RAAの話題をドヤ顔で持ち出す人は「従軍慰安婦」の基本書すら読んでない

ここのコメント欄のemmy_hilander氏とか、ブクマのkomamix氏とかが、何の根拠もなく、「RAAだって結局はアメリカの意向で出来て」とかデマを垂れ流しています。

RAA(Recreation and Amusement Association:特殊慰安施設協会)は、東久邇宮内閣が成立した1945年8月17日の翌日、内務省警保局長・橋本政美が各庁・府県長官宛に発せられた「進駐軍特殊慰安施設について」と題する電報から始まります。もちろん警保局長が勝手にやったのではなく、前日の東久邇宮内閣の初閣議で決められたことはまず間違いなく、敗戦後初の内閣が最初にやったことが、連合軍将兵の下の世話だったわけです。

ここで重要なのは、8月17日・18日の時点では連合国軍はまだ上陸していないということです。連合国軍の上陸は公式には1945年8月28日*1。つまり、日本政府は、連合国軍が上陸している以前から、要求されてもいない性欲処理を自ら申し出たわけです。
emmy_hilander氏もkomamix氏も、この程度のことすら知らないわけですが、まあ慰安婦問題否認論者のほとんどは同レベルでしょう。

そしてそれは、彼らが慰安婦問題の基本書すらろくに読んでおらず、慰安婦問題について大した知識もないことを示しています。なぜなら、RAAに関する記述は、吉見義明氏の「従軍慰安婦 (岩波新書)」(1995)にはもちろん、千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973)にも載っている有名な事実だからです。

吉見「従軍慰安婦 (岩波新書)」P196-202
 連合国軍が日本に進駐するのは八月二八日である。その直前の八月一八日、日本政府はみずから進んで連合国軍用の慰安所の設置を指示している。国民の中に恐怖感が広がり、騒ぎが大きくなると、ただちに動き出しているのである。軍慰安所制度をもっていただけに動きはすばやかった。
 (略)
 日本政府によって推進され、業者を使って開設された連合国軍用慰安所は、こうして消滅した。だが、連合国軍が進駐した地域の多くの人びとがその設置を要望し、短期間のうちに全国主要都市に設置されていったという事実は重い。また、連合国軍も短期間とはいえ、これを受け入れていた(その後もアメリカ軍基地の周辺の売春施設がなくならなかったのは周知の事実である)。結局、日本人も連合国軍も、戦争中の従軍慰安婦制度を人権侵害問題として捉えるという意識が希薄なまま、推移していくことになった。

千田「従軍慰安婦」P209-211
 ともあれ、こうして“慰安婦”の歴史は昭和十三年早春に生まれ、昭和二十年夏の敗戦により終末を告げた。だが、こうした慰安婦の密着性、その必要性を考えるのは“軍”だけの発想ではなかった。戦後に明らかとなったが、日本為政者にも明確にあった。
 その象徴的なあらわれが内務省(警察)、大蔵省が共同して敗戦直後に作りあげた“特殊慰安施設協会”である。すでにご承知の方もおられるだろうが、この略称“RAA”(レクリエーション・アミューズメント・アソシエーション)なる協会は、日本の降伏により全面進駐してくる連合軍が、戦勝国軍隊としてかつて日本軍が占領地でやったと同様な行為を展開するだとろとまず考え、それを前提に作られたのであった。すなわち、連合軍将兵による日本婦女子へ手当たりしだいの暴行の阻止である。
(略)女性の数は当初二万人で、のち五万人をこえたという。もちろん、この中に朝鮮人女性は一人もいない。できることならすべてを朝鮮人女性にゆだねたいというのが願いだったかも知れないが、敗戦とともに朝鮮は植民地でも国土でもなくなっていた。朝鮮総督の命令いっか、警官隊を動員し若い婦女子を思いのまま集め得たのは夢物語になっていた。吐きかけた唾がかえって来たのである。
 いっぽう所要経費、すなわち女性を集める費用や施設費は概算で五千万円と見積られ*2、この金は大蔵省の口ききで、勧銀から三千三百万円が融資という形で右から左に支出された。三千万円は現在の貨幣価値にして五百億円以上にはなる*3。そして、「これだけの金で日本女性の貞操が守れるなら安い」と当事*4主計局長だった池田勇人(後首相)が語ったという話も伝えられている。融資は無担保だったという*5


RAAが正式に消滅したのは1949年4月22日ですが、連合軍用慰安所としては1946年3月27日の封鎖で事実上消滅しています。このわずか7ヶ月間に連合軍用慰安婦として売春を強要された女性は最盛期で7万人と言われます*6

わずか7ヶ月間、占領軍兵力40万〜50万に対して、7万人の慰安婦であったことを考えると、1937年7月から1945年8月までの8年間で300万人の日本軍に対して20万人の慰安婦というのは推定値としても特におかしくはありませんし、むしろ20万人でも少ないのではないかと思わされます。

少なくとも、慰安婦数を2万人程度という秦郁彦氏の推定は現実離れしていると言えるでしょうね。


*1:8月27日に上陸していたという非公式な記録もありますが、そもそも8月26日の先遣隊上陸予定を天候不順のため48時間延期したという事情があったため、少なくとも関東においては日付の誤記と思われます。

*2:RAA理事の山下茂氏の回想では、1億円とも言う。1974年「サンデー毎日

*3:1973年当時の価値

*4:ママ。「当時」

*5:実際には、RAAを構成する団体の組合員の戦時火災保険などの特殊預金を担保としていましたが、凍結中であり、事実上は無担保と言えます。

*6:みんなは知らない国家売春命令」小林大治郎、村瀬明、1995(初版は1971)P68