違和感あるのでちょっと備忘のつもりだったが長くなった件

本題は「この選挙で、ネット右翼は終わり新たに「ネット左翼」が生まれた/【緊急対談】不毛な左右対立は加速する (古谷 経衡,辻田 真佐憲)」についてです。
前記事の「ネトウヨに関する認識について」は、ネトウヨを世代別に分類し性質やリアルの実態がそれぞれ異なることを示しておくための記事です。

ネット左翼

ここまでが前提です。ネトウヨに対する私の理解が古谷氏のそれとは異なるため、これを明らかにしておく必要がありました。
さて、古谷経衡氏、辻田真佐憲氏の対談の中には「ネット左翼」なるものが出てきます。
ネット左翼」については、だいたい、こんな印象で述べられています。

辻田:今回、希望の党はああいった形で途中で失速し、最終的には立憲民主党が善戦しましたが、もっと引いて全体を眺めてみると、やる前から「自民党の大勝」という結果が見えていた選挙でした。
でも選挙期間中、私がネット上でこういった意見を書くと、リベラル派と思われる人から「これは安倍政権にNOを突きつける戦いなんだ!『戦う前から負けている』なんて言って、水を差すな!」というような批判が少なからず寄せられたんですね。それを見て、なんだか太平洋戦争末期の日本軍みたいだな、と。
客観的に見れば、野党にとっては依然として厳しい戦いだった。ところが、そういうことを指摘するのは敗北主義、シニシズム冷笑主義)だ、という反応が少なくなくて、リベラルにとっての選挙戦というのは「ハルマゲドン(最終戦争)」みたいになっているなと。
「ここで負けると戦争になるんだ」「独裁政権が生まれて、日本は終わってしまうんだ」というようなことをずっと言い続けている。そのせいで無党派層から冷ややかな視線を浴びてきたわけですが、また今回も同じことをやってしまった。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53332

辻田:陰謀論とも繋がる話ですけど、今回の選挙では、先ほども挙げたような「この選挙で負けると戦争になる」とか「独裁政権がくる」というようなアルマゲドン的言説が、共産党系とはまた違う、一部のリベラル系文化人によって拡散されているなとも感じました。彼らのムーブメントに乗っかる人たちが、やはり私にはネット右翼のコピーに見える。
しかも、右と左だと右のほうがおそらくネット上でもリアルでも数が多いので、最終的にはネット左翼は消耗して負けると思うんですね。右には、権力も金もありますし。なので、こういった無意味なことはやめて、もっと長期的視点から戦略を立てないと、最終的にはリベラルそのものが消滅してしまうんじゃないかと危惧しているんです。
わかりやすい「安倍政権で即社会崩壊」とか「負ければ戦争が始まる」みたいな世界観をいい加減やめないと、ゆくゆくは自民党への対抗軸そのものが消滅してしまうし、それは日本全体のためにもならない。安倍首相の顔が影で黒くなっている写真を抜き出してきて、「この写真に安倍の腹黒さが表れている」とツイートするとか、そういうことで仲間内で盛り上がっても仕方がないでしょう。
もちろん、左右双方がそういう馬鹿馬鹿しいことをやっているわけですが、そういうことを止めない限り、自民党一強の状況は続くんだと思います。なので、リベラルは立憲民主党を雰囲気で支持するのではなくて、長い目で見て育てていく必要があるんじゃないかと。そうしないと、スキャンダル報道とかであっという間に雲散霧消しかねない。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53332

ところで私の観測範囲では「やる前から「自民党の大勝」という結果が見えていた選挙」というのは、概ね左派・リベラルの中でも共有されていたように感じましたが*1、まあそうでない人たちも確かにいたとは思います。

ただ「この選挙で負けると戦争になる」というのは、安倍政権自体が北朝鮮危機を煽っていましたから、そういう言説そのものは批判すべきでもないと思いますし、「独裁政権がくる」というのも、今回の解散の経緯を見れば安倍政権の独裁的性格を否定できるものでもないので、警鐘として許容できる範囲だとも思います。

そして「そのせいで無党派層から冷ややかな視線を浴びてきた」というのも多分違うと思います。

無党派層は基本的に空気を読むだけ

まあ、無党派層といっても、明確に支持政党はないもののはっきりとした政治思想傾向を持っている人もいますし、そうではなく雰囲気に従う人もいますので、その辺は分けて考える必要があります。
前者である明確な政治思想を持つ無党派層は、そもそも自身に近い政治傾向の支持層に過剰な意見や主張をしている人がいるという理由で自らの政治思想を変えることはあまり無いでしょうから、ここでは後者の雰囲気に流される無党派層が対象になります。
では、そういう雰囲気に流される無党派層が、「「この選挙で負けると戦争になる」とか「独裁政権がくる」というようなアルマゲドン的言説」に対して「冷ややかな視線」を浴びせたかというと、多分そういうこともなく、そもそもそういうことに興味を持っていないという方が適切だと思います。

何故かというと、雰囲気に流される無党派層が荒唐無稽で煽動的な言説を嫌うのであれば、右派が散々繰り返してきた言説(民主党政権時に、日本が終わるだの日米同盟が危機だだのありましたよね)に対しても同じ判断をしたはずなのに、そんな風に感じていなかったからです。

実際問題として辻田氏は、「左右双方がそういう馬鹿馬鹿しいことをやっているわけですが、そういうことを止めない限り、自民党一強の状況は続くんだと思います」と言っているわけですが、「左右双方がそういう馬鹿馬鹿しいことをやっている」のに、なぜ右の支持する自民党・安倍政権の一強は続くのか、その説明が出来ていませんね。

右のやる馬鹿馬鹿しいことには「冷ややかな視線」を浴びせない無党派層が、なぜ左のやる馬鹿馬鹿しいことには「冷ややかな視線」を浴びせるのか?

これを説明するには、そもそも無党派層が現状右の空気に染まっているだけで、左右ともにやっていることが馬鹿馬鹿しいかどうかなんて興味が無い、というのが一番しっくりきます。

“こういうことをやってると支持を失う”というリベラル評

「最終的にはリベラルそのものが消滅してしまうんじゃないかと危惧している」とか「わかりやすい「安倍政権で即社会崩壊」とか「負ければ戦争が始まる」みたいな世界観をいい加減やめないと、ゆくゆくは自民党への対抗軸そのものが消滅してしまう」とかいうのは、リベラル評としてよく見かけますが、正直、この論評はあまり信用できないと思っています。

自民党や安倍政権を支持しているネトウヨらは、在日陰謀論だとか左派は中国のスパイだとかの世界観を散々ばら撒きましたが、それで自民は支持を失ったかといえばそんなこともなく、むしろそれで支持を増やしていますよね。
なぜか、左派・リベラルに対して“だけ”やたらと潔癖さを求める論者が多く、支持低迷の理由を潔癖さが足りなかったかのように主張されるんですが、右派・ネトウヨの実態と自民党の隆盛を見るかぎり、その主張はかなり眉唾です。

在日陰謀論だとか左派は中国のスパイだとかの荒唐無稽な世界観が適切に淘汰されること無くネット上に蔓延し、右派政治勢力に利用され、そういうデマを土台にした空気が形成されたのが現状だと考える方が自然ではないですかね。
前記事で言ったネット右翼の第三世代は、その空気によって右傾化したネトウヨで、これは右の空気に染まった無党派層とかなりかぶります。

こういう状況を打破するには、ご丁寧で大人しい主張をしていても多分無駄で、必要なのは、在日陰謀論だとか左派は中国のスパイだとかの右派的世界観を、荒唐無稽だと笑える空気を作ることでしょう。
その意味では「わかりやすい「安倍政権で即社会崩壊」とか「負ければ戦争が始まる」みたいな世界観」といったものであっても、それが空気を作るうえで効果的であれば「リベラルそのものが消滅してしまう」どころか、状況の逆転にもつながる可能性があったりするわけですね。

ですので、「わかりやすい「安倍政権で即社会崩壊」とか「負ければ戦争が始まる」みたいな世界観」が空気を作るうえで効果的ではない、という批判はあってよいと思いますが、「アルマゲドン的言説」だから駄目だというのは違うんじゃないかな、と思っています。

そもそもの話として

左派・リベラルは別に上意下達の一貫した組織ではありませんので、荒唐無稽な主張を広める人だっています。その内容が誰かの人権を大きく損なうようなものであればともかく、「安倍政権で即社会崩壊」とか「負ければ戦争が始まる」とかまで、いちいち批判すべきだとはあまり思わないんですよね。

安倍政権が人権を損なうような立法や行政を進めていること自体は事実でそれは社会崩壊につながるわけですし、戦争しやすい法改正も行っていますから戦争のリスクを高めているという点でも間違ってはいませんよね。

手足の一本や肺や腎臓の一つを取り除いてもそりゃ死ぬとは限らないわけですが、だからと言って「殺す気か!」と言うのは言いすぎかといえばそんなことないわけで。

本当に社会崩壊するまで戦争が始まるまで黙ってろ、と言われても、そりゃ聞けないですよ。



*1:私自身も自民過半数は確定的で、自公で3分の2いくかどうか、という見立てでしたし。

ネトウヨに関する認識について

この選挙で、ネット右翼は終わり新たに「ネット左翼」が生まれた/【緊急対談】不毛な左右対立は加速する (古谷 経衡,辻田 真佐憲)」に関連して。

ネット右翼(以下、ネトウヨ)の実像については、古谷説とは違った認識を持っています。
ネトウヨは、基本的に三世代に分けるべきで、第一世代がネット黎明期の前世紀末~今世紀初頭に現れたネット上の右翼的言説を流布した世代、第二世代がネット拡大期の2000年代に増えたネット上の右翼的言説を共有し消費した世代、第三世代がネット普及された現代(2010年代)にネット上の右翼的空気で育った世代です。
古谷説での「ネット右翼」に合致するのは、第二世代です。

各世代の特徴

第一世代は右翼的主張に傾倒し、強い使命感からネット上での右翼的言説を広めていった世代です。この世代のネット言説の特徴は“ソース主義”です。彼らは自らの右翼的主張を正当化するための根拠を重視し、様々な資料を調べ紹介する役割を果たしました。古い書籍や公文書、新聞などに依拠して、右翼的主張を展開したわけです。ソースとした資料と主張は、比較的無理なく合理的に関連付いていましたので、見た目の説得力はそれなりにありました。
問題は、正しく資料批判がされていない点や都合のいい資料のつまみ食い、曲解や選択的懐疑などで偏向していた点です。都合のいい資料のつまみ食いではあっても、その資料自体は確かに存在するという点で“ソース主義”だったと言えます。
この世代はネット上での主張にあたって、それなりの労力を投じています。彼らのリアルはおそらくは学生やニートなど時間に余裕のある層で、年齢も20~30歳程度だったと思われます。以前の“ネット右翼”像にかなり合致する感じです。
これに対して、第二世代は右翼的主張にはさほど傾倒していません。使命感も大してなく、ただネット上での真剣なやり取りを茶化し、嘲笑することを楽しむ世代です。社会問題などの真剣な議論を横から茶化すのに、第一世代が構築したネトウヨ言説が便利であったため、それを多用しましたが、自身でソースまで辿ることはほとんどなく、この点で第一世代と異なります。その結果、根拠となる資料と主張に矛盾が生じることもありましたが、第二世代はソースを辿らないため、第二世代の間では矛盾が問題視されることなく、ただ真剣な議論を茶化し嘲笑する上での便利な道具として消費されました。
この世代の多くは、第一世代が活躍した黎明期にその議論を読んでいた(ROM)世代でもあり、年齢的には第一世代とかなり重なっていると思われます。第一世代と異なるのは、確固としたリアルでの生活基盤を持っているという点です。1990年代~2000年前後に20~30歳だった世代は、現在40~50歳くらいになっていて、それなりの収入や社会的地位を持っています。まさに古谷氏の主張する「ネット右翼」像そのものです。

年齢的に第一世代・第二世代と異なるのが、第三世代です。この世代はネット環境が既に整備された環境で育った現在20~30歳あるいはそれよりも下を含む世代です。彼らは物心ついた時から、第一世代・第二世代が構築した右翼的主張や嘲笑する文化という空気の中にいました。ほとんどは第一世代のように右翼的主張を核として持っているわけでもありません。ネット上の右翼的主張や嘲笑文化の上澄みを短文で再利用して、主張や議論ではなく空気を共有することを優先します。彼ら自身には確固たる政治・社会問題に対する熟慮や信念は特にありません。ただ、再利用・参照しているネット上の言論環境がネトウヨ的空気に染まっているため、それを用いて構築した言説もネトウヨ的になっています。
“若者の右傾化”というのはこういった現象の一側面といった感じですね。
自民を支持し野党を拒否する心性は、野党はバカにして構わない存在、なんだかんだ言っても自民は強い、というネット上の空気の上澄みを共有することで生じています。それを指摘されても、ネット上には第一世代・第二世代が残した根拠モドキが山ほどありますから、指摘を受け入れたりもしません。
右翼的だという自覚もおそらくなく、自らは左右の対立を俯瞰しているつもりになっています。
第三世代のリアルは普通の若者です。
彼らには差別用語が誰かを傷つけるという認識を育てるための機会がありません。ネット上での差別反対とは左翼的で嘲笑される対象でしかありませんでした。


だったら公明党はなぜ国民投票法に賛成したのか、と。

今さら公明党がこんなことを言っています。

公明党 山口代表「3分の2の国民支持を」 憲法改正巡り

毎日新聞2017年11月12日 17時50分(最終更新 11月12日 18時51分)
 公明党の山口代表は12日放送のラジオ番組で、憲法改正に関して国民の3分の2を超える賛同が前提となるとの認識を示した。国会発議には衆参両院の3分の2以上の賛成が必要となる点に触れ「それ以上の国民の支持がある状況が望ましい。国民投票でぎりぎり(改憲が承認される)過半数となれば、大きな反対勢力が残る」と述べた。
 衆院選で「改憲勢力」が議席の8割を占めたとの見方には「改憲を否定しない勢力とは言えるが、主張に相当な隔たりがあるし、議論も煮詰まっていない」と指摘した。
 安倍首相が衆院選中に「スケジュールありきでない」と言及したことを「その姿勢は重要だ」と評価した。(共同)

https://mainichi.jp/articles/20171113/k00/00m/010/024000c

国民投票法では、国民・有権者過半数どころか、有効投票の過半数であれば改憲案が承認されることになっていますが、その法案に公明党所属の国会議員は賛成したはずですよね?

参議院での採決状況

公明党( 24名)

  賛成票 22   反対票 0

賛成 反対 氏名 賛成 反対 氏名 賛成 反対 氏名
  荒木  清寛   魚住 裕一郎   浮島 とも子
  加藤  修一   風間   昶   草川  昭三
  木庭 健太郎   澤   雄二 -- -- 白浜  一良
  高野  博師   谷合  正明   遠山  清彦
  西田  実仁   浜田  昌良   浜四津 敏子
  弘友  和夫 -- -- 福本  潤一   松  あきら
  山口 那津男   山下  栄一   山本  香苗
  山本   保   渡辺  孝男   鰐淵  洋子
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/vote/166/166-0514-v001.htm

改憲が現実味を帯びてきた途端に、「(3分の2)以上の国民の支持がある状況が望ましい」とか言い訳するなんて、卑怯としか言いようがありませんね。改憲を阻止するつもりはないが、その責任は負いたくないとか、下駄の雪を二十年近くもやってると精神が腐ってくるんですかね。



国民の悲鳴を聞いてくれという質疑での言及を嫌いな言論機関に対するテロの煽動と同列に扱う時点でどうかしている

2016年2月29日の衆議院予算委員会で「日本死ね」に言及した山尾議員ですが、もちろんこれには文脈があります。
「子育て世代の悲鳴」として紹介し、「確かに言葉は荒っぽいです。でも、本音なんですよ。本質なんですよ。」「今社会が抱えている問題を浮き彫りにしている」と説明したわけで、山尾議員の言葉として「日本死ね」と言ったわけではありません*1

その点で足立議員が自分の言葉として「朝日死ね」と言ったツイートとは全く意味が異なります。

朝日新聞という特定の企業、それも右翼によるテロ行為で死者を出している経験の企業に対して、右翼政治家が「死ね」と言い放つ行為と、日本という不特定の対象に対して「死ね」というほど苦しんでいる人がいると紹介する行為とが、等価に思えるなら、そう思う人の方がどうかしているとしか言いようがありませんし、前者(足立議員)の方がマシだと考えるようなら、もう頭がおかしいといわざるを得ません。

ちなみに「前者(足立議員)の方がマシだと考える」論者としては、梶井彩子氏がいます。
例えば、こんな感じ。
「死ね」発言に免罪符を与えたのは誰か(2017年11月14日 20:00、梶井 彩子)

もちろん、朝日が死んでも多くの人の生活に影響はない一方、日本が死ねば明日から生活に支障をきたす、だから「日本死ね」の方がより罪深い、という違いはある。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171115-00000069-san-pol

正気を疑うレベルの記述ですね。

なんで、右翼議員のテロ煽動発言の責任までリベラルがとらなければならないのかさっぱりわかりませんが、ネトウヨ論者の脳内ではそんな感じの謎回路が成立しているようです。




*1:ちなみに、川田龍平議員らも同様の趣旨で「日本死ね」に言及しています

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「日本死ね」については与党公述人が2016年2月24日に言及したのが、国会での言及として初。

維新の足立議員が朝日新聞に対するテロを煽動するツイートをしたことに対し、民主党(当時)の山尾議員も国会で「日本死ね」と言ったとして足立議員のテロ煽動を擁護する動きがあります。
中には、山尾議員の場合は国会での発言であり、より罪が重いとでも言わんばかりの擁護まであります。

ただ、山尾議員よりも先に国会で「日本死ね」について言及したのが、与党が推薦した公述人である白石真澄氏であることはすっかり忘れ去られているようです。白石氏は、2016年2月24日の衆議院予算委員会(第166国会)公聴会にて、以下の文脈で言及しています。

 これはよく皆さんが目にとめていただいている資料かと思いますけれども、この左側のグラフは、一人目のお子さんを出産した女性が仕事を続けられているかどうかというものを、一九八五年、つまり今から三十年ほど前からの推移を見たものです。
 育児休業をとって続けているのと、育児休業をとらないで続けているというのが下から二つ目の柱でございますけれども、ここを比較しますと、一九八五年は女性全体の二四%が就業継続をしておりますが、二〇〇五年から二〇〇九年にかけては二六・八%と、ほとんど変わっておりません。いろいろな法律ができ、施策が後押しをしているんですけれども、働き続けられている女性というのはほとんどふえておりません。
 この中で、家庭に入って自分自身で子育てをしたいという自発的退職は女性全体の三九%なんですけれども、会社から退職勧告を受けたとか、六割がやめたくなかったのにやめてしまったという方でございます。
 その理由というのは右側にお示しをしたんですけれども、両立が難しかった理由としては、勤務時間の問題、会社に両立の雰囲気がないということや、体力が続かない、こうした問題が挙がっているんですけれども、六番目に、保育園に入れないというのが五人に一人でございます。保育の問題も非常に重要だと思います。
 皆様、既に御案内のとおりかと思いますけれども、最近、ニュースやワイドショーで取り上げられております匿名のブログでございます。保育園落ちた、日本死ね、一億総活躍なのに、何やってるんだ日本という非常に厳しい文言が並んでおりますが、これがあっという間にインターネットで拡散をされて、保育活動、保活の難しさというものを浮き彫りにしたということでございます。
 政府は、四年後に就業継続率というのを女性全体の五五%、現在三八でございますが、これを上げていくということですので、保育園の整備は非常に重要だということでございます。

http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/003019020160224001.htm

簡単に言えば、「非常に厳しい文言が並んで」いるが、これは「保育活動、保活の難しさというものを浮き彫りにした」ものである、という文脈です。

そして、この5日後に「先日の中央公聴会で与党が推薦された白石公述人が、この場でこの話は出しております」と白石氏の発言に言及しつつ、「日本死ね」に言及したのが山尾議員でした。
ちなみに「日本死ね」に言及したのが山尾議員だけみたいに語られていますが、維新*1川田龍平議員、丸山穂高議員、東徹議員、足立康史議員、日本の和田政宗議員、自民の有村治子議員らも言及しています。言及しただけで罪だとするなら、こいつら全員咎人扱いしないとおかしいんですよね。まあ、維新は途中から方針を変更して、「死ね」という言葉狩りで、非自民系野党を攻撃するようになっていますが。



*1:維新の党、維新の会、おおさか維新の会含む

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第三次魯東作戦(「と」号作戦)

1942年11月~12月に行われた第三次魯東作戦は、強制労働を強いるための中国人を狩り立てる作戦として知られています。戦史叢書ではこのように記載されています。

(戦史叢書「北支の治安戦<2>」P240-241)

第三次魯東作戦(「と」号作戦)

(一一・一九~一二・二九)
 本作戦は第十二軍が、山東縦隊第五旅および同第五支隊を基幹とする膠東軍区の中共軍を剿滅し、山東半島一帯の治安の回復、特に青島―芝罘道の確保を目的としたものである。独立混成第五旅団と第五十九師団、独立混成第六、第七旅団の一部が参加した。
 作戦地は魯西の平原地とは全く様相を異にし、錯雑した山岳地が多く、三面海に面した地域である。従って軍は、西方から東方に遮断網を推進して、敵を半島東部に圧迫殲滅する戦法をとり、且つ海軍部隊と協定して沿岸の警戒を厳重にした。

第一期

(十一月十九日~二十九日) 参加部隊はおおむね青島―芝罘道の線から遮断線を構成しつつ東進した。敵は鋸歯牙山その他山岳拠点では相当頑強に抵抗したが、平地部ではほとんど交戦することなく退避した。

第二期

(十一月三十日~十二月十二日) 牟平南北の線に遮断網を構成し、文登、榮成に蠢動を続ける東海区遊撃隊、各県政衛隊を包囲圧縮しつつ半島突端地区に進出した。作戦開始以来、十二月八日までの戦果は遺棄屍体一、一八三、俘虜八、七六五である。

第三期

(十二月十三日~二十九日) 各隊は反転して西進し、一部は海路輸送により敵の背後を遮断しつつ、主として芝罘―青島道以西の平度、掖縣、招遠付近において山東縦隊第五旅団、西海区遊撃隊を追及した。二十日以降各所で掃蕩戦を行ない相当の戦果をあげた。
 本作戦間、軍司令官は戦闘司令所を青島に設け、一時芝罘、牟平に進出して作戦を指導した。
 本作戦に参加した独立歩兵第二十大隊長田副正信大佐(26期)は次のような所見を述べている。

一 魯西平原地とはまったく異なり、兵力に比し地域が広大であって、山岳地帯内に網を張りつつ前進することは至難であった。
二 薄い包囲網であるため破られやすく、特に夜間敵に脱出されたことが数回あった。
三 中共勢力の拡大とその根拠地建設の進捗しているのが感ぜられた。
四 交戦したのは主に第三期であり、中共軍との接触、捕捉は容易でなかった。

事実上の日本の公式戦史である戦史叢書には、もちろん強制連行のためとは書かれていません。
ですが、怪しいところを見つけることはできます。

まず、戦史叢書では第二期までの戦果しか書かれていませんが、北支那方面軍の1942年12月24日の電報綴*1には、(電報中で)第三期終了とされた12月24日までの戦果が書かれています。

敵の損害

俘虜:12971(容疑者含む)
遺棄死体:1912
鹵獲品:小銃1124、軽機11、迫撃砲13、山砲1、馬匹776、自動車135

我が損害

戦死:8(内将校1)
戦傷:42(内将校1)

考察

中国側の損害は俘虜・死体あわせて約1万5000人に達していますが、日本側の損害は死傷あわせてわずか50人です。実質的な戦闘がどの程度あったのか疑問に思えるレベルです。また、鹵獲武器が極めて少ないのも特徴的です。俘虜・死体1万5000人に対して、鹵獲小銃は1124で10分の1以下です。5~6分の1程度は他の作戦でも見かけますが10分の1以下は珍しい方でしょう。

そして、俘虜・死体あわせて約1万5000人についてはもう少し興味深い情報があります。8か月前の1942年3月にも第二次魯東作戦が行われていますが、その際日本軍は敵情として「山東縦隊第五旅および同第五支隊を基幹とする膠東軍区の中共軍」の兵力を約1万と見積もっています。(第二次魯東作戦での戦果は俘虜106人、遺棄死体787人)
すると、第三次魯東作戦での俘虜・死体1万5000人は、山東省東部の中共軍総兵力を超えてしまいます。

まあ、日本軍の戦果報告に多少の誇張があったとして半分程度と見積もっても、これだけの損害を与えたのが事実なら第三次魯東作戦で中共軍はほとんど壊滅したと言える程度の被害を受けたことになるでしょうが、戦史叢書の記載を見ても壊滅させたとまでは認識していなさそうに見えますね。


*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070316500、北支那方面軍電報綴 昭和17~18年(防衛省防衛研究所)」

韓国併合方針は伊藤博文暗殺以前に閣議決定されているので、伊藤暗殺によって韓国併合が決まったと言うのはデマです。

呉智英氏の「伊藤博文暗殺 不可解な三発の銃弾と安重根に協力者が存在説(11/14(火) 16:00配信 NEWS ポストセブン)」という記事についてです。

ケント・ギルバート氏のようにヘイト満タンの記事ではありませんが、最後にこんな記載があるのがいただけません。

 次に、伊藤博文の韓国観である。伊藤は日韓併合消極論者だった。もともと朝鮮民族の自立自治の能力を信頼しており、国際情勢を考慮して韓国を保護領化するにとどめるべきだと考えていた。ところが、伊藤暗殺によって併合の勢いは一気に進み、翌年には日韓併合となった。安重根の行動は逆効果だった。しかも、安重根義士説が定着した以上、真犯人追及はできなくなり、永遠に真相は葬られる。大野芳は、軍部強硬派と右翼勢力が背後にあると推測している。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171114-00000020-pseven-kr&pos=1

伊藤博文韓国併合に対して消極的で保護国化方針をとっていたのは事実ですが、それ自体は帝国主義による植民地化の表面上の形態の違いに過ぎず、それをもって韓国人から感謝されるような代物ではありません。実際、伊藤博文が韓国統監として保護国・韓国を支配していた時代(1905~1909年)、日本の支配に反対する韓国人を厳しく弾圧しています。
では日本国内では、韓国併合派と保護国派の対立があり、伊藤が暗殺されるまで日本が韓国を併合する方針に確定しなかったのか、というとそれもありません。

1909年7月6日の閣議決定とそれに至るまでの伊藤の動向

伊藤博文が暗殺される3ヶ月前の1909年7月6日、日本政府は韓国併合を断行する方針を閣議決定*1しています。これが伊藤の意向を無視して進められたのか、というとそんなこともありません。閣議決定当時、伊藤は枢密院議長(在任:1909/6/14~10/26)でしたので、伊藤が断固反対していたら韓国併合閣議決定ができたとは考えにくいところです。
また、伊藤が韓国統監だった1909年4月の時点で既に、韓国併合方針を主張する桂太郎首相と小村寿太郎外相の両名に異存ないと言明し、併合方針を是認したと言われています。その直後の伊藤の演説では韓国併合への同意を示唆し、聴衆を驚かせたという話もあります。
桂・小村との会談の後1909年6月、伊藤は韓国統監を辞職していますが、これ自体、積極・消極いずれであれ保護国方針を放棄し併合方針を受け入れたことを示唆する行動とも取れます。そして、1909年7月の閣議決定へと至ります。

「適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル」という閣議決定がなされた3ヵ月後の1909年10月26日、伊藤博文安重根によって暗殺されました。

日本政府の韓国併合方針は伊藤暗殺事件以前に確定していますので、「伊藤暗殺によって併合の勢いは一気に進み」という呉氏の認識は、事実として間違っていると言えます。

まあ、既に確定していた併合方針を加速させた、という意味ならわからなくもありませんが、呉氏の文脈はそうなっていませんし、下記のケント・ギルバート記事に見られるようにネトウヨ文化人は“伊藤暗殺によって韓国併合が決まった”というデマを流布してまわっていますので、こういう指摘をしておく必要性はあるでしょう。

伊藤は韓国併合に最後まで反対していたのだが、安重根が暗殺したことによって併合賛成派が優勢になり、1910年の韓国併合につながったのだ。

https://www.news-postseven.com/archives/20170614_561999.html

もちろん「伊藤は韓国併合に最後まで反対していた」というのも、「安重根が暗殺したことによって併合賛成派が優勢になり」というのもデマです。


*1:韓国併合100年/歴史認識共有なぜ必要か/崩れた「合法的植民地」論http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/15410/1/kyoyoJ38_01_03_t.pdf 「対韓政策確定ノ件 第1、適当ノ時期二於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 韓国ヲ併合シ之ヲ帝国版図ノ一部トナス-半島二於ケル我実力ヲ確立スル為最確実ナル方法クリ帝国力内外ノ形勢二照ラシ適当ノ時期二於テ断然併合ヲ実行シ半島ヲ名実共二我統治ノ下二置キ且韓国卜諸外国トノ条約関係ヲ消滅セシムル-帝国百年ノ長計ナリトス」

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