主張すること自体は悪いことではない

領土問題に関して言えば、日本政府はまさに当事者ですから領有権を主張するのはある意味で当然です。当事者が自分の利益のために主張することですから。

中国に対抗、尖閣諸島の領有主張=NY首席領事が米TV出演
時事通信 10月12日(金)10時26分配信
 【ニューヨーク時事】在ニューヨーク総領事館の川村泰久首席領事は11日、米テレビ「NY1」のニュース番組に出演し、尖閣諸島について「法的にも歴史的にも日本の領土であることに疑問の余地はなく、解決すべき領土問題は存在しない」と主張した。
 尖閣をめぐっては中国側が米主要紙に領有権主張の全面広告を出すなど対米世論工作を強めており、日本政府も対抗して発信を強化していく考えだ。
 川村首席領事は「石油資源の可能性が指摘された後の1971年まで100年近く、中国が日本の尖閣領有に反対したことはない」などと指摘。同時に「日中両国は国際秩序と経済繁栄に対して大きな責任を負っている」と述べ、日中対立の緩和に努力する考えを強調した。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121012-00000034-jij-int

もっとも個々の国民が日本政府の主張に従わねばならない、という理屈もありません。主張内容に粗があれば、その内容には無理がある、と指摘するのは国民主権の民主主義社会における市民の義務でしょう。

例えば「石油資源の可能性が指摘された後の1971年まで100年近く、中国が日本の尖閣領有に反対したことはない」の部分ですが、日本が尖閣諸島を領有した1895年からいくつかの時期に区切って見ましょう。

1895年〜1945年

日清戦争末期の1895年に日本は尖閣諸島を日本領としていますが別に国際的に公表したわけでもありません。そしてこの直後に日本は澎湖列島を軍事占領し、下関条約で澎湖列島含めた台湾を清国から奪い取っています。尖閣諸島領有化を公言していないことを踏まえて、この流れを見れば、下関条約尖閣諸島含めて日本に奪われたという解釈がなされて当然のことでしょう。
そしてこの1895年から日本が第二次世界大戦で敗北して海外植民地を失う1945年まで、台湾含めて日本領でした。

1895年〜1945年の間台湾が日本領であった以上、尖閣諸島の行政区域が台湾であるか沖縄であるかは日本が勝手に決めて構わないことであり、他国が口を出す話じゃありません。
従って、外務省のサイトに書かれている以下の部分は、何の意味も持ちません。

なお,1920年5月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html

中国から見れば、台湾と一緒に奪われた尖閣諸島が日本政府によって沖縄県の行政区域になっただけの話にすぎません。その時点で台湾は中国領でないのですから、「尖閣は沖縄ではなく台湾だ」などと主張するはずがありません。

1945年〜1972年

この期間に関して言えば、そもそも日本が尖閣諸島含め沖縄を領有していません。米軍占領下です。
この期間においても、中国は尖閣の領有権を主張していないと主張していますが、実際には1943年11月10日の時点で「琉球諸島は中国に帰属する」*1と主張しています。もっとも日本が尖閣領有を公表しなかったように、中国(中華民国)もこの沖縄領有の主張を直後のカイロ宣言では出していませんが、琉球の共同占領、共同での国際信託統治については切り出しています。
戦後も沖縄全体の領有を中国(中華民国)は考えており、尖閣諸島という一部分の問題として捉えていませんでした。1947年には中国(中華民国)で琉球”返還”要求が盛んになるなど、明らかに尖閣諸島を含めた領有権の主張がされています。
その後、中華民国国共内戦に破れ台湾に逃れますが、そのために琉球問題に対する交渉力がかなり低下していたものの1953年に奄美大島を日本に返還する意向を示したアメリカに対し、抗議しています(1953年12月24日)。つまり、中華民国は米軍占領下の琉球そのものを日本とは認めていなかったわけです。

奄美大島の件を考えれば、沖縄が日本に復帰する直前の1970年頃に中華民国尖閣諸島の領有権を改めて主張したことはおかしな話ではなくなります。そもそも琉球を日本領と認めていなかったのですから。

一方の中華人民共和国は早期から沖縄の日本復帰を支持してきました。もちろんこれには冷戦の複雑な力学が絡んでいます。中国と対立する米軍が占領している状態に対する憂慮です。そのため、米軍占領に反対する日沖の反米運動を支持したわけで、当然中国にとっての「沖縄」とは米軍に占領されている領域になったわけです。

これらを踏まえると、外務省の次の発言も正当性が怪しくなります。

また,1953年1月8日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があるほか,1960年に中国で発行された中国世界地図集では,尖閣諸島が沖縄に属するものとして扱われています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html

1960年代、毛沢東はしきりに「日本の領土沖縄」という表現を使っていますが、これ自体、沖縄が日本ではなかったが故の主張です。結果として1972年に沖縄は日本に復帰しますが、中国も台湾も尖閣諸島に関してまで日本領と認めたわけでありません。

まとめ

1895年〜1945年の間は、日本が台湾を領有していたため、尖閣諸島が沖縄か台湾かなどという主張を中国側がする意味がありませんでした。
1945年〜1972年の間は、尖閣諸島を含め沖縄全体が日本領ではありませんでした。台湾は沖縄自体の領有すら主張しており、沖縄の日本復帰が確定的になった1970年頃に琉球全体の日本復帰を認めない、つまり尖閣諸島の領有権を主張する立場を取ったわけです。
「石油資源の可能性が指摘された後の1971年まで100年近く、中国が日本の尖閣領有に反対したことはない」という発言は、前半50年については意味がなく、後半30年についてはそもそも日本領ではなかったことから、中身のある発言とはいえません。

外務省のサイトでは、1895年〜1945年の間、台湾が日本領であったことにほとんど触れていませんし、米軍占領下の沖縄が当時、日本に復帰するかどうか自体不透明であったことにも触れていません。もし国共内戦蒋介石中華民国が勝っていれば、沖縄は現在中国領だったかも知れませんが、現在の状況は所与のものと考えがちですからなかなか想像が至らないようですね。

ちなみに面白いことに台湾も中国も早い時期から、北方領土に関しては日本の主張を支持するという態度を取っています。


こういう主張をすること自体も政府とは異なる見解を持つ一国民として悪いことではないでしょう。

*1:「中国の琉球・沖縄政策 - スラブ研究センター」src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/japan_border_review/no1/05_ishii.pdf