「挺身隊」という語の使用例

従軍慰安婦は韓国では「女子挺身隊」という名でよく知られています。しかし慰安婦否認論者は「女子挺身隊が慰安婦になっていない」とし、慰安婦をデマだと決め付けるのに利用しています。ここでは「挺身隊」=「日本の国家政策における挺身隊」に限定して否定するという詭弁手法が使われています。
実際には、「挺身隊」は政策上の定義に限定されるわけではなく、一般的な用語です。

ていしん‐たい【×挺身隊】. 任務を遂行するために身を投げうって物事をする組織。
提供元:「デジタル大辞泉

ところで、例によってWikipediaでは適当なことが書かれています。

日中戦争の頃、挺身隊という語は男女問わず「自ら身を投げ出して進めること」として1940年から使用されていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%8C%BA%E8%BA%AB%E9%9A%8A

しかし、一般的な用語としての「挺身隊」の文字は1940年より以前から見られます。
例えば、日中戦争直前の1937年1月15日の記事ですが、

新聞記事文庫 経営(8-071)
神戸又新日報 1937.1.15(昭和12)

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小売商の挺身隊横の百貨店
二月一日に店開き

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百貨店対小売店の深刻な抗争も現下の経済機構の下では所詮鉾を収めそうにもなく益々熾烈となり随所に各形態を作りながら喰うか喰われるかの血みどろの戦いも酣だ茲に又しても強敵百貨店の堅塁めざす小売店の挺身隊が"東洋百貨サービス"と銘打って雄々しくもデビューした、これは全市一流の加盟店百三十の商店が株主となって共同出資によって設立されたもので一丸となってサラリーマン層をねらい下は第三階級に至るまでの所謂大衆層に広く喰い入らんとして居り百貨店側でもこの"横の百貨店"の出現には面喰らっている
(略)

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データ作成:2008.5 神戸大学附属図書館

神戸の百貨店に対抗する小売店を「挺身隊」と呼んでいます。さらにさかのぼると1933年9月8日にも以下のような記事があります。

新聞記事文庫 市場(7-119)
大阪毎日新聞 1933.9.8(昭和8)

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貿易新日本の挺身隊勇躍英商権の牙城へ
アフリカ旅商班・元気よく…花やかな榛名丸の出帆

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郵船欧洲航路榛名丸は、七日午後三時神戸を出帆したが、同船で賑やかに欧洲へ旅立った人々は
インド駐在武官に赴任する粟飯原秀陸軍中佐、日本駐在公使から今度ルーマニア公使に転任するボルトガル公使ジャスチノモンタルバ氏、ビアノの研究にフランスへ赴く外山道子嬢、欧洲家庭制度視察の岡崎文●氏、フランスでアンナ・ベラとラ・バタイユの映画をとるという女優岡田静江嬢、貿易新日本のパイロットとして日本商品進出の処女地西アフリカに雄々しく先発する日本輸出連盟アフリカ派遣員の一行五名をはじめ逓信省技師白井武氏、三菱商事シンガポール支店長山口勝、同てる子夫人等々
日本輸出連盟アフリカ派遣員は小阪治氏(神戸田島商店)吉田啓一氏(名古屋陶磁器商)宮地静夫氏(大阪福島洋行)大宮照一氏(大阪浅井文具店)藤井万吉氏(大阪自転車輸出商)の五名
我々先発隊はササブランカ(モロッコ)を振出しにアフリカ西海岸を旅商するもので、その携行品も文房具、自転車、セルロイド製品、陶器等数十種におよびメード・イン・ジャパンの品物をイギリス・ブロック経済の中へやがては氾濫するつもりですと大変な意気込み、一行は来年五月一日帰朝の予定という、また同船では上海駐在防疫官として赴任する内務省衛生技師樫田五郎氏も上海へ向ったが、同氏は
国際連盟を脱退した今日、僕の上海駐在の防疫事務は多端を加えるわけだろう
と語った

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データ作成:2008.4 神戸大学附属図書館

ブロック経済に切り込んでいく輸出産業界を日本の「挺身隊」と呼んでいます。
いずれも国家政策としての挺身隊などではなく、任務を遂行するために身を投げうって物事をする組織・人を「挺身隊」と比喩しているわけです。1930年代後半から1940年代にかけて植民地朝鮮から慰安婦として女性たちを連行する際に「挺身隊」という比喩が使われたとしても特に不思議ではありません。