高級将校らの性接待

「独山二一もう一つの戦争」溝部一人、P71

 ところで、連隊長以上の高級将校の性はどのように処理されていたのだろう。例えば、部隊が第六師団配属下で、石城湾東地区附近に警備してたころ、大沙坪で団隊長会議があった。これがいわゆる井上旅団長の温情のもとに、管内の連隊長のために設けた「ピー買い会議」であった。(戦後原田連隊長が山口静一氏に話された)
 前線ではこうした機会が利用されたし、また後方になると、内地から調度品ごとそっくり運び込んだ料亭の芸者と仲居が、高給軍人たちの”高給慰安婦”として、昼夜をとわず”会議”の名目のもとに、その務めを果していた。
 一例をあげると、漢口には将校用料亭として、日本料理店三軒、中国料理店一軒。ここには接待婦(芸妓−といっても芸妓と娼妓の二枚鑑札)をおいてあって、その数二十四〜五名ほど。このほか日本租界に、軍司令部は副官部直轄として高給料亭「曙」と「喜楽」をもっていた。これは司令部のお偉ら方や佐官以上の上長官用で、ここの芸妓たちは、もしほかの者と遊んだことが見つかると前線へとばされる、と噂があった。こうして軍の介在は、特権によって女たちを拘束していた。

高級官僚のやることはいつの時代もどこの国も変らないですね。
まあ、「副官部直轄として高給料亭「曙」と「喜楽」をもっていた」というのは旧日本軍以外にはあまりないと思いますが。