「あいつらウゼえ」と思うのは誰か

東浩紀
@hazuma
抗議は重要だが、あいつらウゼえと思われたら終わりというのは、性的マイノリティ云々以前の問題で、ぼくは結局はそれを指摘しているにすぎません。
12:43pm 日曜 7月 15 webから

http://mobile.twitter.com/hazuma/status/224559947092983810

この場合「あいつらウゼえ」と思っているのは東氏自身ですよね?
そして主語を「私」ではなく「世間」と置き換えるために、「ぼくは結局はそれを指摘しているにすぎません。」と逃げを打つ。まるで「私」ではない第三者がそう思っているように。
マイノリティによる抗議はいつの時代もどんな要求もマジョリティによって「あいつらウゼえ」と思われてきました。マジョリティ・マイノリティは、必ずしも絶対的な頭数で決められるものではなく、言わば声の大きさによります。頭数で劣勢なマイノリティは、声を上げることによってマイノリティから脱しようとします。頭数で優勢なマジョリティに無視されないように声を上げるのです。「あいつらウゼえと思われたら終わり」なのではなく、そこから始まるのですよ。
マジョリティがその声に耳を傾けるのか、それとも「ウゼえ」と言って弾圧に加担するのか、そこはマジョリティ側の民度の問題です。

「あいつらウゼえと思われたら終わり」という指摘は、結局は「お前らは黙ってろ」という抑圧の加担に過ぎません。民度が低すぎてマイノリティの声に耳を傾けることすらできないわけです。
東浩紀氏の発言は、マジョリティの民度の低さを代表していると言えます。
これで思想家を騙れるんなら、「うるせぇ、黙ってろ」と怒鳴っている酔っ払いだって立派な思想家ですね。

結局のところ、民度の低いマジョリティは、マイノリティに対し聞こえるか聞こえないかわからない程度のささやき声で抗議しろ、俺たちの気分が良ければ聞いてやる、という態度を示すということで、今の日本が、まさにこのレベルだということになります。