労務動員における強制連行に関して留意すべき点

労務動員における強制連行問題に関して、日本政府や右翼・歴史修正主義者らは強制の範囲を「徴用」に限定しようとしています。しかし、歴史的には徴用以前の募集や官斡旋を含めて強制連行と呼びますし、植民地支配全体を見る場合は、戦争以前の植民地支配下で困窮して渡日せざるを得なかった人たちを含むこともあります。

この認識の差についての対立自体はともかく、労務動員問題の重篤性について、徴用>官斡旋>募集、と言った順序は歴史修正主義者も反歴史修正主義者も共有しているように思えます。
(法的な意味での)徴用は法的強制ですから法的には強制ではなかった官斡旋や募集に比べて人権侵害の度合いは徴用の方が高い、というのは一般的な感覚としてわからなくはありません。
しかし、実際には徴用の方が人権侵害の度合いは低かった、と言えます。
徴用は法律に基づく労務強制であるため、残された家族や負傷時の補償なども法律で規定されており、また国が職場を指定する以上、国として劣悪な労働環境を指定するわけにはいきませんでした。そのため、徴用者は比較的まともな職場で働くことが出来、万一事故で負傷しても補償され、働き手を失った家族にも支援がなされました。少なくともそのように規定されていました。
しかし、募集や官斡旋の場合はそういった法による救済策や整備されておらず、労働環境が劣悪な場合や負傷時の補償が整っていないことが多かったわけです。つまり、傾向として、募集や官斡旋で集められた職場は、徴用で指定される職場よりも危険で劣悪な環境であり、もし事故にあっても何の補償もなく、労働者やその家族の生活が崩壊してしまうような状況だったわけです。
炭鉱などの危険で労働環境の悪い職場は、徴用で指定されることはほとんどなく、募集や官斡旋で連行されてきた朝鮮人が割り当てられることが多かったと言えます。危険な炭鉱労働で死傷した労働者たちは「徴用」でないが故に満足な補償もないまま、労働者も家族も困窮し苦しむことになったのです。