宗教国家の宗教臭い話

山本太郎氏関連でこんな指摘がありました。

キャスターの小倉智昭は「(山本議員が)原発のことを勉強し、訴えて当選したことはよく分かりますが、国民が考えている以上に陛下は勉強なさっている。被災地に何回もいらっしゃって、避難している方たちにもお会いされている。そういう陛下に対し、現状を知ってもらいたいと手紙を手渡す行動は失礼に当たると思いますよ。だいたい、政治に対して中立の立場を取られている陛下に、国会議員が手紙を手渡すのはおかしいでしょう」

http://www.j-cast.com/tv/2013/11/01187855.html

“陛下は国民のことを考えて勉強なさっておられる”的な、何でそんなこと決め付けてんの?と言いたくなるような宗教くさい持ち上げっぷりが気持ち悪いです。

まあ、取巻きが監視している中で何回福島を訪問したところで、天皇がどの程度現状を理解したと言えるのか疑問ですが、それは置くとして、仮に天皇が充分勉強していたとしても、「政治に対して中立の立場を取られている陛下」とやらは、その勉強を何の役にも立てることができないわけですよね?そういう立場の職業って存在する意義あるんですかね?
「中立の立場」とやらで影響力のあることを何もすることができないのなら、勉強しようがすまいが同じことで、国民からは天皇が実際に勉強しているのかどうかも知りえません。にも関わらず、“陛下は国民のことを考えて勉強なさっておられる”とか考えるのはとても宗教的です。天皇という職業が、宗教の教祖だと考えればとても納得できるものではありますが、そういう宗教国家は民主主義国家と言えるのかなとか疑問に思ったりします。
勉強しているのに“中立だから”勉強の成果を生かすことはない、という状況に対して疑問に思わないのも信者なればこそ、かも知れませんね。


さて、天皇明仁氏の立場で考えてみると、何度も福島に行って取巻きフィルタを通してでも知りえた情報から問題意識を抱くこともあるでしょうね、人間ですから。人並みの良心を持っていれば、その問題の解決に努力・協力したいとも思うでしょう。しかし、「中立の立場」を強要されている天皇明仁氏は何もできません。自分が何等かの政治的活動をすることによって幾人かの人を救えるかもしれないのに、それを禁止されている。いっそ、退位して一市民として復興に協力したいと思うかもしれませんが、それすら制度的に禁止されています*1

日本国憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」として国民の政治的権利を保障していますが、国民にすらなれない天皇在職者は、その社会的身分によって政治的に著しい差別を受けていると言えます*2
せっかく勉強してもそれを人助けに生かすことすら出来ないような“中立の強制”の被害者と言える天皇の立場を考慮することもなく、「手紙を手渡す行動は失礼に当たると思います」とかいう発言は、物言わぬ者の代弁者を勝手に気取っているようで、大変気持ち悪い信者と言えます。

天皇明仁氏を個人として尊重するなら、本人が自分で「失礼だ」と言える環境を与えて彼を物言える者にするべきであり、「政治に対して中立の立場を取られている陛下」とレッテルを貼って物言えぬ者にしたてたり、「手紙を手渡す行動は失礼に当たる」などと勝手な代弁をしたりするべきではないでしょう。

引用した小倉氏の発言や同様の発言をしている多くの政治家などの公人やメディアは、天皇明仁氏を個人として尊重するつもりなど全くなく、勝手に作りあげた“天皇像”を明仁氏という一個人に対して押し付け、宗教の教祖に祭り上げてるとしか思えません。

もっとも天皇明仁氏自身が、その状況を自ら望んでいるのか、諦めて受け入れているのか、それはわかりません。
国民のためを思って勉強しながら政治的行為を行うことが出来ず忸怩たる思いを囲っているのか、それとも取巻きに言われたことだけをやるだけで特に国民の状況にも政治にも興味がないのか、あるいはそれ以外か、それは推敲された「おことば」からは判断できません。

まあ、そこを判断できると信じるのが信者たる条件なのでしょうが。

*1:少なくとも退位の規定が皇室典範にはありません。

*2:ある意味、皇室典範こそ違憲と言えるかもしれませんね。