(追記2009/7/17)軍事板常見問題が良レスとみなしている白燐弾関連のデマ

軍事板常見問題&良レス回収機構というサイトがあります。

まあ、2chなどで見られる大量の1行コメント*1などを除いて収集している点で、見やすいという利点はあると思いますが、そもそも何を基準として「良レス」「珍説」と判断しているのか、という問題があります。

簡単に言えば、管理人の主観が色濃く反映していると。

全てが間違いというわけでもなく、また全体としてそれほど思想的に偏っている、とも思いませんが、scopedogの興味に基づいて白燐弾関連を見た限りでは、間違いや論点把握が出来ていない箇所がいくつか見受けられます。

事例1・空襲に対する安全対策

【珍説】
 昭和18年の「週報」の焼夷弾対策記事ですが,〔略〕おそらく戦局は,まともな安全対策を許さなくなっていたのでしょう.

pippo
軍事学的考察上の必要性に鑑み,引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】
 B-29爆撃機による初空襲は1944年6月からだ.
 この週報ではまだ戦略爆撃は始まっても無ェよ.

週報 第336号(昭和18年3月24日号):週報でみる戦時生活
http://www.geocities.jp/aobamil/kanchousitu/shuuhou/336.html

JSF

以上,mixiより

http://mltr.ganriki.net/unc0002wp.html

mixiからの引用のようですが、実際のpippoさんの意見は略されており全体像がわかりませんので、上記から判断できる範囲で考えてみます。

このやりとりは、1943年の日本で出された「週報」に、黄燐焼夷弾から発生する白煙は大して毒性がないのでひるまず消火するように、と書いてあることを根拠に白燐弾は大した兵器ではないと、白燐弾擁護派が主張したのに対し、pippoさんが戦局悪化のため日本はまともな安全対策をとる余裕がなかったのだろうと推定している、というものです。

これに対し、裸の魔王様JSFは、本格的な本土爆撃が1944年になってからなので、週報の内容は信用できる、と主張しているわけです。

これをもって、pippoさんの推定を「珍説」と決め付けているわけですが、これはあまりにも歴史に疎い判断です。



実際の歴史として、1944年以降に始まる米軍の本格的本土空襲で焼夷弾による空襲が多用されるようになると、週報第336号で書かれているような消火方法はまるで役に立たず日本の民間防空体制は崩壊します。黄燐焼夷弾による火災がなかなか消えないこと、黄燐の破片に触れると大火傷をすることなどは、すぐに一般に知られ、多くの人が消火を放棄して逃げるようになったわけです。
これは、週報第336号の内容が現実に即していないことを示す傍証といえます。
もちろん、これは必ずしも白燐煙の毒性によるものとは言えませんし、白燐火災の危険性だけに起因するとも言いきれませんので根拠としては弱いものです。


では、その本格的空襲が始まる前、日本軍・政府は黄燐から生じる白煙についてどのように認識していたのでしょうか。

それを示すのが、1939年の『火工教程第一部(野戦弾薬)』と1941年6月の「家庭防空群」台湾総督府情報部『部報』第124号*2です。

■『火工教程第一部(野戦弾薬)』昭14

第二百四十九 一般ノ注意

 (一) 黄燐ハ有毒ニシテ之ヲ皮膚ニ附著スルトキハ空気中ニ於テハ火傷ヲ起スノミナラス其侭放置スレハ遂ニ甚シク身体ヲ侵蝕スルニ至ルモノナリ万一黄燐ヲ皮膚ニ附著セシメタル場合ニハ二硫化炭素又ハ石鹸ニテ洗ヒ流スヘシ然レトモ応急策トシテハ局部ヲ水中ニ入ルルカ或ハ注水繃帯ヲ施シ湿潤セシメ置クヘシ但二硫化炭素ハ引火シ易キモノナルヲ以テ注意スヘシ

 (二) 黄燐ノ燃焼スルトキ発生スル白煙ハ毒性アルヲ以テ吸入セサル様注意スヘシ

(143頁)

■「家庭防空群」台湾総督府情報部『部報』第124号、昭16.6.15 
黄燐は皮膚につくと、ひどい火傷を起すから、決して素手や、素足で触れてはならない。必ず手袋をはめ、足袋を穿くこと。―火傷をした場合の手当は後に述べてある。―又黄燐から出る白い煙は毒であるから、この煙の中に入る場合には防毒面を被ること。

【 階層 】国立公文書館>内閣文庫>台湾総督府刊行物>台湾総督府刊行物>部報
【 レファレンスコード 】 A06032511500 【 画像数 】 20

いずれも黄燐から発生する白煙が毒であり、吸入しないように、あるいは防毒面を使用するようにと記載しています。

これが太平洋戦争が始まる前の、日本軍・政府の白燐煙に対する認識でした。現在の自衛隊でも黄燐弾から発する白煙は有毒であるとの認識です。


しかし太平洋戦争開戦後の1943年3月には、このように変わります。

「大型焼夷弾はどうして消すか」『写真週報』第261号 昭18.3.3
黄燐焼夷弾の煙は短時間の吸入では生理的に殆んど害はないが、猛烈な白煙を吐くから、消火に出動する者は濡手拭を用意するとよい。また絶対に皮膚を露出してはいけない。

「大型焼夷弾の防護心得」『週報』第336号 昭18.3.24
黄燐焼夷弾は猛烈な白煙を出しますが、この煙は五分や十分吸つても、生理的には殆んど無害ですから、人命救助等で、特に濃い煙の中で長い時間活動する場合は格別として、普通は防毒面を附けないで、恐れず突入し敢闘することです。

この変更はなぜ生じたのか?大きな理由として考えられるのが、対米開戦です。


日米開戦の危機が具体的に考えられる状況であった1941年8月、東部軍司令部防空参謀の難波三十四中佐が新聞に「防空必勝の栞」を発表してます。その内容について「日本陸軍の本土防空に対する考えとその防空作戦の結末」では以下のように述べてます。

日米関係がいよいよ緊張してきた同年(1941)8 月には、東部軍司令部防空参謀の難波三十四中佐が、主要新聞紙上で「防空必勝の栞」等を発表した。難波中佐は、日本が戦争に突入すれば必ず空襲を受けること、しかし決して空襲を恐れるべきものではないことを述べた。また空襲規模の予測として、日本の場合1 回の空襲で80 人程度の死傷者であり、大なる被害はないこと、投下弾も主として焼夷弾を使用することが常識であるとした。そして国民に対して、決して持ち場を離れず、隣組内に落ちた焼夷弾は全部自分で消し止める決意と準備が必要である、という意味のことを説いた。
P93
http:www.nids.go.jp/dissemination/senshi/pdf/200803/06.pdf

おそらくこれと同じ時期に内務省警保局が以下の文書を作成してます*3

  • 「軍の示唆する帝都空襲の態様」*4
  • 「消防上より観たる空襲判断、空襲判断に基く防空消防力」*5
  • 「空襲判断に基く帝都防空消防力」*6

これらの消防力研究では、隣組の協力、つまりは一般人の協力が大前提となってます。

つまり、一般人が焼夷弾として使用される黄燐が出す白煙を避けて逃げ回るようでは防空消防力の観点から見て困るわけです。

防毒面の人数分の用意も現実的ではありません*7

そのため、週報第336号などで、白煙の短時間の吸入なら無害、とことさら強調する必要があったわけです。

これは既にまともな安全対策をとっているとは言えません。
白燐煙の最小危険レベル(MRL)は0.02mg/m3で、燃料油のヒュームと同程度、化学兵器であるマスタードガスのMRLの30倍とのことです。*8
白燐弾擁護派はこれをもって白燐煙の毒性はほとんどないかのように主張しますが、これは誤りです。
危険性を判断するには、単なる濃度の比較だけではなく、有害濃度への達しやすさなど物質の特性を考慮すべきで、その特性上、白燐煙の方がより急速に有害濃度に達しやすいこと*9を把握する必要があります。また、そもそも、燃料油のヒュームの毒性は低くないという点を考慮する必要もあります。

http://www.jaish.gr.jp/anzen/mms/datasheet/mms-12800.htmlによると、ガソリンの許容濃度は以下の通りです。
許容濃度

日本産業衛生学会(2001年度) 100ppm、300mg/m3(ガソリンとして)2)
ACGIH(2001年) 300ppm(TWA(時間加重平均) ガソリンとして)1)
    500ppm(STEL(短時間暴露限界値) ガソリンとして)1)
    5mg/m3(TWA(時間加重平均) オイルミストとして)1)

ミストではなく、気化したガソリンの短時間暴露限界値だけ見ても、一酸化炭素と同レベルかそれ以上です*10
一酸化炭素は、火災時の有毒ガスとしてよく知られます。また、塩化水素の毒性とも近いレベルです*11*12(もちろん、気化したガソリン(あるいはミスト)の危険性がそのまま白燐煙に適用できるわけではないが)


1943年の日本軍・政府は週報第336号で、そのような毒性ガスの中に飛び込んでも5〜10分なら大丈夫、恐れずに消火活動すべし、と国民に求めたわけです。
現実問題として、白燐煙の濃度がどのくらいかなどの毒性に関わる情報を、現場の一般人に把握できるはずがありません。例えるなら、火災現場の一酸化炭素は低濃度なら多少吸入しても大丈夫だから恐れず突入するように、と政府が一般国民に指導するようなものです。
そして、週報第336号を元に白燐煙は大して害がないと主張するのは、一酸化炭素は大して害がないと主張するのと同レベルです*13

対米開戦とそれに伴う本土空襲が現実味をもってきた1941年中ごろの日中戦争に絡んだ日米交渉、これを”戦局”と見るならば、”戦局”が、「まともな安全対策を許さなくなっていた」というのは正しい判断と言えます。
これを「珍説」と呼ぶのは、こういった背景を知らずに、白燐弾擁護派の一方的な言説のみを取り上げた偏向性の現われと言えます。


むしろ、1943年当時の日本が黄燐焼夷弾の対応において、まともな安全対策を考慮していたと考える*14JSF説の方が珍説と言えます。




事例2・白燐が人体に付着したときの反応

【珍説】
 白リンが人体につくと,<リン>が皮膚を焼き,燃焼で生じる<五酸化二リン>が水分を奪って腐食する.

pippo
軍事学的考察上の必要性に鑑み,引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】
 固体状の五酸化二リンと接触すれば,それだけの作用は起きるだろう.
 だが煙状の五酸化二リンは,既に大気中の水分を取り込んでいて,人体表面の水分を失わせる力に掛けている.
 濃度も煙状ならば当然,固形状よりも段違いに薄い.

 まだ分からないかな.
 白リン火災で生じる煙に捲かれて失明した人は未だ居ない事に.
 眼球は露出した人体では最も水分が多く,粘膜が露出しており,水分を失ったらお終いなのに.この事がおかしいと気付かなかったのかな?

 もし失明したとしたら,白リンの直撃を受けた場合だけなのだよ.

 それと,白リン燃焼で生じる五酸化二リン煙は最低危険レベル0.02mg/m3.
 少なくとも「強い毒性のガス」というレベルじゃないんだけどね.

JSF

 五酸化ニ燐が少量でも危険なものであったら,最も出回ってる消火器(ABC粉末,主成分は燐酸アンモニウム,NH4H2PO4)は屋内の火事に使えませんよ.
 屋内で約0.7㎏の燐酸アンモニウムの発する五酸化燐と,屋外で白燐の燃え残りから出る五酸化燐,どちらのほうが人に影響を与えるのでしょうか.

ヂョウカァ

以上,mixiより

http://mltr.ganriki.net/unc0002wp.html

これはもう、pippoさんの書いている内容をJSFがちゃんと読んでいない、という点につきます。
「白リンが人体につくと」という話をしているのに、JSFは「固体状の五酸化二リンと接触すれば」と物質をすり替えて攻撃してますね。ヂョウカァ氏も同じく。
相手の書いている内容くらいちゃんと読め、という話*15

白燐が人体についた場合の説明としては、(臨床データがなく詳しく解明されていないとしても)pippoさんの説明は間違いとは言えません。
一体管理人は、どこが「珍説」だというのでしょうか?

(追記)なんかTBされてる

なんだか中の人が反論TBしてきたようですが

>そもそも何を基準として「良レス」「珍説」と判断しているのか、という問題があります。
>簡単に言えば、管理人の主観が色濃く反映していると。
というのはデマです.

http://d.hatena.ne.jp/postmark-t/20090718/1247846132

で示した判断基準はこれ*16

・レス収集時に,それがQ&A形式であれば【質問】,珍奇な主張の形式であれば【珍説】

http://mltr.ganriki.net/faq13r.html#faq13e

で、何をもって「珍奇な主張」と判断するかは、やっぱり管理人の主観じゃないんですかね?
このエントリであげた”珍説”の例は、別に珍説じゃない、と示しているわけですが、それに対してはろくに反論ないようなので、訂正の要求には応じられません。

JSF氏は)「そのような主張はしていません.」てのも勝手な決め付けですね。週報の内容をわざわざ提示している以上、そんな言い逃れは通用しませんよ。

尻馬乗りの手法

この人物については既に「週刊オブイェクト」において,完膚なきまでに批判しつくされておりますので,

http://d.hatena.ne.jp/postmark-t/20090718/1247846132

まあ、こう言っとけば、自らは全く批判できる知識がなくとも、完全否定できるから便利な言い回しだよね。

ところで、例えば以下のJSF氏の間違い指摘に対しては、JSF氏は一切スルーしてると思うのでが?
珍説1・白燐は化学兵器禁止条約の表に載ってないから化学兵器ではない|誰かの妄想
珍説4・(追記あり)白燐弾は昔からあったが2005年の報道でいきなり非人道兵器として捏造された|誰かの妄想

尻馬乗りは、こういう教祖様に都合の悪い事実は無視して「完膚なきまでに批判しつくされております」っていえるから気楽だよね。
まあ、世間一般的には「卑怯」とか言われるやり口だけど、そういうことは気にしないんだよね、きっと。

*1:罵倒や煽りなど

*2:http://d.hatena.ne.jp/higeta/20090125/p1

*3:1940年8月の警視庁の実験について言及し、かつ、本土空襲はまだない点を考慮すると、広く取っても1940年8月〜1942年4月の間の作成。空襲してくる仮想敵について具体的な言及もないことを考慮すれば、1941年12月以前であろう。

*4:アジ歴【 レファレンスコード 】 A05020285600

*5:アジ歴【 レファレンスコード 】 A05020285700

*6:アジ歴【 レファレンスコード 】 A05020285800

*7:まさにまだ本格的空襲を受けていないという状況が防毒面の準備に対して積極的になれなかった理由とも言えるでしょう。

*8:英語版WIKIの記述 The Agency for Toxic Substances and Disease Registry has set an acute inhalation Minimum Risk Level (MRL) for white phosphorus smoke of 0.02 mg/m3, the same as fuel oil fumes. By contrast, the chemical weapon mustard gas is 30 times more potent: 0.0007 mg/m3 [40].

*9:その性質ゆえに煙幕としての使用に便利なわけで

*10:一酸化炭素の場合、500ppmで一時間は安全だが、それ以上だと危険とされる。

*11:塩化水素は、100ppmで一時間は安全、1000ppmだと一時間で死亡

*12:ちなみにhttp://www.nihs.go.jp/ICSC/icssj-c/icss1400c.htmlには、気化したガソリンによる事故例として、以下の例を挙げている。『2、 1999年、4月3日、東京都の荒川を航行中のガソリン運搬船の油槽内でガソリンの抜き取り作業をしていた乗組員が意識不明の重体となって倒れた。気化したガソリンを吸入したものとみられる。吸入中毒で急性尿細管壊死、急性糸球体腎炎が起こることがある。

*13:もちろん一酸化炭素と違い、白燐煙は刺激性があるため致死量にいたるまで気がつかないことはあり得ませんから、実際には致死量に至る前に苦しくて逃げ出してくるでしょうが

*14:少なくともそう読める書き方の

*15:もちろん、管理人が引用する際に不適当な取捨をしたのかもしれないが

*16:mixiは見てない