「支援があっても、「危険」は回避できない―監視付き面会交流は、子どもの利益か?」という記事を千田有紀氏があげています。
内容についても色々言いたいことはあるんですが、とりあえずタイトルの「支援があっても、「危険」は回避できない」の部分について指摘します。
この部分は要するに、“面会交流にあたって監視付などの支援があっても回避できない危険があるから、面会交流は禁止すべきだ”という千田氏の主張です。これ自体がひどい印象操作ですが、それは別記事に譲るとして、ここでは千田氏のダブルスタンダードを指摘しておきます。
以前、私は、大阪二児遺棄致死事件について面会交流がされていれば、子どもを助けることができたという記事を書きました。
それに対して、千田氏はこう書いています。
千田有紀 @chitaponta
https://twitter.com/chitaponta/status/842130302596141057
高卒で勤務経験もなく、子育ては無理という彼女に親権を押し付け、助けを無視し、子どもの誕生日に連絡もしなかった元夫。生きるための売春で性暴力のトラウマを再燃させ、解離性人格障害を悪化させた彼女に必要だったのは、養育費や社会からの援助で、元夫からの監視ではない。モラハラ思考そのもの。
このツイートに対する事実誤認や曲解については以前書いていますので繰り返しません。ここでの問題は千田氏が、
大阪二児遺棄致死事件に対して、“面会交流は不要、「養育費や社会からの援助」が必要だった、と主張している点です。
20代そこそこの元夫からの養育費では大した額にはなりようがありません。元夫が餓死寸前の状態で資金援助し続けるべきだったとでも主張しない限り、養育費があれば事件を回避できたとは言えません。「社会からの援助」についても、行政にできることにもリソース上、限界があります。
つまり、大阪二児遺棄致死事件は、「養育費や社会からの援助」があったとしても回避できなかった可能性の方が高いんですよね。にもかかわらず、千田氏は「元夫からの監視ではない」と面会交流を拒絶しており、現在「危険」にさらされている母子家庭を何ら代案なく放置することを推奨しているわけです。
・面会交流は支援があっても危険だからやめろ。
・母子家庭内での虐待・ネグレクト対策は支援だけで十分だから面会交流はやめろ。
千田氏の主張で一貫しているのは面会交流反対の一点だけで、子どもの安全とか福祉とかではないとしか思えませんよ。