1942年初頭に日本軍がインドの一部を占領している事実すら知らないバカが「日本軍にジープはない」とかドヤ顔でわめくコメディ

今年92歳になる台湾人元・従軍慰安婦の鄭陳桃はジープに乗せられインドに連れて行かれたのか?

インド領であるアンダマン諸島が日本軍に占領されたのは1942年3月23日です。

日本ニュース 第97号

1942年(昭和17年)4月11日
我が陸海軍部隊は遠くインド洋上、アンダマン列島に軍を進め、東部インド・ベンガル湾の死命を制す。すなわち英国の運命を賭して、インド懐柔に狂奔しつつあるクリックスに対し、無言の回答を与えるべく3月23日、皇軍は陸海の精鋭をすぐって、突如アンダマン島ポートブレアに暁の奇襲上陸を敢行。
ユニオンジャックの威信、すでに地に落ちて、敵主力は皇軍来るの報にいち早くインドに遁走。残敵また我に抗せずして軍門にくだり、ここにアンダマン島、無血占領は滞りなく完了したのであります。人口約2万のこの島は、インド囚人の釈放地で長らく英国の圧政下に苦しんだ独立の志士をはじめ、これら住民は歓呼して皇軍を迎える、かくて南海の果てに日章旗翻るの日は来たのであります。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300482_00000&seg_number=003

ちなみに、1943年11月6日にアンダマン、ニコバルは、日本の傀儡であった自由インド仮政府に帰属する唯一の領土となっています。

もう一つ追加情報として、アンダマンでは日本軍による住民虐殺が行われています。

Japanese occupation

Andaman Islands
The Andaman and Nicobar islands were occupied by Japan during World War II.[18] The islands were nominally put under the authority of the Arzi Hukumat-e-Azad Hind (Provisional Government of Free India) headed by Netaji Subhas Chandra Bose. Netaji visited the islands during the war, and renamed them as Shaheed (Martyr) & Swaraj (Self-rule). On 30 December 1943, during the Japanese occupation, Subhas Chandra Bose, who was controversially allied with the Japanese, first raised the flag of Indian independence. General Loganathan, of the Indian National Army, was Governor of the Andaman and Nicobar Islands, which had been annexed to the Provisional Government. Before leaving the islands, the Japanese rounded up and executed 750 civilians.[19] After the end of the war the islands briefly returned to British control, before becoming part of the newly independent state of India.

At the close of the World War II, the British government announced its intention to abolish the penal settlement. The government proposed to employ former inmates in an initiative to develop the island's fisheries, timber, and agricultural resources. In exchange inmates would be granted return passage to the Indian mainland, or the right to settle on the islands. The penal colony was eventually closed on 15 August 1947 when India gained independence. It has since served as a museum to the independence movement.

http://en.wikipedia.org/wiki/Andaman_Islands

日本軍の島民虐殺」とかここにもアンダマンでの虐殺の話があります。


一般人の軍事知識

3年ほど前にこんなツイートが一部で話題になりました。

在日米海軍司令部認証済みアカウント‏@CNFJ
駆逐艦が寄港したある地方の記者の方に、「この駆逐艦というのは、いわゆる空母ですか?」と質問を受けたこともありました。でも、御存知ない方はそういうものですよね?

https://twitter.com/CNFJ/status/12996312015

ええ、もちろん件の記者のレベルが低いと嘲笑う声がほとんどでした(ここのコメント欄とか)。

実際、軍事に取り立てて興味のない人の認識はこんなものでしょう。大体、軍事に興味のありそうなネット民だって、1942年にインド領アンダマンを日本軍が占領していたことさえ知らないんですから。
軍事に取り立てて興味のない女性が、軍用自動車の呼称と「ジープ」として認識していても何の不思議もありません*1


さて、↓この嘘つきどもはどうすればよいのでしょうか?

捏造?帝国にジープはない。また、1941以降もインドには到達していません。この団体を含め強請たかりが多すぎる → 92歳の台湾女性、日本で講演 「慰安婦の歴史忘れないでほしい」 | 社会 | 中央社フォーカス台湾 http://t.co/LeYl4SuJit #seiji.
sakuraji9112013-07-08 11:40:02

http://togetter.com/li/531019

大日本帝国はいつインドを勢力下においたのだろう。■92歳の台湾女性、日本で講演 「慰安婦の歴史忘れないでほしい」 | 社会 | 中央社フォーカス台湾 http://t.co/2suENQPtKU.
4X4qlo2013-07-08 06:27:24

http://togetter.com/li/531019

「ジープ」でインバール作戦前にインドとな。
http://t.co/zqTpfiPycf.
roborovskiiinfo2013-07-08 07:45:43

http://togetter.com/li/531019

インドの慰安所ってどこでしょうか?旧日本軍はマレー南下作戦に協力した自由インド軍の要請で仕方なくインパールへ向かったものの、当時の英印の領土を継続的に統治はおろか、占領すらできなかったと思いましたが?→ http://t.co/OfSrPwz2YR.
sasadango_tyo2013-07-08 14:09:06

http://togetter.com/li/531019

1939年に1941年に実運用されたジープに乗り、台湾から連合国のインドまで1944年でもビルマまでしか行けなかったインパール作戦より先に少女を輸送到達していた日本兵格好良すぎて死ぬwww嘘つくにももうちっとマシな嘘もあるだろ http://t.co/b5KfnJahn2.
toya_yuzawa2013-07-08 15:47:49

http://togetter.com/li/531019


1942年に日本軍がインド領アンダマンを占領したことを知らないバカ勢揃い。
「ジープ」でキャンキャン吼えてる連中ですから、アンダマン占領を知らないことを以てバカ呼ばわりされても文句は言えないでしょう。

92歳の台湾女性、日本で講演 「慰安婦の歴史忘れないでほしい」(中央社フォーカス台湾)
http://t.co/DJaxVU0HcB
※証言の信憑性を損ない兼ねないのが「内容の曖昧さ」。当時の台湾に「ジープ」はあるのか?また、日本政府の公式見解では、インドに慰安所はない。.
wsky32013-07-08 10:30:08

http://togetter.com/li/531019

日本政府がインドに慰安所が無かったと断言した資料があるなら知りたいところですが、まさかと思いますが、言及していない=ない、とか認識していないですよね?

ちなみに、アンダマンに慰安所があったという話は、1995年には出ています。

 「日本軍の慰安婦として連れてきた一団の韓国人女性たち(a batch of Korean women)が居住できるように彼の事務所を貸すことを要求した」。
 インドのドキュメンタリー作家であるイクバル・シンが書いた『アンダマン・ストーリー』(1978)の245ページに出てくる一文章だ。「彼」とは当時アンダマン諸島でインド独立運動をしていたティワン・シンを指している。1942年2月23日、アンダマン島の中心地であるポートブレアに進駐した日本軍は、彼を排除するために反対派が作りあげた話に乗せられて、彼をスパイ容疑で投獄しようとし、そのきっかけをつかむ方便として彼にこのような無理な要求をしたのだという。
 脈絡はともあれ、このひとことの言及はアンダマン島に韓国人の軍慰安婦がいたという事実を証言している。この本は、83年にヘチョのインド巡礼の道を調査中にアンダマン諸島に立ち寄ったコ・ビョンイク元ソウル大総長が、この諸島の歴史に関心を持ち購入、所蔵してきたものだ。コ元総長から、この本についての話を聞いた在米の史学者パン・ソンジュ氏が韓国挺身隊研究所に連絡し、この新たな事実が陽の目を見ることになった。
 アンダマン諸島に日本軍の慰安所があったということは日本の戦争資料センターが発行している季刊誌『戦争責任研究』95年冬号に紹介されたことがある。アンダマン諸島を管轄していた日本海軍第35独立混成旅団所属の第12特別根拠地隊司令部が定めた「海軍慰安所利用内規」を通じてだった。軍慰安婦問題研究家である木村コウイチロウは日本の防衛庁防衛研究所に所蔵されていた資料を引用して記録した。この論文において内規の詳細な事項を、こう紹介している。

http://www.jrcl.net/web/frame04a6.html