1を引いて「毛沢東は彼の年表から判断するに一度も南京大虐殺を非難したことがなく、80年代以前は中国の歴史教科書も南京大虐殺に言及していなかった」とだけ書き、「かなりの長期間、まったく南京大虐殺について宣伝していなかった」と書けば、南京事件否定論の文脈をそのままなぞっているのと何ら変わりません。
そもそも中共にとっての南京事件は、蒋介石国民政府の南京戦敗退後に日本軍占領下の南京で起きた虐殺事件であって中共が主体的に関わった事件ではありませんし、中国は国共ともに日本軍による侵略行為の責任は軍閥指導者にあって、日本国民にはないという立場でしたから戦犯裁判終了後に日本側を追及するような態度は取っていません。
国際政治上の環境という要因もありますが、毛沢東時代の中共にとって南京事件をいちいち掘り起こして日本を非難する必要性はほとんど無かったわけです。
80年代以降に南京事件に言及し始めたきっかけは日本国内における南京事件否定論です。
“旧日本軍指導者の罪であり、一般の日本民衆には罪は無い”として戦後日本を追及しなかった中国の態度をいいことに、つけあがった日本の右翼が南京事件否定論をばら撒いたからそれに対抗して中共は南京事件を記念するようになったわけです。
その辺の文脈を全く無視するのは不適切です。
2.“「共産党が討論や質問を許さず、常に被害者が30万人だと繰り返し強調する」から南京事件はなかった”
この部分。
南京大虐殺のもう1つの疑問点は、共産党が討論や質問を許さず、常に被害者が30万人だと繰り返し強調するところだ。この数字は南京大虐殺記念館の石碑の上に刻まれてもいる。しかし、現在名前を確かめることができるはっきりした被害者のリストには、1万615人の名前があるだけだ。南京大学・南京大虐殺史研究所の張憲文(チャン・シェンウエン)所長によれば、本格的な統計作業が始まるのがかなり遅かったため、数十年前の被害者の情報を掘り起こすのは極めて困難だという。確かに数十年後に改めて調査することの難しさは理解できる。いかなる戦争や災害の被害者数もすべてはっきり調べなければならないはずなのに、どうやったらこのように厳粛な記念館の壁の上に30万人というはっきりしない数字を刻むことができるのか――物事の追求に厳格でまじめな日本人にしてみれば、そう思うのだろう。南京大虐殺記念館の陳列品や写真についても、日本の歴史学者は多くの間違いを発見している。
http://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2017/01/post-37.php
このように様々な問題の中でも、特に共産党が断固として疑問を受け付けない態度は、日本の右翼にさらなる自信を与えている。南京大虐殺を歴史的事実と認める日本の歴史学者が中国を訪れ、中国政府と交流して調査を始めるのを望んでいるのに、中国政府はそれを拒絶し続けている。そのことが、元谷代表と彼の友人たちが南京大虐殺をデマである、と信じる結果につながっている。討論も調査も許さないのなら、事実そのものが怪しいではないか!という訳だ。
ここでも辣椒氏は慎重に“南京事件はなかった”とは明言していませんが、「討論も調査も許さない」中共の態度のせいで、そう思われて当然だと突き放した表現をしています。
しかしですね、「討論も調査も許さない」のなら、南京大学の南京大虐殺史研究所というのは何をしているところなんですか?
張憲文所長についてはこういう記事があります。
2000年前後、南京大虐殺を否認する日本右翼勢力の言論が騒がしく飛び交っていた。中国社会科学院中日歴史研究センターは抗日戦争の死傷者数、物的被害、南京大虐殺史料という三大研究の実施を決定するとともに、張氏を南京大虐殺史料の収集、整理作業の責任者に決めた。
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2014-12/13/content_658706.htm
張氏は歴史研究関係者、書類関係者を含む110人近くの研究チームを組織し、10年間かけて日本、米国、英国など8カ国および中国の台湾地区を繰り返し訪れ、加害者側、被害者側、第三者側の一次資料を全面的に収集。2010年までに計4000万字、72巻の『南京大虐殺史料集』を相次いで刊行した。
これは現在世界で最も詳細で正確な南京大虐殺に関する史料集だ。元北京大学学長の呉樹青氏はこれについて「南京大学は国家のために計り知れない影響を及ぼす大きな事をした」と指摘した。張氏はこれを基礎に、チームを率いて3年間の努力を重ね、2012年12月に『南京大虐殺全史』を刊行。この重大な出来事に対する中国の学者の認識を全面的に明らかにし、日本右翼の謬論を深く批判した。
「史料に基づき歴史的事実を認めるべきであり、歴史を忘れてはならない」。心血を注いだこの力作について張氏は「歴史の真相を明らかにするのは、仕返しをするためではなく、歴史の教訓を受け入れ、友好的な未来を切り開くためだ」と述べた。(編集NA)
これを見る限り、少なくとも今はかなり力を入れて調査してますよね?
そもそも、辣椒氏の知識自体が更新されているとは思えません。辣椒氏は「被害者のリストには、1万615人の名前があるだけ」と書いてますが、2007年には13000人分が判明しています。
これも張憲文所長の仕事です。
http://www.china-news.co.jp/node/6220南京大虐殺犠牲者名簿8巻を出版、計1万3000人分を収録
12月 4, 2007
(中国通信=東京)南京3日発新華社電によると、「南京大虐殺史料集」55巻の重要な構成部分である「犠牲(殉難)同胞名簿」8巻が3日南京で出版された。この8巻の中には、計1万3000人の南京大虐殺犠牲同胞のかなり詳しい個人情報が収録されている。
2005年に「南京大虐殺史料集」28巻が出版されたのについで、南京大虐殺犠牲同胞70周年記念に際し、さらに27巻からなる「南京大虐殺史料集」が3日南京で初めて出版された。
新たに出版された史料集の中の「犠牲同胞名簿」8巻が多くの人々に注目されている。「犠牲同胞名簿」主要編集者である南京大学の姜良芹副教授は、2000年から、学者らは南京大虐殺「犠牲同胞名簿」の収集を始め、次々に編集したと述べた。
この名簿はカード方式で、公文書、口述資料および一般からの投稿などを基に、南京大虐殺犠牲者のかなり詳しい個人情報を収録しており、現在、収録されている犠牲者の情報カードは1万4961枚あり、重複調査者を除いて、今回の史料集には計1万3000人余りの個人情報が収録されている。
今回出版された名簿には、大虐殺の期間中に、日本軍が南京の市街地や近郊で、さまざまな方式で直接または間接的に殺害した罪のない民間人や武器を放棄した軍人が含まれている。
姜良芹氏は次のように説明している。「犠牲同胞名簿」に収録された南京大虐殺犠牲者の個人情報はかなり詳細なものであり、姓名、性別、年齢、本籍、住所、職業、殺された時期、場所、方法、調査者、陳述者などが含まれている。各犠牲者の名簿にはすべて史料と出所が揃っている。
年代が古いことや戦乱など多くの理由により、南京大虐殺同胞名簿の収録活動は困難をきわめた。1960年代以降、南京大学、南京師範大学、南京宇宙航空大学などの学生、侵華日軍(旧日本軍)南京大虐殺犠牲同胞記念館、南京党史部門および歴史学専門家が努力を傾けて入念な資料収集活動を進め、今回の名簿出版に条件をもたらした。
「南京大虐殺史料集」監修者で、南京大学南京大虐殺史研究所所長の張憲文氏は、南京大虐殺の具体的人数に関しては、極東国際軍事法廷と南京軍事法廷に、それぞれ明確な法的判定があり、疑いの余地はないと述べた。
「今回の犠牲者名簿出版は始まりに過ぎない」、「われわれは南京大虐殺犠牲同胞名簿の収集作業を継続する」、張憲文氏はこう語った。
去年(2016年)12月の報道ではこういうのもありました。
http://www.infochina.jp/jp/index.php?m=content&c=index&a=show&catid=10&id=148973年目の南京大虐殺犠牲者国家追悼日 悲痛な記憶から何を学ぶべきか?
2016/12/13 15:13
(略)
易周氏、崔正桂、殷玉漢――10日午前、南京大虐殺の犠牲者の氏名が記された壁に、新たに110人の氏名が加わった。
79年が過ぎ、犠牲者の登録作業が難航している。しかしこれは研究者が取り組むべき課題だ。南京大虐殺歴史研究専門家の張生氏は「すべての名がかつて、温かい命と幸福な家庭を持っていた」と述べた。
個人の命を尊重し、愛国心を継承し、民族復興の偉大なる力を集める。これは国家追悼式の要義だ。
家族の記憶を伝承するため、記念館は国家追悼日の設立後、毎年の12月上旬に家族による追悼式を行っている。南京大虐殺の生存者である艾義英さん、楊翠英さん、路洪才さん、陳桂香さんは9日と10日に家族を連れ、記念館の「嘆きの壁」の前で日本軍に虐殺された家族を共に追悼した。
南京大虐殺の107人の生存者を喜ばせているのは、中国の台頭により中華民族が外国人に支配される時代が、過去のものになったことだ。張館長は「犠牲者を追悼し、歴史を振り返る特殊な時期に、我々は災いの記憶から愛国心を汲み取り、民族復興の向上心を強めるべきだ」と語った。
これらを見る限り、単に辣椒氏が不勉強なだけではないですかね?
なぜこれらが「アパホテルを糾弾する前に中国共産党がやるべきこと」なのか?
最後の部分も意味不明です。
実際、その真実について議論や質問が許されない中国の歴史はかなり多い。いくつか例を挙げてみよう。58年から62年にかけて起きた全国的な大飢饉についてだが、共産党はその研究を禁止しているため、学者は正確な統計データが入手できず、死者数は1650万人から6000万人まで定まらない。文化大革命も同様に研究が禁止されているので、正確な統計が不足し、死者数は100万人から2000万人までさまざまな説が存在する。共産党軍が国民党軍の支配する長春を包囲し、多数の餓死者が出た48年の「長春包囲戦」や、89年の天安門事件も同じだ。
http://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2017/01/post-37.php
中国では研究が禁止されている近現代史の分野が多く、犠牲者数も多い。そのことは、南京大虐殺そのものより深刻だ。そして、共産党の南京大虐殺に対する疑わしい態度は、日本の右翼に対する世論の支持に貢献している。共産党は元谷代表を厳しく非難してボイコットする前に、自分たちの歴史をよく見直すべきだ――私はそう思う。
「共産党はその研究を禁止している」というのが、そもそも事実なのか疑問ですが仮にそうだとして、なぜそれらをやらないとアパホテルを糾弾できないのか、その理屈が全く不明です。中共が長春包囲戦や大躍進や文化大革命や天安門事件に向き合わないからといって、南京事件を否定し、生存者を侮辱し、中国人を差別する行為が許されると辣椒氏は考えているのでしょうか?
それに「日本の右翼に対する世論の支持に貢献している」のは「共産党の南京大虐殺に対する疑わしい態度」ではなく、地道に研究している中国の研究者の存在を辣椒氏のような連中が無視して日本国内に紹介しないからではないですかね?