日本人慰安婦に関する公式の場での言及

戦後の国会で「慰安婦」に言及した初めての発言。
1948年昭和23年11月27日衆議院法務委員会における最高裁判所専門員村教三氏*1の発言です。

当時、戦後の混乱から生活に困窮した女性たちの中には売春婦に身を落とす者が多かったため、売春防止法の制定を急がないでくれと売春婦の組合が陳情したという内容です。

○村專門員 陳情者は大阪府接待婦組合連合会会長松井リウであります。私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかりで、いずれの職域においても、現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず、その上他の方面においては衞生設備は不十分なるため、健康上おもしろくなく、不幸にして病氣にかかりましたら、一般の開業医にかかりますと藥價、治療費が高くかかり、いくらくふうして働いても医者の奉公をしておるようなもので、治療はおろか生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。戰いに負けたとはいいながら、民主平和國家を建設して一日も早く世界の仲間入りをするためには、今度のような法律ができることは、理想からいえば当然とは思いますが、このごろの世相よりしまして、さきに申し上げました通り、職業婦人として働いている婦人の中には、皆さんがお考えになつておられるような、給料だけで生活しておられる方はほとんどないといつても過言でないと思います。
 こころみに街娼をごらんになりましてもおわかりの通り、あの中には一流会社の女事務員から百貨店の女店員、女学生、ダンサー、女給等とあらゆる職業婦人であり、よし街娼はしなくとも、他の方法にて別の收入を得て生活していることは間違いないのでありまして、またそうすることによらなければ、今日このごろ洋服の一着も靴の一足る買うことができないのが事実であります。私たちにいたしましても、決してすきや好んでこうした職業に入つたのではなく、諸種の職域において職業外の收入の道をくふういたさなければ、子供を養うことも家族を助け、または兄弟のめんどうを見ることもできず、他の方面で苦労したあげく、健康上安心して働ける衞生設備の完備した、こうした職業を選んで働いているような次第でございます。

慰安婦に限らず、従軍看護婦*2やその他女給、女工など、戦後の困窮の中で売春せざるを得ない状況に陥っていました。日本人慰安婦について考える場合、戦時中の強制売春のみならず、戦後政府の無能力による責任も問われるべきでしょう。吉見義明氏の「従軍慰安婦」や山田盟子氏の著作には、戦後における米軍向け慰安婦についての記述もあり、それらをちゃんと問題として捉えています。
どこかのネトウヨのように、朝鮮人慰安婦を侮辱するためだけに日本人慰安婦を利用するがごとき卑怯なマネはしていません。

さて、現在の売春防止法は1958年昭和33年4月から施行されていますが、法律自体は1956年に成立しています。その成立までに約10年かかっていますが、それは売春婦自身が売春以外に収入の道がなく、売春を違法化しないで欲しいと訴えたためでもあります。
村氏は次のように続けます。

 いかに男女同権とか基本的人権の尊重が叫ばれましても、現在の社会はそんなりつぱなものではありませず、私たちのうち、女中奉公中主人にむりを言われ、ビズネス・マンとして上役の人よりむりを言われ、いずれの職域においても職業婦人は横暴なる男性のたにめ犠牲になり、苦労しているのが事実であります。現在の職業に入り、一般世間の人のお考えになり御心配なされておるようなことはなく、まつたく自由であり、その上経済的に惠まれ、他の一面で同じような意味で今日まで苦労をしたのがばからしいような氣がします。
 方のような意味よりしまして、職業婦人の一部のうち、特に近親のめんどうを見る一定の期間働くためには、どうしてもこうした職域が必要と思います。少くとも経済界が安定して生活苦が少くなり、一般職業婦人が給料にて生活ができ、その上服の一着もくつの一足も買うことができ得るようになり、他面青年男女が一定年令に達したなれば、結婚して主人の收入にて生活ができるよう、また全國民が衞生思想が発達し、性教育が今少し普及され、すべての点につき世界の水平線まで進み、自他ともに認められる時期まで、今度の法律が出ぬようにしていただきたいと思います。

戦後の混乱と困窮、そして男女同権思想の未成熟が、戦時中の慰安婦以外の女性をも売春せざるを得ない状況に追い込んだわけです。それと類似した売春業への追い込みを日本政府は朝鮮半島や台湾で行っていたわけです。異なるのは、戦時中においては日本政府・日本軍が売春女性を求める大きな需要を要しており、戦後日本のように売春業を減らそうとする努力など一切しなかったと言う点です。



ちなみにこの村氏が紹介した陳情に対して答弁を行ったのが、当時31歳で当選1回目の衆議院議員で吉田内閣の法務政務次官を勤めていた田中角栄です。

○田中(角)政府委員 ただいまの陳情に対してお答えいたします。陳情の趣旨は十分了承しました。このような業務に從事する婦人の中には、種々事情のあることも十分承知いたしておりますが、しかし戰後著しく増加して参つたこの種行為は、健全な性道徳を破壞し、善良な風俗をみだし、のみならず恐るべき性病を蔓延せしめるもととなるものでありますから、政府としましてはかかる行為の絶滅をはかることを必要と考え、その一つの方策として、第二回國会にも賣春等処罰法案を提出したのであり、あれは審議未了に終りましたが、近く、さらに同様の法案を國会に提出する準備をいたしておるのであります。われわれとしましては種々研究の結果、現在の事態に対処するためには、このような法案がぜひ必要であるとの結論に到達いたしているのでありますが、國会提出の上は、國会において十分愼重な審議が加えられることを望んでいるものであります。

*1:法学の教授として著名な人です

*2:看護婦と募集されたものの前線に慰安婦を強要された者も多い