危機と危機感

スポ日が以下の記事を17日に掲載しました*1

米紙がズバリ指摘 混乱の原因は「政治指導力の欠如」
 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は16日、東日本大震災後の日本で混乱が深まっているのは、政治指導力の欠如や、民主党政権への不信感から官僚の能力が生かされていないことが原因だとする分析記事を掲載した。
 「日本の指導部の欠陥が危機を深刻化」との見出しの記事は、計画停電実施に際して事前情報が少なく、市民の不安が増大したと指摘。1970年代の石油ショックでは、企業の計画停電が官僚主導で「整然と」実施されたのとは対照的に、今回は「菅直人首相や官僚は一切計画にタッチせず、東京電力に任せきり」で、被害拡大や国民の危険に関する情報の共有をめぐっても「指導力の欠如」を浮き彫りにしたとの見方を示した。
 民主党は、政策に一貫性がなく経験不足で迷走、官僚も不信感を抱いていると指摘。米国防総省国務省などで勤務した経験があり、日本の省庁にも出向したことがあるロナルド・モース氏は「現在の日本政府は明らかに指導力が欠如している。こういう事態で、その度合いは明確になる」と述べた。(共同)

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/17/kiji/K20110317000443540.html

まあ、スポ日だけの記事だったらそれほど信憑性もないでしょうが、ニューヨーク・タイムズに「日本の指導部の欠陥が危機を深刻化」と書かれたという記述がかなりインパクトを持ったようで、割とあちこちで引用されています。
しかし、実際のニューヨーク・タイムズの記事タイトルは「Flaws in Japan’s Leadership Deepen Sense of Crisis」*2で、「危機を深刻化」したのではなく「危機”感”を深刻化」したと書いてあり、誤訳としか言いようがありません。スポ日の記事もよく読めば、「市民の不安が増大した」とあるように深刻化したのは危機ではなく危機感だと言うことがわかりますが、記事タイトルの誤訳はちょっと酷すぎます。
ニューヨーク・タイムズの記事では、情報提供の不足についてかなりの量を割いていますが、それについては民主党政権云々ではなく、戦後日本はずっとそうだったという指摘がされています。

Never has postwar Japan needed strong, assertive leadership more — and never has its weak, rudderless system of governing been so clearly exposed. With earthquake, tsunami and nuclear crisis striking in rapid, bewildering succession, Japan’s leaders need skills they are not trained to have: rallying the public, improvising solutions and cooperating with powerful bureaucracies.

(意訳)
戦後日本は一度も強力で自信たっぷりなリーダーシップを一度も必要としなかった--その弱く優柔不断な統治システムが明確に暴露されたことも一度もなかった。今回のように急速で混乱の連続となった地震津波原発危機の直撃で、日本のリーダーにはそれまで訓練したこともない技能(国民を元気付け、解決策を即興で示し、強力な官僚機構を積極的に動かす*3)を必要とされた。

そして、原発事故に対する日本政府や東電の説明が曖昧だという指摘とともに、それが日本の文化であることを説明しています。

The less-than-straight talk is rooted in a conflict-averse culture that avoids direct references to unpleasantness. Until recently, it was standard practice not to tell cancer patients about their diagnoses, ostensibly to protect them from distress. Even Emperor Hirohito, when he spoke to his subjects for the first time to mark Japan’s surrender in World War II, spoke circumspectly, asking Japanese to “endure the unendurable.”

(意訳)
あまり率直でない話し方は、直接的な言及で不愉快に感じさせるのを避けようとする闘争嫌いな文化に由来する。癌患者に苦悩させないように癌の事実を患者に話さないことは最近まで日本の標準だった。昭和天皇が日本が太平洋戦争で降伏したことを臣下に話す時ですら、慎重に「耐えがたきを耐え」と表現した。


そして、枝野官房長官に対しては好意的な表現を使っていますが、それでも詳しい言及が出来なかったため、海外では不安が増大したと説明しています。

Yukio Edano, the outspoken chief cabinet secretary, has been one voice of relative clarity. But at times, he has seemed unable to make sense of the fast-evolving crisis. And even he has spoken too ambiguously for foreign news media.
On Wednesday, Mr. Edano told a press conference that radiation levels had spiked because of smoke billowing from Reactor No. 3 at Fukushima Daiichi, and that all staff members would be temporarily moved “to a safe place.” When he did not elaborate, some foreign reporters, perhaps further confused by the English translator from NHK, the national broadcaster, interpreted his remarks as meaning that Tepco staff members were leaving the plant.
From CNN to The Associated Press to Al Jazeera, panicky headlines shouted that the Fukushima Daiichi plant was being abandoned, in stark contrast to the calm maintained by Japanese media, perhaps better at navigating the nuances of the vague comments.

(意訳)
枝野官房長官は(東電に比べ)相対的に明確な発言をしてきたが、それでも時折、急速に進展する危機に対して理解を欠いているようだった。そして枝野官房長官でさえ海外メディアに対しては曖昧すぎた。
水曜日(3月16日)の記者会見で枝野官房長官は、福島第一原発第3号炉から発生した白煙による放射線レベルを避けるため、全ての職員を一時「安全な場所」に移動した、と説明した。そして、そのことについて官房長官が詳しく説明しなかったため、何人かの外国メディア記者はおそらくNHKの英訳によって余計混乱し、本国のニュースキャスターは官房長官の所見を東電スタッフが福島第一原発を放棄したと解釈した。
CNNからアルジャジーラAP通信まで、福島第一原発は放棄されたとパニック状態の見出しを並べた。それは曖昧なニュアンスを解釈するのが得意な日本メディアが平穏を維持していたのに比べ、あまりにも対照的だった。

このあたりは、1945年に日本政府がポツダム宣言を”黙殺した”と表現した際の連合国側の解釈と似ているように思えます。
記事はその後、原子力安全・保安院は官僚の天下り先であり国と密接な関係にあり、原子力推進で一致しており、東電などの企業とも密接であったため、原発危機の管理を難しくしたと述べています。
さらに、戦後日本からは政治指導者がいなくなり、アメリカに依存した外交と強力な官僚機構の下で発展してきたが、ここ10年間で官僚の権威は失墜し、経済低迷の中で企業も力を失ってしまったと指摘している。官僚機構は弱体化し経済も低迷し企業の力も失われているにも拘らず、これに代わる政治的権力が現れず、4年の間に4人もの首相が入れ替わるという事態になっている。
この災害が起こる前、ほとんどの政治評論家は、菅首相もすぐに辞めるだろうと書いていた。

このあたりでようやく現政権の話になります。

Two years ago, Mr. Kan’s Japan Democratic Party swept out the virtual one-party rule of the Liberal Democratic Party, which had dominated Japanese political life for 50 years.
But the lack of continuity and inexperience in governing have hobbled Mr. Kan’s party. The only long-serving group within the government is the bureaucracy, which has been, at a minimum, mistrustful of the party.
“It’s not in their DNA to work with anybody other than the Liberal Democrats,” said Noriko Hama, an economist at Doshisha University.
Neither Mr. Kan nor the bureaucracy has had a hand in planning the rolling residential blackouts in the Tokyo region; the responsibility has been left to Tepco. Unlike the orderly blackouts in the 1970s, the current ones have been carried out with little warning, heightening the public anxiety and highlighting the lack of a trusted leader capable of sharing information about the scope of the disaster and the potential threats to people’s well-being.
“The mistrust of the government and Tepco was already there before the crisis, and people are even angrier now because of the inaccurate information they’re getting,” said Susumu Hirakawa, a professor of psychology at Taisho University.

But the absence of a galvanizing voice is also the result of the longstanding rivalries between bureaucrats and politicians, and between various ministries that tend to operate as fiefdoms.

“There’s a clear lack of command authority in the current government in Tokyo,” said Ronald Morse, who has worked in the Defense, Energy and State Departments in the United States and in two government ministries in Japan. “The magnitude of it becomes obvious at a time like this.”

(意訳)
2年前に菅首相民主党が、50年もの間日本の政治を独占してきた自民党による仮想一党支配を一掃した。
しかし、統治における継続性の欠如と経験不足が菅首相民主党の足を引っ張った。政府内で唯一長期に渡って継続的に仕えていたのは官僚機構だけだったが、彼らは民主党を信じてはいない。
同志社大の浜矩子は「官僚機構には、自民党以外の政党と協力するためのDNAが存在しない」と指摘する。
菅首相も官僚機構も関東の計画停電の計画に関与せず、その責任を東電に委ねてしまった。1970年代の計画停電と異なり、ほとんど警告なく、一般の不安を増大させ、災害の範囲と潜在的脅威について一般に理解させるべき信頼されるリーダー像の欠如を伴って、今回の計画停電は実行された。
大正大学の広川進助教*4は「危機以前に、政府や東電に対する不信が既にあり、現在人々は自分たちが得られる情報が不正確であることにより怒っている」と指摘する。
しかし、鼓舞する声が少ないのは、長年にわたる官僚機構と政治家の戦い、そして封建的な傾向を持つ省庁間の争いの結果でもある。
日米の政府機関で働いたことのあるロナルド・モースは「明らかに現政権には、命令を発するだけの権威が不足している。そういう権威の大きさはこういう時に明らかになる」と指摘した。

計画停電に関して1970年代と比較するのは、ちょっと不公平な気がします。1970年代の計画停電中東戦争に端を発する石油ショックによるもので計画停電を立案実行するのに充分な時間がありましたが、今回の場合、地震津波による発電所のダウンという物理的な電力不足に伴うもので3月11日の震災からわずか3日後の14日から実施予定でした。しかも、震災・津波原発事故の対応を同時並行でやっている最中ですから、そもそも政府に余力がなかったことも考慮すべきとは思います。

それをさておいても、全体を通して見た感じ、スポ日の記事のように「被害拡大や国民の危険に関する情報の共有をめぐっても「指導力の欠如」を浮き彫りにした」とは読めません。特に「指導力の欠如」が被害を拡大したという指摘はどこにもありませんし、うさんくさい内容です。
基本的に、民主党固有の問題ではなく、曖昧な表現を好む日本の文化が海外に不安を与えた原因であったこと、政治と官僚の対立・省庁間の対立が国民の政府不信の原因であったことを指摘する記事と言えるでしょう。

民主党は、政策に一貫性がなく経験不足で迷走、官僚も不信感を抱いていると指摘」これも元のニューヨーク・タイムズの記事にはない記述であって、共同かスポ日の見解が付加された内容である。「政策に一貫性がなく」「迷走」に該当する部分は一切なく、「官僚も不信感を抱いている」というのも「官僚機構には、自民党以外の政党と協力するためのDNAが存在しない」との指摘を無視しているため元記事の主旨を外しています。

さらに「官僚機構には、自民党以外の政党と協力するためのDNAが存在しない」との指摘は、ロナルド・モースの「明らかに現政権には、命令を発するだけの権威が不足している。」という発言を理解する上でも重要な点でしょう。
スポ日記事では「指導力」と訳されている部分は、原文では「command authority」であり、文脈を考慮すれば誤訳に近いと言えます。

*1:共同通信からの配信のようですが、スポ日以外に掲載しているのは見つけられませんでした

*2:http://www.msnbc.msn.com/id/42114871/ns/world_news-asia-pacific/

*3:直訳だと「強力な官僚機構に協力する」となるが、統治機能の成立ちにおける日米の違いを考慮すれば「強力な官僚機構を積極的に動かす」と訳す方が適切だと判断した。

*4:原文はSusumu Hirakawa, a professor of psychology at Taisho Universityとなっているが、広川進助教の誤記ではないかと思う。