犠牲者数の推移

南京事件は、1937年12月の南京陥落前後から数週間にわたって中国軍捕虜及び民間人を日本軍が虐殺したり、暴行・略奪・強姦を繰り返した事件の総称です。虐殺された犠牲者数は10万〜30万人以上とされています。日本政府は虐殺の事実については渋々ながら認めているものの、人数は特定できないとして責任の軽減を目論む言動に終始しています。
日本国内では、犠牲者皆無を主張する異常な歴史修正主義者以外の言論人の多くは、事件の事実自体は認めているものの数は不明あるいは著しく僅少であると示唆しています。そもそも武装解除して拘束した捕虜を裁判なしで殺害しても虐殺ではないと主張する人も少なくありません。
現在の日本社会では、自衛隊員が中東やアフリカで拘束したゲリラやテロリストをなぶり殺しにしても違法ではないと擁護されるでしょう。自衛隊派兵の障害になる日本人人質でさえ容易に見殺しにし、運よく生きて帰っても歓迎どころか罵声と中傷と莫大な費用請求で脅される“美しい”社会です。

それはさておき、南京事件犠牲者数について、「30万ということは昔は言っていなかった。途中から言いはじめたりしている」などとデタラメを言う論者が急増しています。彼らの特徴は二つあり、ひとつはろくに資料を調べることなくネット上の根拠不明の話を鵜呑みにするリテラシーの低さであり、もう一つは視聴者を喜ばせる内容であれば根拠も良識も倫理も正義も捨て去って恥じないメディアに自らを売り込む方法に長けていることです。
資本主義社会におけるメディアの商業主義、良識よりも自己利益を優先する論者、克己よりも慰撫を求める大衆、と言った三位一体の衆愚が日本社会をこの半世紀間で最低の民度にまで貶めました。「不断の努力」を忘れた国民から憲法が奪われるのも時間の問題でしょうが、まあここでは南京事件の犠牲者数について過去どのように主張されてきたのかを簡単に書いておきます。どうせ読まない/理解できないでしょうけど。

前段

日中戦争は1937年7月の盧溝橋事件から始まります*1中華民国の首都南京が攻略されたのは開戦から半年後の1937年12月です。南京陥落前後から占領後の1938年4月頃まで、日本軍は攻防戦での戦闘殺害以外に捕虜とした中国軍兵士を多く虐殺しました。敗走した中国軍兵士と疑われた民間人の多くも虐殺され、占領日本軍の略奪・強姦・暴行に伴って殺害された民間人も数多くいました。事件は占領直後の1937年12月に多く発生し、その後徐々に減りましたが、収まったと言えるのは1938年3月頃まで待たねばなりませんでした。
犠牲者が相当数に上ることは当時でも認識されていましたが、1937年12月1945年8月までの日本軍占領下*2では公式の被害調査は行われず、調査ができるようになったのは事件発生から8年後のことでした。

1945年12月の認識

終戦直後の国民政府の認識です。当時まだ調査中でしたので、大雑把な推定と言えるでしょうが、虐殺犠牲者数は43万人と言われていました。

(「近代戦史の謎 (1967年)」洞富雄、1967年、P134)
 『改造日報』の一九四五年十二月二十四日号によれば、虐殺された者の総数は四三万名(うち第六師団[谷司令官]によるもの二三万名、第一六師団[中島司令官]によるもの一四万名、第○○師団[住吉司令官]その他の部隊によるもの六万名)であるとされている(昭和三一年六月発行『特集人物往来』掲載、島田勝己「南京攻略戦と虐殺事件」)。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20131220/1387562247

南京軍事法廷(1947年3月判決)当時の認識

1947年3月に判決が出た南京軍事法廷では、南京事件犠牲者数を集団虐殺19万人以上、個別の虐殺15万人以上で総数は30万人以上に達すると認定されました。これが蒋介石の国民政府、毛沢東中共政府を通した中国側の公式見解となっています。

 調査によれば虐殺が最もひどかった時期はこの二十六年十二月十二日から同月の二十一日までであり、それはまた谷壽夫部隊の南京駐留の期間内である。中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。死体が大地をおおいつくし、悲惨きわまりないものであった。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

東京裁判(1948年11月判決)当時の認識

1948年11月に判決が出た極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判南京事件について裁かれました。調査資料は裁判中にも続々と提出され、凡その内訳がわかった犠牲者数で11万9000人以上、それ以降の提出資料を加味すると20万人以上の犠牲者が出たと認定されています。

Estimates made at a later date indicate that the total number of civilians and prisoners of war murdered in Nanking and its vicinity during the first six weeks of the Japanese occupation was over 200,000. That these estimates are not exaggerated is borne out by the fact that burial societies and other organizations counted more than 155,000 bodies which they buried.

http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120311/1331483282

蒋介石秘録(1976年12月出版)当時の認識

産経新聞が反中プロパガンダを目的として、蒋介石秘録12を出版したのが1976年12月です。産経新聞としては薮蛇になったと言えますが、なおも大陸反攻*3を悲願とする蒋介石による反中プロパガンダとして日本の反共右翼には重宝されました。一方で蒋介石にとっては自らが大陸での中国軍最高指揮官だった当時に南京占領とそれに続いて引き起こされた南京大虐殺は忘れることのできない事件でした。

蒋介石秘録12 日中全面戦争」P69-70

こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は二ヵ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。
倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。
 それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。』(一九三八年一月二十二日の日記)

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120226/1330258512

南京大虐殺記念館(1985年開館)当時の認識

よく知られているように、南京大虐殺記念館には犠牲者30万人と掲げられています。

まとめ

年代 ソース 犠牲者数表記
1945年 改造日報 43万人
1947年 南京軍事法廷判決 30万人以上
1948年 東京裁判判決 20万人以上
1976年 蒋介石秘録 30万〜40万人
1985年 南京大虐殺記念館 30万人

見ての通り、中国側は戦後南京を日本軍の手から取り戻して以降、一貫して南京事件での虐殺犠牲者数を30万〜40万人程度として表明しています。人数の幅は検察側主張と裁判認定という基準の違いに過ぎません。強いて言えば東京裁判判決での「20万人以上」と言うのが数字として少なめに出されている程度ですが、これは中国政府の公式見解と言うわけでもなく、また30万人を否定しているわけでもありません。中国側の見解としては一貫して30万〜40万人程度であることに変わりはなく、国際的な認識としても、東京裁判で内訳のわかる犠牲者数約10万人を下限とし、上は中国側見解の30万人以上となるのが一般的です。

ブリタニカ

Nanjing Massacre, conventional Nanking Massacre, also called Rape of Nanjing, (December 1937–January 1938), mass killing and ravaging of Chinese citizens and capitulated soldiers by soldiers of the Japanese Imperial Army after its seizure of Nanjing, China, on Dec. 13, 1937, during the Sino-Japanese War that preceded World War II. The number of Chinese killed in the massacre has been subject to much debate, with most estimates ranging from 100,000 to more than 300,000.

http://www.britannica.com/EBchecked/topic/402618/Nanjing-Massacre
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120301/1330608799

「30万ということは昔は言っていなかった。途中から言いはじめたりしている。」などと平気でデタラメを垂れ流す論者には消えてほしいところですが、事実よりも幻想が大事、嘘も100回言えば真実になる、と思っている人たちには受けるんでしょうね。

*1:諸説あるものの、一般的な見解として。

*2:汪兆銘政権下含む

*3:台湾にある蒋介石率いる国民政府が大陸に上陸し共産党軍を倒して再び中国全土に君臨すること。