嫌韓バカは捏造の夢を見る


清酒は韓国固有の酒と韓国紙が書いた*1のを受けて、嫌韓バカが盛り上がっている。
まあ、いちいち固有だとか伝統だとかを持ち出して自国賛美につなげようとする精神性は、日本の右翼にも共通するもので産経新聞あたりを読めばその辺はよくわかる。

そういう狭い自賛意識が馬鹿馬鹿しいのも、日韓共通であるわけだが、別に韓国紙が韓国語で報道した内容にいちいち吹き上がっている日本のウヨバカも救いがたい。日本ウヨのバカ報道を韓国で非難されると、内政干渉とか言い出すくせにねぇ*2


ところで、MoneyTodayの記事にしたところで、清酒そのものが朝鮮から日本に伝えた、とまで書いていない。
応神天皇時代(3世紀ごろ)に朝鮮人天皇にマッコリを献上したことを以って、醗酵酒の伝来としているに過ぎず、これ自体は古事記に載っている有名な話。

秦の造(みやつこ)の祖(おや)漢直(あやのあたへ)の祖、また酒を醸(か)むことを知れる人、名は仁穂(にほ)、亦の名は須須許理(すすこり)ら、参(まゐ)渡り来つ。かれ須須許理、大御酒(みき)を醸みて献りき。ここに天皇、この献れる大御酒(みき)にうらげて、御歌よみしたまはく
須須許理(すすこり)が 醸(か)みし御酒(みき)に われ酔(ゑ)ひにけり 事和酒咲酒(ことなぐしゑぐし) われ酔ひにけり(古事記

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yamatouta/sennin/oujin.html

*3

もちろん、酒そのものはこれ以前から日本にあったわけだが、麹を使った酒の出てくる日本最古の記録というのが重要。これをもって朝鮮人が醗酵酒を日本に伝えた、と主張しても、有力な反証がない以上それを捏造とは言えない。

それを起源捏造とか言って火病ってる嫌韓バカは一体何なのかなぁ・・・。


まあ、諸説紛々なのは確かなのだが・・・

「京・伏見sake-shop」
(略)
ですが、このような米と麹で作る日本酒の原型の麹酒がいつ頃登場したのかは、正確なところはわかっていません。「魏志倭人伝」の記述によるとこの時代(3世紀頃)にはかなり、酒が普及していたようですが、飲まれていたのがどんな種類の酒であるのかについては書かれていません。
 米麹を用いた酒造りについての記述が見られる最も古い文献は「播磨国風土記」で、神様に供えた米飯が濡れてカビが生えたので、それで酒を醸し、神様に献上して酒宴を行ったという意味が記述が見えます。 酒を醸したということは、米飯に生えたカビとは、まさに麹カビのことです。
 この記述からは、果たしていつ頃から麹酒が造られるようなったのかまでは特定できません。 しかし、当時の米飯の調理法から考えれば、麹の発見はもっと早かったのではないか、と思われます。 というのも、当時の人は、いまのように水と一緒に炊くのではなく、甑(こしき)と呼ばれる蒸し器で蒸した強飯として食べていました。この甑は縄文時代晩期後半あたりの遺跡からも出土していて、稲作が広く伝播した弥生時代前期には甑の使用は珍しくなかったのです。
(略)

http://www.erratum.jp/sake-shop/history.htm

↑こちらの京・伏見sake-shopのサイトでは、「播磨国風土記」に米麹による酒造りの記述があるが、実際にはもう少し古い時代から麹酒が作られていたのでは?と言ってます。「播磨国風土記」の成立は8世紀前半と言われています。


「日本酒協会」

日本酒の歴史
日本酒のはじまりは稲作とともにはじまった弥生時代以後だといわれています。日本人と日本酒についての一番古い記録は、紀元前3世紀に書かれた中国の歴史書です。そこには人が死んだとき他人が集まって歌舞飲酒するといった風習が書かれていますから当時すでに日本酒があったといえます。また日本で日本酒の製造方法を詳細に記録した最古の書物としては10世紀に作成された「延喜式」があります。そのなかに「造酒司」という項があり色々な酒の造り方が書いてありそのほとんどが米の酒ですから日本での米の酒すなわち日本酒の成立は、7世紀までさかのぼることができます。しかし、一般にはまだ誰でも買える時代ではなく農耕祭礼、豊作予祝や収穫感謝の祭りの時だけ酒を造り、神にそなえた後お流れをもらっていたようです。政府が積極的に酒造業を支援しはじめたのは室町時代になってからでした。

日本酒造りにとって技術革命の時代が15〜16世紀です。三段仕込みや火入れといった日本酒造りの特徴的な技術は、奈良の寺院で僧侶によって完成されたといわれます。
それは、鎮守さまにそなえるため酒が必要だったと思われています。特に当時インテリ階級だった坊さんたちは、旨い日本酒を作って信徒の信頼を得るために技術をみがいたと考えられています。これらの技術を総合して「大和緒白」と呼ばれる日本酒が誕生するのです。それは、16世紀も終わり頃になってからです。

http://www.japan-sake-association.com/

↑こちらの日本酒協会も米の酒の成立が7世紀にさかのぼると記載しています。

酒類総合研究所
【歴史】
 清酒がいつの時代から造られはじめたかははっきりしません。水稲が渡来した弥生時代には米こうじを使用した米の酒が造られたと推定されています。律令時代には稲作も安定し、国家の組織に造酒司が設けられて米の酒が造られるようになりました。

http://www.nrib.go.jp/sake/sakeinfo.htm

↑こちらは酒類総合研究所の記載。

日本酒造りの技術的な記事は、10世紀の初めの「延喜式」が最初。文書の中には清酒、濁酒云々とあり、日蓮上人が池上宗仲にあてた礼状には「油のような酒一升」とあります。これはトロリとねばりのある清酒であったと想像されます。また「弘法」で造られた「御酒」造りと言うものもあります。これは蒸米、麹、水を仕込んで発酵させ、熟成したところで濾過し、次に濾過した液に蒸米と麹を仕込む。この醪が熟成すると再び同様な方法で仕込み、この操作を4回も繰り返して造る方法でした。これは間違いなく「澄酒」でしょうが、今日の清酒造りと全く同じ方法で造ってます。

 古代のお酒は、すべて濁酒(にごりざけ)で、現在のように透明になったのは、いつ頃からかはっきりしていません。一説によると、16世紀末に、摂津鴻池の山中勝庵が、濁酒に灰を入れることにより、清酒を得たのが始まりとも言われます。今日の清酒造りの原型記録が見られるのは、小野教授が発見された「御酒之日記」、「多閉院日記」等であります。これらは15〜16世紀における「僧坊酒」の製法を記録したものであり、ここに記載された方法がこの時代に行われていたとすれば、現代の清酒の製法に近い方法が、この時代すでに行われていたことになります。特に「多聞院日記」の天正6年(1578年)の記録に「諸白」の記述が見られますが、諸白とは麹米、掛米の両者を精米して造った酒の意味。これに対して、掛米だけ精米して麹米に玄米を用いて造った酒を片白と言います。このように原料米も現代の清酒に近いものであれば、製成されたお酒の味も当然のことながら現代の清酒に近いものであったと想像されます。

http://www.sakehonpo.com/benkyo/sake/osake2.html

↑酒本舗おおたにのサイトの記述。

日本酒の起源は、古事記に書かれた「口噛酒」(くちかみのさけ・原料の米を口で噛んで造る原始的な酒)といわれています。そして奈良時代の初期に至り、麹カビの酵素を使って醸造する麹酒が生まれます。これが、日本酒の原型です。
 わが国の古代の政治・文化の中心であった奈良は、酒造の歴史においても重要な役割を果たしてきました。

酒造りの先進地

奈良の地に都を定めた大和朝廷は、律令制度の中に”酒造司”(さけのかみ)という官職を設け、酒造の任に当たらせていました。朝鮮を経てわが国にもたらされた大陸の進んだ醸造技術は、この”酒造司”の中に定着し古代における酒造りが本格的にスタートすることになります。

http://www.abetaya.com/hp/yamato.html

↑酒のあべたやのサイトの記述。


現在のような清酒の成立は15〜16世紀で、記録上米麹を使ったと確実なのが10世紀、多分米麹だろうってのが7〜8世紀、3世紀あたりだと酒は普及していたようだけど、どういうものか不明、応神天皇に献上されたという須須許理の酒が麹を使った醗酵酒であろう、と。まあそんなとこ。

須須許理の酒がどんなものかはよくわからない。米麹なのか、麦など別の麹なのか、それが米麹のヒントになったのか。

想像に過ぎないけど、3世紀時点では米を使った酒はあったけど、須須許理が麹を使った酒の造り方を伝えて、米麹が生まれたんじゃないかなあ。

別に不自然じゃないよな。

あ、ちなみにwikipediaあたりでは須須許理の酒が麦麹であったはず、としているが、その根拠は現在の韓国で麦麹が主流だという理由に過ぎず、日本による植民地支配時代に米の飢餓輸出が行われた点と、朝鮮の薬酒(清酒)には米・もち米・麦・小麦などが使われるという点が思慮から抜けており説得力に欠ける。

清酒は?

ルーツは一緒でも、日本の清酒と朝鮮の清酒は別系統の発展をしているようで。

15〜20世紀初頭までの500年にわたる朝鮮時代になると、各種の酒のつくり方を細かく記したものが現れ、今も多く残されている。その内容は現代の醸造理論からみてもまことに合理的で、良くできている。17世紀後半の家庭料理書、「飲食知味方」には49種もの酒づくり法が記されている。両班家の料理本であるとはいえ、一家でそれくらい多様な酒づくり法が生活の中にあったわけである。儒教の礼俗による冠婚葬祭に備えての酒づくり法であることは言うまでもない。

 こうした各家庭でつくられる酒のことを「家醸酒」と呼ばれていた。

 朝鮮時代に花を咲かせたこの酒文化、家醸酒が消えていくのである。20世紀、日本の植民地統治下における酒税法によってである。家庭で余裕さえあれば、幾十種でも自由につくられていた「家醸酒」がつくれなくなってしまったのである。

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2002/10/1011/51.htm

在来酒としてはこのほかに清酒(薬酒)があり、清酒・濁酒・焼酒という三大ジャンルの成立は高麗末期(13・14世紀)といわれる。"もっとも遅いのは元が高麗を支配していた時期に流入した焼酒。清酒・濁酒の原形はさらにずっと遡る。元来家庭で自由につくられていたものだから、原料や製造方法の差異により多様な酒が存在したが、日本の支配期に導入された「酒税法」によりその多くは姿を消している。

http://www.daito.ac.jp/gakubu/kokusai/asia21/sake/korea.html


13世紀から15世紀くらいに清酒にかかわる日朝交流があったかどうかはわからない*4
日本の清酒が米麹に限定して発展したのに対し、朝鮮の清酒は米麹に限定されず麦なども含め使用された。この違いはおそらく日本では商人の手による酒造が産業として発展したのに対し、基本的に禁酒法の世であった朝鮮では酒造が産業として発展せず家庭内で作られる家醸酒が主流となったためであろう(農民や兵士には許可されている)。

朝鮮王朝第21代英祖王は農民たちから名君としたわれた人物であった。彼の時代は凶作の年が多く、毎年飢えから人々を守るために禁酒令が発せられた。名門の両班の家であっても例外は許さなかった。酒を売りさばいてひと儲けしようものなら、処刑して西大門の門前に首をさらした。王室の宴会も禁じられ、国王みずから範を示すと断酒を決めて実践した。しかし、このような禁酒令のさなかにありながらも、国王は野良で働く農民と訓練を終えて軍営に戻る軍隊に対しては、例外的に禁酒令の対象からはずし、彼らに飲酒を許したのである。農民と軍隊にとって酒は活力の素であったからなのだ。

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2004/06/0406j0223-00001.htm

つまり、産業として発展しなかった故に、多種多様な酒が朝鮮で生まれたわけだ。これが途絶えたのが日本による韓国併合時代。

参考:マッコルリとドンドンジュはどう違うのか?

朝鮮酒税令

朝鮮酒税令は1916年大正5年7月に発布、9月1日より実施されている。
併合以前の1909年に既に韓国政府により酒税法が制定されてはいたが、1916年の朝鮮酒税令では「一般に税率を増加」*5し、「従来無制限に認許したる自家用酒の製造は朝鮮酒以外の酒に付いては全然之を禁止し朝鮮酒に在りては年頭又は秋収時等に於いて殆ど毎戸之を製造するの慣習あるに顧み造石数に制限を附し且営業用造酒に比し幾分税率を高めて之を許可し*6ている。
また、「之と同時に酒類の種別に依り営業者の造石数に最少制限を置きて小規模製造業の濫興を防止し酒精の課税を開始して」*7おり、それまで認められていた自家用酒についても免許制にした上、課税している。

大正13年度の朝鮮法令輯覧によると、自家用酒の場合、薬酒又は濁酒合わせて2石以下に制限し(酒税令第23条)、その税額は、濁酒3円50銭、薬酒11円、焼酎3円50銭とされた(酒税令24条)。ちなみにこの税は免許に対して課税され、実際には酒を作ったかどうかに関係なく、また2種類以上作った場合は薬酒の税額が適用される。自家用でない酒造の場合、朝鮮薬酒は1石あたり7円、朝鮮濁酒は1石あたり2円50銭の税金がかかった。*8

これにより自家製造を主としていた朝鮮酒文化は大きく制限され、さらに1934年昭和9年の改正で自家用酒製造すら禁止されることになる。

(「アジ歴」「朝鮮総督府施政年報 昭和12年度」レファレンスコード A06032016300 、第三章 財政、P101、画像73/362)
五.酒税制度の整備
酒類中麦酒は鮮内に於いて製造を見ることとなりたる結果移入税の減少を来すを以て其の対策を講ずる要あり又薬酒は最近其の品質及び消費の状況益々清酒に近似するに至りたるを以て負担の均衡を図る要あり仍て財政の現状をも考慮し之が増率を行うと共に爾余の酒類に対しても均衡上税率を引上げると共に麦酒に対する納期の改正・自家用酒制度の廃止等を行い以て酒税制度を整備せり

こうして、朝鮮の酒は当初は高い税金を避けるため、後には密造が発覚しないように製造工程に手間のかからない濁酒を選択したため、朝鮮の清酒(薬酒)が廃れていった。


まとめ

つまり、朝鮮の清酒も日本の清酒も麹を使った醸造酒まで遡れば、同じルーツを持ち、朝鮮から日本に伝わったという説も存在することは事実であり、なおかつ、朝鮮の清酒は日本の植民地支配時代の政策によって廃れていったという事実がある。

この事実を見る限り、韓国紙の報道内容が誤っているとは言えないし、まして捏造でもない。

捏造なのは、むしろろくに歴史を知らずに吠えている嫌韓バカの主張の方であろう。


嫌韓バカの例

【嫌韓ネタ】今度は清酒が韓国起源だって'`,、( ´∀`) '`,、:Absenteの酔いどれblog:So-netブログ

嫌韓ネタ】今度は清酒が韓国起源だって'`,、( ´∀`) '`,、 [編集]
だから「韓国人」は何時まで経っても日本人ばかりか世界中の人々に
馬鹿にされるのだと<*`∀´>ウェーッ!!ハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

プ。嫌韓バカが己の無知に気づくのはいつかな?弥勒菩薩の到来にすら間に合わなさそうだが。


http://specificasia.seesaa.net/article/83023144.html
頭のおかしい嫌韓バカがボーフラのように湧いている。

sake、つまり「酒」に付いて一寸調べれば解る事ですが、朝鮮通信史が訪日する遙か以前より酒造りは日本に於いて行われております。
如何に南朝鮮マスゴミが日本に付いてロクに調べずいい加減な存在かを示す典型的な見本記事と言えるでしょう。嘘付いてまで我が国起源と主張する神経が全く理解できません┐(´ー`)┌

記事をろくに読んでないのがバレバレ。嫌韓バカは3行以上理解できないってのは本当のようだ。
3世紀ごろの清酒のルーツの時点の話なので、「朝鮮通信史」なんて持ち出す時点で無知を披露しているようなものだ。そこまでしてバカを世界に示そうとする「神経が全く理解できません┐(´ー`)┌」

この新聞は更に

>清酒が日本酒と認識されのは、日帝強占期に収奪目的で朝鮮総督府
>公布した酒税令の影響だ。

この理屈でマッコリの存在をどう説明するのかと。確かに酒税法で酒造りを縛ったのは確かであり、日本国内でも一部の例外を除き承認無しにドブロクを作れなくなりましたが、ちゃんとした所は保護された筈で有り、朝鮮半島内にマッコリや焼酎以外のキチンとした酒造場が
無かったからでは無いのかと言いたくなりますね。

発泡酒のシェアが伸びたのは日本人が発泡酒好きだからではなく、税金が安いものを選んでいる結果だということが理解できないんだろうね、こいつは。
朝鮮の清酒に高い税金をかけられた以上、朝鮮人にとっては濁酒しか選択肢がなかっただけなんだけどねぇ。
あと、朝鮮酒の場合と日本酒の場合では酒税の納期が異なっていて、朝鮮酒が不利だったというのもあるな。(酒税令第8条)

で、もし、清酒ウリナラ起源だというのなら朝鮮清酒会社が吟醸酒だの山廃仕込みだのと作っている筈ですがそんな話し寡聞にして知りませんなあ┐(´ー`)┌逆に抱州や二東(イドン)のマッコリが名物になっている事をどう説明するのかと( ´,_ゝ`) プ

説明も何も、こいつが元記事の内容を理解していないだけなんだが「( ´,_ゝ`) プ」


感想

どうして嫌韓バカってこんなにバカなんだ?

*1:MoneyToday、2009/2/7、http://www.moneytoday.co.kr/view/mtview.php?type=1&no=2008020513462840918

*2:ま、個人的には一般韓国人がこういう報道をどう見ているかには興味があるが・・・。産経新聞に対する日本一般人の認識と似たようなものだろうか・・・

*3:http://www.geocities.jp/tomasanjp/kojiki29.html

*4:知らないだけかも

*5:「アジ歴」「朝鮮総督府施政年報 大正5年度」レファレンスコード A06032015600 、第六節 酒税令の発布、P23、画像25/208

*6:同、P24、画像26/208

*7:同上

*8:アジ歴「大正13年度 朝鮮法令輯覧」レファレンスコード A06032017900、画像441-442/1242