河野談話はどこで“強制連行の有無”の問題へとすり替わったのか・2(木村幹氏の記事の問題点)

河野談話はどこで「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」関連の続き(前記事)。

さてでは、結局、日本政府はこの問題をどう「解決」しようとしたのだろうか。このことを理解するためには、この時出された「加藤談話」の内容を、最終的に出されることになる河野談話と比べてみるとわかりやすい。加藤談話の表題は「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表」、内容も朝鮮半島から動員された慰安婦に関わるものに限定された形になっている。対して翌1993年8月に発表される河野談話の表題は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、内容も朝鮮半島のみならず、中国大陸や東南アジア諸国などをも含んだ広い地域から動員された人々を対象とするものになっている。
つまり、加藤談話が出された1992年7月から、河野談話の出される1993年8月のまでの間に、慰安婦問題はいつの間にか、対象と性格を異にするものになってしまっていることである。そして実は、どうしてこのように問題の性格が変わってしまったのか、当時の政府関係者がきちんとした形で説明したことは一度もない。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここもおかしい、あるいは説明が不十分で、まず、加藤談話の次の段落を見れば、必ずしも朝鮮半島限定でないことがわかります。

 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html

そもそも、従軍慰安婦問題はアジア太平洋戦争にあたって日本軍用性奴隷として動員された事案ですから最初から戦後処理の問題です。木村氏は「連合国の戦後処理」にすりかえたと主張していますが、加藤談話の直後、インドネシア政府が日本政府を非難する声明を出していること*1をどう評価しているのでしょうか?加藤談話直後の1992年7月にインドネシアから慰安婦問題に関する声明が出ている以上、対象範囲を広げざるを得ないのは当たり前のことで、タイトルにあるような「「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わった」と表現する意図は何なのでしょうか?

もちろん、その理由を想像することは出来る。その一つは既に慰安婦問題が韓国のみならず、日本による軍事占領などを経験した他の国々関心をも集める問題となっており、その一部では訴訟も開始される事態になっていたからである。しかし、当時の関係者の回顧などから推測できることがもう一つある。それは韓国政府や日韓両国の世論から慰安婦動員過程における「強制性」の立証性を求められた日本政府が、調査対象の範囲を広げることによりこの問題を解決しようとしたのではないか、ということである。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

木村氏はここで「日本による軍事占領などを経験した他の国々関心をも集める問題となって」いたことを軽視し、“朝鮮半島の事例からは「慰安婦動員過程における「強制性」」を立証できなかったからやむなく「強制性」を立証できる事例を含めるように範囲を広げた”という説を選択しています。ちなみに「当時の関係者」がそのように回顧していたとしても、それこそ言い訳に過ぎません。加藤談話の時点で調査・公表したのは加藤談話を見る限り、文書史料のみです。“民間女性を不法に拉致して売春を強要せよ”などという命令書を行政機関が発行することなどありえませんから、本気で「強制性」を立証したいのなら、当時の関係者を探して事実関係を聴取する必要がありました。それも単純な聞き取りではなく、慰安婦らの自由意志を同確認したのか、それをどう証明するのか、を含めて聴取する必要があったでしょう。しかし、加藤談話当時の日本政府はそのような聴取をしていません。戦中20〜30代だった関係者は1990年代当時70〜80代で存命の人も少なくなかったはずです*2。その人たちに慰安婦らの自由意志をどうやって確認したのか、を聴取し、国家の瑕疵と言えないレベルでの対応がなされていたことが立証できなければ「強制」があったとみなす、そういうやり方で「強制性」は立証できたでしょう。「強制性」の立証に積極的であれば、それは容易にできたのに、その手段は採らずに、慰安婦問題の関係地域を拡大したというのは、当事者の言い訳や強弁としてならともかく、在野の研究者が採用する解釈としては曲解もいいところだと思います。

実際、当時官房副長官を務めていた石原信雄は2006年のインタビューにて、この加藤談話への批判がきっかけで「沖縄やアメリカの公文書館など、海外にまで広げて、外務省は大使館と連携を取って、徹底的に調べ」ることになった、と回想している。比喩的に言うなら、ストライクの入らないピッチャーがストライクゾーンを広げることにより、何とか野球になるようになった、ということになる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

まあ、そもそも加藤談話以前にアメリカ公文書館を調べるということをしていない方が驚愕ですよね。加藤談話の半年前の1991年12月21日には駐米韓国大使館が、日本軍が朝鮮人従軍慰安婦の管理に関与した内容の米軍の調査報告書を発見したと報道されています*3。このような報道を見ても、米公文書館を日本側も調べるという発想が出来なかったとしたら間抜けすぎです。実態としては、単に日本政府にやる気がなかったということでしょう。木村氏は「日本政府がそれまで明らかに手抜きをしていた調査を、92年1月の日韓会談の後本格化」させた」*4と言っていますが、本格化した調査が行われた1992年1月〜7月の間に誰もアメリカ公文書館を調べることを思いつきもしなかったのでしょうか?
実際のところ「92年1月の日韓会談の後」ですら日本政府は「手抜きをしていた」のではないのでしょうか?その辺、詳しい木村氏の解説がほしいところですね*5

重要なのは、意図的にせよそうでないにせよ、これにより、結果として出される河野談話の性格が、日韓間の関係を大きく超える存在となってしまったことだった。戦前の朝鮮半島は日本の植民地だったから、その戦後処理は基本的には日韓両国のみに関わる問題であるから、独自に解決することもできる。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここはまあそうでしょうね。1990年前後の日韓間の大きな歴史問題としては朝鮮人強制連行の問題がありました。慰安婦問題はそれと一緒に取りざたされることが多く、日本政府がその気なら、その枠組みで解決させることもできたでしょうが、奥野・藤尾両議員に代表される歴史修正主義者が与党内に跋扈している状態では政治的に無理だったでしょうね。

しかしながら、それが旧オランダ領インドなど、旧連合国地域から動員された慰安婦をも対象としたことにより、問題の性格は大きく変わってしまうことになった。その含意は二つある。一つ目は、旧オランダ領インドにおける「スマラン事件」に代表されるように、朝鮮半島外の地域においては、慰安婦が「強制連行」されたことが明らかな事例が幾つか存在すること、そして、二つ目は、旧連合国地域においては、その「強制連行」有無の判断が連合国による戦後処理の一環として行われていることである。
それは言い換えるなら次のようになる。河野談話に至るまでの過程で「ストライクゾーン」を広げた結果、確かに慰安婦問題における「強制連行」に関わる事例は確保できた。しかしながらこの結果、同時に日本は慰安婦問題における議論に旧連合国と、彼らによって行われた国際軍事裁判の結果をも含むこととなってしまった。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

問題の性格は国家が関与した強制売春であって当初から一貫しています*6。労務動員における強制連行も慰安婦問題における強制連行も、主眼は連行という動員過程にあるのではなく、劣悪過酷な労務を強要される場所や売春を強要される場所に連行されたという動員結果にあります。たとえ日本兵が直接銃を突きつけ連行したとしても、連行先ですぐに警察・憲兵に救助され帰宅できたのなら、軍による強制連行ではあっても組織犯罪という追及はされません*7

「強制連行」という言葉

1990年当時、「強制連行」と言えば従軍慰安婦のほかに、朝鮮人や中国人に対する戦時労務動員を指す言葉として既に知られていました。朝鮮人強制連行に関する古典的書籍である「朝鮮人強制連行の記録」は1965年の出版ですが、この時点で既に「強制連行」を直接的暴力での連行や法的強制力での連行に限定していませんでした。戦時労務動員問題と重なる時期に扱われたにも関わらず慰安婦問題に対してだけ「強制連行」を直接的暴力での連行に限定し、「慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与を含む史料は含まれていなかったこと」を厄介視すること自体おかしな話です。
単に日本政府は調査にあたって、日本政府の責任を回避・矮小化するために条件を徹底的に厳格化し、そこから外れた事例は一切無関係として無視したかっただけでしょう。加藤談話の時点でもその態度は如実に表れており、加害性に無関係な間接的関与のみであるかのように偽装したに過ぎません。
なお、繰り返しですが加藤談話以降、河野談話までに対象地域が広がったのは、加藤談話直後のインドネシア政府からの抗議に見られるように実際に被害にあった地域、特に占領・軍政で慰安婦問題以外にも多くの被害を受けた地域からの声があり、それを無視できなかっただけと考えて大過ないでしょう。

このことの意味はやはり「スマラン事件」の例を考えればわかりやすい。この事件における日本軍によるオランダ人慰安婦の強制連行の認定は、バタビアに設置された臨時軍法会議によって行われ、結果、日本人元軍人の一人に死刑が宣告されている。典型的な旧連合国による国際軍事裁判の結果の一つである。
そして、ここで忘れてはならないことは、日本政府はサンフランシスコ講和条約において、これら旧連合国が行った一連の国際軍事裁判の結果を「受諾」する義務を負っていることである。もちろん、この義務の範囲については論争が存在するものの、重要なことは結果として、「河野談話に挑戦すること」が旧連合国による戦後処理に対する挑戦、つまり「国際軍事裁判の受諾」に関わる問題になってしまったことである。同じ野球の比喩を使うなら、ストライクゾーンを広げた代わりに、日本政府は旧連合国という異なる「審判」を迎えてしまうことになったわけである。
結果として、河野談話はその成立に至る過程の著しい不透明さにもかかわらず、「強制連行」された事例を確保し、しかも、それが旧連合国による「動かし難い裁判結果」により支えられることで、一定の持続性を確保することができた。現在の日本政府の、成立過程については再検証するものの、談話の文言を見直すことはないう、一見矛盾した姿勢の背景にも、このような談話の独特の成り立ちと構造がある。
しかし、そのことこそが逆に、日本国内における異なるフラストレーションを高めさせる効果をも持つこととなっていくのである。

http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html

ここで木村氏が描いたのは、“朝鮮人慰安婦に対して「強制連行」しておらず、謝罪すべきことも補償すべきことも一切ない”無垢で間抜けな日本政府が、袋小路に迷い込んだという非現実的なストーリーですが、さすがにそれは日本政府を舐め過ぎてるんじゃないでしょうか。

木村氏の主張

木村氏説では、加藤談話から河野談話へと至る過程で国際軍事裁判で裁かれたスマラン事件などを含むようになったため、河野談話を変えることができなくなった、ということになっています。それは“連合国にとって「動かし難い裁判結果」を否定する行為は認められないから”という理屈です。
しかし、この理屈によるなら“朝鮮人以外の慰安婦に対しては「強制」を認めるが、朝鮮人慰安婦に対しては「強制性」はなかった”という形に河野談話を変えることはできることになりますね。
そこまで言わずとも、河野談話朝鮮人慰安婦に対しては「強制」を認めていない談話だという主張であることは間違いありません。河野談話という盾で旧連合国からの批判をかわしながら、韓国・朝鮮人に対しては侮辱と二次強姦をこれまで通り続けて構わない、という論拠になる主張です。

河野談話はどこで「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」という記事を要約するとこうなります。

・日本政府は加藤談話で謝罪し補償の代替措置を認めた
・しかし朝鮮人慰安婦に対しては補償の根拠となる「強制」がなかった
・やむなく朝鮮人以外の慰安婦にも調査範囲を広げた
朝鮮人以外の慰安婦には「強制」があり、それを踏まえて河野談話アジア女性基金で謝罪・補償した
・しかし朝鮮人以外の慰安婦の「強制」は「連合国の戦後処理」を含む問題であり、河野談話が変更できなくなった

木村氏が言いたいことは上記と解釈できますが、違うと言うなら反論してほしいところです。

Kan Kimura ‏@kankimura
ここからはサービス。「河野談話のABC」は結局、何だったのかのここまでの答え。A)河野談話は結論先にありきで作られている(だから議論になっている)、B)にも拘らず変える事が不可能な構造になっている(だから変えられない)。さて、C)が何になるかは、じっくりとお考え下さい。

と言ってるようですので、多分間違ってないでしょう。
この木村氏説からは当然に、朝鮮人慰安婦に対しては謝罪や補償の根拠となる「強制」がない、にもかかわらず日本政府は朝鮮人慰安婦らに謝罪・補償してやった、という認識が生まれます。
そういう認識で発言している排外主義者はたくさんいますが、木村氏の記事は彼らに餌を与えたようなものです。

私が木村氏の記事を問題だと指摘した理由がこれです。

まあ、理解はしてもらえそうにありませんが。

*1:インドネシア「非難声明、穏当にした」 慰安婦問題」朝日2013年10月13日11時02分 http://digital.asahi.com/articles/TKY201310120358.html

*2:河野談話時点では当時の警察関係者などに聴取しているが、加藤談話時点でも聴取されていたかはよくわかりません。

*3:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140408/1396883009

*4:https://twitter.com/kankimura/status/454074415609679872

*5:私向けなのかどうかわかりませんが、「自分で調べようともせずに、偉そうに「史料を出せ」と人に要求する、と言うのは、人間としてどうか、と思うぞ。」とか言ってるのを見ると期待できなさそうですが。

*6:木村氏の言う「問題の性格」とは慰安婦問題の人権的側面ではなく、外交的側面として日韓間の問題が旧連合国と日本との問題に変わった、という意図だと思われますが、「言説を文脈で解釈する」(https://twitter.com/kankimura/status/454516633126457344)という割には、文脈がお粗末だと思いますね。

*7:同様の事態が頻発していれば、再発防止策の不作為で追及されるでしょうが。