阪神大震災時点の日本政府
阪神大震災時点(1995年(平成7年)1月17日(火))での日本政府の顔ぶれを調べてみました。
村山内閣*1
職 | 名前 | 所属政党(当時) | (現在)*2 |
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内閣総理大臣 | 村山富市 | 社会党 | − |
法務大臣 | 前田勲男 | 自民党 | − |
外務大臣(副総理) | 河野洋平 | 自民党 | − |
大蔵大臣 | 武村正義 | さきがけ | − |
文部大臣 | 与謝野馨 | 自民党 | 民主党 |
厚生大臣 | 井出正一 | さきがけ | − |
農林水産大臣 | 大河原太一郎 | 自民党 | − |
通商産業大臣 | 橋本龍太郎 | 自民党 | − |
運輸大臣 | 亀井静香 | 自民党 | 国民新党 |
郵政大臣 | 大出俊 | 社会党 | − |
労働大臣 | 浜本万三 | 社会党 | − |
建設大臣 | 野坂浩賢 | 社会党 | − |
自治大臣 | 野中広務 | 自民党 | − |
内閣官房長官 | 五十嵐広三 | 社会党 | − |
国家公安委員長 | 野中広務 | (兼) | − |
総務庁長官 | 山口鶴男 | 社会党 | − |
北海道開発庁長官 | 小里貞利 | 自民党 | − |
防衛庁長官 | 玉沢徳一郎 | 自民党 | − |
経済企画庁長官 | 高村正彦 | 自民党 | 自民党 |
科学技術庁長官 | 田中真紀子 | 自民党 | 民主党 |
環境庁長官 | 宮下創平 | 自民党 | − |
沖縄開発庁長官 | 小里貞利 | (兼) | − |
国土庁長官 | 小澤潔 | 自民党 | − |
内閣法制局長官 | 大出峻郎 | 官僚 | − |
内閣官房副長官 | 園田博之 | さきがけ | たちあがれ日本 |
内閣官房副長官 | 石原信雄 | 官僚 | − |
26ポストに対して24人。うち社会党議員は6人、自民党議員は13人、さきがけ議員は3人、議員以外が2人。
村山政権成立前の第40回衆院選(1993)の結果では、自民党223人、社会党70人、さきがけ13人。第16回参院選(1992)の結果では、自民党107人、社会党71人、さきがけはこの時点ではなし。
つまり阪神大震災当時、首相こそ社会党の村山であったが、大臣ポスト数、衆参議席数ともに自民党が圧倒的な数を持っていたわけです。
阪神大震災のときは自衛隊への派遣要請が遅かったのは社会党政権だったから、とのデマもありますが、当時の防衛庁長官は自民党の玉沢徳一郎で、この人は「第三次世界大戦に備えるべく、軍備増強は必要不可欠」などと主張するような人だったようですからね。
ちなみに震災3日後の1月20日には、北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官だった自民党の小里貞利を新設の震災対策担当大臣に任命し、北海道・沖縄開発庁長官はやはり自民党の小澤潔国土庁長官に兼務させています。
阪神大震災当時、政府の対応を厳しく批判していたのは当時新進党を率いていた小沢一郎です。震災初期対応が終わり復興の段階に入ると政府批判はさらにエスカレートしましたが、当初政権与党として擁護していた自民党は徐々に責任を社会党に押し付けるような言動をするようになり社会党は凋落、1996年11月の第二次橋本内閣で野党に転落しました*3。