「河野談話」「アジア女性基金」以後の日本は誠実だったのか?

例の報告書ですが、作成者が日本政府である以上、自己弁護の性質を持つのは当然ではあります。そのため、報告書は“純真無垢でバカ正直な”日本政府は誠実に対応したものの、韓国側が誠意を踏みにじった、と言ったトーンで貫かれています。特に挺対協などの団体に責任を押し付けようとする論調が露骨です。

(P16)
(1)一方,韓国国内の被害者支援団体は,「基金」を民間団体による慰労金と位置づけ,日本政府及び「基金」の取組を批判した。これを受け,翌7月には,韓国政府は,官房長官発表を韓国外務部としては評価する声明を出したが,その後被害者支援団体から韓国外務部に強い反発がきて困っている,このような事情からも表立って日本政府と協力することは難しいが,水面下では日本政府と協力していきたいとの立場が示された。
(2)1996年7月,「基金」は,「償い金」の支給,総理による「お詫びの手紙」,医療福祉事業を決定した。特に総理からの「お詫びの手紙」については,韓国政府から,日本政府は韓国政府に対してお詫びをしているが,被害者は個人的にはお詫びをしてもらってないと感じているという反応もあり,お詫びを表明するに当たっては総理による手紙という形をとることとなった。こうした決定を,日本政府から韓国側に説明するために,韓国政府を通じ遺族会及び挺対協に対して面談を申し入れたが,「民間基金」を受け入れることはできないとの見解が両団体から示された。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000042168.pdf

加藤談話(1992年)までの経緯について以下のように感想を述べる人もいます。

長田達治(おさだ・たつじ) @osada_tatsuji 2014-06-20 21:19:03
加藤談話までを読んだが、日本政府が韓国政府に異常に気を遣っている痛々しい姿が描かれていて驚いた。この時代はそういう時代だったのだろう。冷戦が終わり盧泰愚は北方外交で中国を見詰めていた時期。日本よりも高みに位置したかった時期なのだろう。日本政府はその戦略を見抜けなかったのだろうね。

http://togetter.com/li/682602?page=2

しかし、日本が韓国に異常に気を遣っていた、という評価は、この報告書の作成者が日本政府であることを忘却しすぎという他ありません。挺対協などが強硬であり、日本政府が強く出れなかったのには、報告書には書かれていないそれなりの背景があります。

たて続いた閣僚の暴言

1994年5月5日、羽田内閣の永野法務大臣がインタビューで、“大東亜戦争侵略戦争ではなかった”、“南京大虐殺はでっち上げ”、“慰安婦は公娼では女性蔑視でも韓国人差別でもない”と歴史修正主義三点セットを全開しました。直ちに更迭されましたが、河野談話以後、従軍慰安婦問題の具体的な補償を検討している時期でのこのような閣僚発言が、元慰安婦や支援者にどう受け取られたかは容易に想像できます。

その3ヵ月後、終戦記念日間近の1994年8月12日に、今度は村山内閣の桜井環境庁長官が、“日本は侵略戦争をしようと思って戦ったのではない。むしろアジアはそのおかげで植民地支配から解放された”とまたも歴史修正主義発言。これも更迭されましたが、日本の植民地にされていた韓国で、この発言がどのように受け止められたか、これも容易に想像できます。

さらに2ヶ月後の1994年10月24日、橋本通産大臣が“(アジア太平洋戦争が)侵略戦争と言い得たかどうか疑問”と発言して問題化。

辛うじて、1995年6月にアジア女性基金設立に至りましたが、その2ヶ月後の1995年8月に島村文部大臣が“侵略戦争かどうかは考え方の問題”と発言しています。

そしてその2ヵ月後の1995年10月には、江藤総務庁長官が“植民地時代、日本は韓国に良いこともした”と発言して問題化しています。結局は辞任しましたが、植民地時代におきた慰安婦制度という性奴隷問題について1993年8月に河野談話で謝罪し、1995年6月にアジア女性基金という形で補償しようとしている状況下で、このバカげた発言をしたわけで、一体、このような発言が日本政府閣僚から繰り返されている状況で挺対協などの支援者たちが日本の何を信じればいいのか、と思って当たり前でしょう。

「韓国政府を通じ遺族会及び挺対協に対して面談を申し入れたが,「民間基金」を受け入れることはできないとの見解が両団体から示された」という1996年7月ですが、この直前の1996年5月には、自民党の板垣正参院議員が“未成年の女性を強制的に慰安婦として働かせたこと”を否定し、6月に元慰安婦が板垣議員に面会し被害を訴えたものの、板垣氏は「カネもらったんだろう」と何度も侮辱しています。
同じ1996年6月には、奥野元法務大臣が“慰安婦は商行為であって強制はない”と主張し、賛同する議員らを116人で議員連盟を結成しています。
こういう日本国内の動きに対して、当時の橋本首相は記者から質問に対して、回答を拒否して事実上、奥野議員らの議員連盟を黙認しました。*1

河野談話では以下のように述べられています。

政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

http://fightforjustice.info/?page_id=2475#kounodanwa

1996年6月までの日本政府閣僚・政治家らの暴言とそれに対する日本政府の対応から「心からお詫びと反省の気持ち」を読み取ることができるでしょうか?「歴史の教訓として直視して」いると言えるでしょうか?「同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を感じ取れるでしょうか?

日本政府は口先だけ美辞麗句を述べているものの、本音は日本国内で蔓延している永野、桜井、橋本、江藤、板垣、奥野らの暴言通りだろう、と考えて当然でしょう。

歴史を見る際には政府の公式発表だけではなく、その背景にあった非公式発言などを踏まえる必要があります。まして、これらの話はまだ高々20年前の話に過ぎず、ある程度の年代の人であれば肌感覚としても記憶しているはずです。いや、忘れっぽい日本人ならでは、ということでしょうかね。