労務動員における強制連行に関する記述1

すでに安倍政権下で教科書から隠蔽され、各地の記念碑を撤去や記述の改ざんが進められている労務動員の強制連行に関して。

もともと動員時期によって傾向が異なり、一言で言いつくせるような事案でもありませんので、「朝鮮人戦時労働動員」(山田昭次、古庄正、樋口雄一、2005年)からまとめられている記述を引用します。それでも結構長いので、13項目のうち9項目までを引用。

(P266-269)

第一節 強制性について

 日本は国家総動員法に基づき一九三九−一九四五年までに六七万余(この数字には日本国内に動員された軍人・軍属などを含まない)の朝鮮人を日本国内に動員した。目的は不足していた労働力の充足のためであった。この動員が計画的、強制的なものであったこと、日本での労働と賃金、死亡者などについて事実に基づき具体的に論証してきた。また、これらの動員が国家意志に基づいていると同時に安い労働力に対する利潤追求をもくろむ企業意志が明確にしめされていることも明らかにした。朝鮮人戦時労働動員は国家の要求と企業意志という両者が結びつき、それに基づいて実施されたものである。こうした事実を朝鮮人戦時労働動員という場合、その要件、特徴などを箇条書き的にまとめてみると次のようにいえるだろう。

一 国家の責任と要求に基づく動員
 この戦時労働動員は日本国家の要求、即ち国家総動員法に基づく計画動員であり、募集など形態如何を問わず、国家が朝鮮人に対して日本の国内へ移動しての労働を要求し、実行させた行為である。すなわち国家の責任によって動員が行われたことが明らかである。

二 企業意志による動員
 戦時下の日本企業は、国家総動員法を基に企業利益を最大限にあげ、利用することを目的に活動を行った。利益を生み、企業拡大を狙う企業にとって組織的、且つ安価な労働力こそが最大の源泉になるものであった。企業は政府と総督府から一人でも多くの労働力の配分を受けようと努力したのである。企業側からみると政府以上に強い安価な労働力に対する要求が存在した。気魚は「募集人」を朝鮮に派遣し、警察官、面事務所の役人、企業が派遣した募集人の三者が一体となって動員が実行された。

三 陸・海軍による労働動員
 軍は必要な土木工事あるいは海軍工廠などの直営工場に軍属という形で日本国内、南方占領地など広範に徴用を実施した。この動員は単なる労働力としての動員のみではなく、軍隊という戦闘集団への直接軍属徴用であった。本書では本格的検討対象としなかったものの労働動員の形態の一つとして位置づける必要がある。

四 国家による渡航・帰国管理
 この労働動員のための渡航は、日本国家の許可で行われていたこと。一般渡航朝鮮人渡航するためには警察の発行する渡航証明が必要であったが、一括して動員集団としての渡航管理がされていたこと。労働動員労働者が個別に帰国する場合も集団動員者の一部帰国として扱われ、一般渡航朝鮮人とは別に扱われた。渡航費用や途中の食費などは企業、国が負担しており、朝鮮人戦時労働動員者は旅費を含めて支払っていない。国家、企業責任で渡航・帰国したことが明らかである。

五 朝鮮農村再編成下の動員
 動員地域は南部農業地帯に集中し、生産性の低い農民(強制供出などの政策で貧しさにあえいでいた下層農民)を農村から動員することによって農業生産の合理化をはかろうとしたこと。一般的には朝鮮農業再編成といわれる政策のなかで動員が位置づけられていた。動員は基本的には南部地域を中心に道別に割り当てられ、郡・邑・面へという体系で実行されていった。日本政府、総督府の農業政策のなかで動員された側面ともっている。

六 就労先の限定と選別動員
 就業先については戦時重要産業に配置され、募集の初期には炭鉱、鉱山、土木などに配置された。動員された朝鮮人側には職場、地域を選別する権利は認められていない。一定の動員方式に基づいており、自由な契約とはいえない。炭鉱など行きたくないところでも指定され、労働の実態が判っても拒否できなかった。小学校(普通学校)を卒業した男子は工場に動員し、女子の小学校(国民学校)卒業者も「女子勤労挺身隊」員として炭鉱などとは区分して動員した。明確に労働者を区分し、選別し、管理する意志を持って動員した。また、就労先が決まれば二年間の契約が切れるまでは解約出来ないのが特徴である。また、二年契約の延長が労働者に強く要求された。この場合現員徴用という方法もとられた。

七 集団労働管理
 個人による個別契約というより、集団管理、隊編成で行動を統括されていた場合が多く個々の自由は認められなかった。労働以外でも寮生活など集団管理され、個々の自由な行動は規制されていた現場が多い。一般渡航在日朝鮮人労働者と大きく違うところである。

八 日本人との差別管理、協和会管理
 日本人から隔離され、労務管理も別であった。朝鮮人労働者統制のための協和会をつくり、朝鮮から来た労働者の労働訓練を実施した。協和会を通じた神社参拝、日本語の学習、教練など皇民化教育が行われた。在日朝鮮人全体の統制組織である協和会の体制に組み込まれていたが、企業内で独自の練成が実施されていたところもある。炭鉱、鉱山、土木、工場などによって労務管理の方法が違っていた。
 なお、一般在住朝鮮人については協和会への加盟と同時に日本人と同じように隣組にも参加させられ、二重の動員体制の下に置かれた。日本に在住していた朝鮮人のすべてに協和会手帳を持たせ逃亡防止、労働動員に役立たせた。会員章を持たないと警察に拘留され、取調べを受けて、朝鮮へ送還されるか、元の労働現場へ再動員された。

個々のより具体的な内容については、同書に記載されていますので読んでください、といっても読まない人の方が多いでしょうから、そのうち余裕を見て要約を書いてみます。

ちなみにこの朝鮮人強制連行問題に関しては「朝鮮人強制連行 (岩波新書)」(外村大、2012年)も良書です。