木村幹氏の記事に関連して

「強制連行の有無」は今でも重要な論点なのか
まあ、結論としては妥当なものに落ち着いていますし、前回、特に第2回記事に見られたような結論に至る過程での問題も少なく安心しました。前半部分に気になるところもありますが、第2回までに書いてきた流れ上、面子としてやむをえないところもあるでしょうし、前回までの指摘とも重複しますので、今回特に取り上げないこととします。

それとは別に、私の見解として簡単に書いておきます。
1960年代には既に労務動員における強制連行問題は、直接的暴力や法的強制を伴う連行に限定されておらず、また連行行為そのものより連行された先での劣悪な環境における強制労働が大きな論点となっていました。「強制連行」という文言に明示されている「連行」だけが問題なのではないというのは、少なくともこの問題を訴えている者からすれば常識的な話でした。これに対して日本政府は、「徴用」という法的強制を伴う連行のみを「強制連行」とみなすかのような態度に終始しましたが、この記事ではそれに踏み込まないことにします。
慰安婦問題は労務動員における強制連行問題に付随する形で問題として取り上げられました*1。この流れで“従軍慰安婦の強制連行”というタームが出来てきます。
しかし、もちろん問題を訴えていた人たちは、慰安婦が“直接的な暴力によって強制された”ことのみが論点であるなどとは思っていませんでした。詐欺や恫喝などの手法が使われたことは1970年代にはよく知られていましたし、連行された先での過酷な状況についても理解されていました。もちろん、本人の自由意志による売春行為などと考える者はまずいませんでした。意に反する売春を強要されたこと、それに日本軍が深く関わったことが問題視されていたわけで、掲げられたタームが「従軍慰安婦の強制連行」だからと言って連行時以外は問題と認識していなかったわけではありません。
実際、1992年と1993年の韓国側の報告書・証言集も、意に反する売春を強要されたこと、それに日本軍が深く関わったことを問題視しています。
「強制連行の有無」を争点化させたのは日本側でした。
当初、国の関与そのものを否定していた日本政府は、1992年1月の証拠報道によって関与を認めざるを得なくなりました。意に反する売春強要とそれへの国の関与が明らかになり、この時点で日本政府は謝罪と補償を避けられなくなったわけです。
しかし、日本政府は“関与はしたが、強制連行はしていない”と主張し、さらに責任を回避しようとしました。それはアジア各国から非難され、最終的には1993年の河野談話に至ったわけです。
「強制連行の有無」が争点化したのは、1992年1月から7月までの日本の歴史修正主義者らの巻き返しによります。
この詐術の原型は、労務動員における強制連行の有無、すなわち「徴用」のみに限定するという定義を狭くするやり方で、これが慰安婦問題にも応用されたと言えますが、直接的な産みの親は秦郁彦氏です。利用したのは、1980年代に出てきた吉田清治氏の慰安婦を直接的暴力で連行したという証言でした。吉田証言は1980年代後半には慰安婦問題の非人道性を訴える典型的事例として言及されました。直接的暴力による連行という誰にでもわかる非人道性を示す証言として重宝したわけです。
慰安婦問題そのものとしては、意に反する売春強要とそれへの国の関与の一部分の証言に過ぎず、これだけが問題の全てではありませんでした。
しかし、歴史修正主義者らにとっては吉田証言の否定こそが、従軍慰安婦の強制連行を否定する“根拠”となり、さらには慰安婦問題そのものを否定する“根拠”となったわけです。吉田証言を否定した秦氏の調査は1992年3月*2でしたから、その目的が慰安婦問題の否定にあることは時期的には明白でした。最初から予断をもって為された秦氏の調査ですが、その信憑性は深く検討されること無く、吉田証言の否定と慰安婦問題の否認のキャンペーンが張られることになります。結果として吉田証言について吉田氏が認めたのは時期と場所の改変に過ぎませんでしたが、否認論者は吉田証言のような連行形態そのものが皆無であったかのようにキャンペーンを張り、巻き返しを図ったのです。
こういった国内勢力を背景に1992年7月の加藤談話は極めて中途半端な形となり、“関与はしたが、強制連行はしていない”という論理を日本政府は採用したわけです。
そして、直接暴力による強制連行をしていないのだから、日本政府には謝罪する必要も補償する根拠もない、という空気を醸成したのです。

1993年の時点で韓国挺身隊問題対策協議会は以下の認識を表明しています。

当時の国際慣例に従い、「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行であると把握するならば、本調査の19名のケースは殆ど大部分が強制連行の範疇に入る。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140310/1394384568

つまり、“強制連行は無かった”という1992年の否認論者の巻き返しに対して、動員過程だけが問題ではないこと、そして「「詐欺、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行である」ことをもって反論していました。
この反論に対する否認論者の反応は、動員過程以外の議論は無視・矮小化し、直接暴力以外の連行は日本軍の責任ではないと否定し、とにかく“強制連行は無かった”と強調する手法をとるというものでした。これに産経新聞などの大手メディアや自民党の有力議員などが加わった結果、現在のような状況になったわけです。

それから20年、今もって日本社会は、日本政府・軍管理下で売春を強要された被害者は動員過程にかかわりなく日本政府が謝罪と補償の責任を負うべきという当然の人権認識にすら到達していません。

*1:別の線がないではないですが、この時期日本政府に戦後補償というくくり訴える以上、労務動員問題と付随させざるを得ず、国会でも一緒に言及されることになりました。

*2:誤記訂正2014/4/26