木村幹氏はこんなツイートをしています。
Kan Kimura @kankimura
ここからはサービス。「河野談話のABC」は結局、何だったのかのここまでの答え。A)河野談話は結論先にありきで作られている(だから議論になっている)、B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている(だから変えられない)。さて、C)が何になるかは、じっくりとお考え下さい。
「慰安婦問題は「とりあえず謝っておけばどうにかなるだろう」から始まった」の要約
1・日韓会談の直前に朝日新聞が「慰安婦への軍関与示す資料示す資料」と報道した(1992年1月)
2・1ヶ月前に「政府が慰安婦問題に関与した資料は見つかっていない」と発言していた日本政府はパニックに陥り、日韓会談で「お詫び」と「反省」を繰り返した
3・「軍関与」=「強制連行」でもなければ、「軍関与」=「日本政府の責任」でもないにもかかわらず、日韓会談で「お詫び」したことで調査せざるを得なくなった
4・しかし調査しても「国の責任」を認める証拠が見つからなかったし、「国の責任」が何なのかすらわからなかった
5・しかし一度「お詫び」したため、河野談話を出さざるを得なかった
「5」が「A)河野談話は結論先にありきで作られている」という結論になっています。
「河野談話はどこで「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」の要約
1・日本政府は加藤談話で謝罪し補償の代替措置を認めた
2・しかし朝鮮人慰安婦に対しては補償の根拠となる「強制」がなかった
3・やむなく朝鮮人以外の慰安婦にも調査範囲を広げた
4・朝鮮人以外の慰安婦には「強制」があり、それを踏まえて河野談話とアジア女性基金で謝罪・補償した
5・しかし朝鮮人以外の慰安婦の「強制」は「連合国の戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった
「5」が「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」という結論になっています。
問題点
「A)河野談話は結論先にありきで作られている」も「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」も、それだけなら取り立てて問題視するような結論ではありません。
木村氏記事の問題点はその結論に至る過程の部分にあります。
日本政府管理下で強制売春や性的人身売買が行われていたにも関わらず、「「軍関与」=「日本政府の責任」でもない」とか調査しても「国の責任」を認める証拠が見つからなかったとか呆れざるを得ませんが、まあそこは100歩譲れなくもありません。
しかし、二本目の記事の方の過程の部分は看過できるものではありません。
前記事で指摘したように「朝鮮人以外の慰安婦に対しては「強制」を認めるが、朝鮮人慰安婦に対しては「強制性」はなかった」*1朝鮮人慰安婦に対しては謝罪も補償も必要ない、という主張に他ならず露骨な朝鮮人差別と言わざるを得ません。
「A)河野談話は結論先にありきで作られている」や「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」という結論を導くのに、このようにレイシズムに満ちた過程を持ってくる必要などそもそもありません。
「A)河野談話は結論先にありきで作られている」となる理由
1・慰安婦問題が顕在化すると日本政府は「政府は関与していない」と否定しはじめた
2・日韓会談の直前に朝日新聞が「慰安婦への軍関与示す資料示す資料」と報道した(1992年1月)
3・政府関与下で人身売買被害者が売春を強要されていたことが明らかになり、被害者も名乗り出ていた以上、何らかの形で謝罪せざるを得なくなった
4・被害者が売春を強制されたことについて日本が責任を認めた形の謝罪という「結論先にありき」で最終的に河野談話に至った
「A)河野談話は結論先にありきで作られている」というのが、こういう意味でなら素直に納得できます。
「B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている」となる理由
1・日本政府は加藤談話で売春強制の責任を認めなかった
2・韓国以外のアジアにも慰安婦問題が拡大しはじめた
3・やむなくアジア全域にも調査範囲を広げた
4・慰安婦問題を鎮静化させるために「強制」を認め、それを踏まえて河野談話とアジア女性基金で謝罪・補償した
5・河野談話には国際軍事裁判の判決という「連合国の戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった
こちらもこういう意味でなら「変える事が不可能な構造になっている」という結論に素直に承知できます。
木村氏記事の問題点は結論部分ではなく、結論に至る過程の論理に歴史修正主義やレイシズムが含まれている点にあります。
さて、C)が何になるかは、じっくりと待つとしましょう。