秘密隠蔽法の時代

1942年4月18日、帝都東京は米軍機の初空襲を受けました。日本本土を空襲した米軍機は16機、有名なドゥーリトル空襲ですが、日本軍は本土内では一機も撃墜することができませんでした。しかしながら東部軍司令部は9機撃墜と発表しています。もちろん、日本軍による捏造・虚構・誇張ですが、当時国民にはそれを知ることはできませんでした。本格的な本土空襲が始まる前の1943年の状況です。

暮らしの中の太平洋戦争―欲シガリマセン勝ツマデハ (岩波新書)
(P115-121)

「体験発表会」の記録

 ここで取り上げる『四月十八日/敵機空襲体験記録』も大筋では同じなのだが、ひと味ちがうのである。
 これが空襲後一年もたって発行されたのは、内務省や情報局の厳しい記事差止めによるものであるが、この時期でも、この空襲について、情報局では神経質になっていた。情報局が一九四三年三月二九日、情企第四五号として出した「極秘・四月十八日ノ取扱要領」は、

来る四月十八日は米機の我本土空襲一周年に当るを以て、内外に於て之を宣伝材料とすること推測に難からず。従って我方に於ては、其の内外に及ぼす影響に稽え、敵側の宣伝に乗ぜられることなき様、当日を記念日扱いする等、大袈裟に之を取扱わざることとす。

としている。軍当局としては、よほどくやしかったものと思われる。
 それでも、この小冊子が出された。
これは厚生省の外郭団体である家庭安全協会の主催でおこなわれた「空襲防護の体験発表会」の記録である。「あとがき」によると、開催されたのは、空襲直後となっているが、この発表会がいつどこで開催されたのか不明である。当時の新聞を見ても記事はない。
 体験発表者は岡本忠雄(退役陸軍少将・家庭防火群長)、若林忠作、山田峯吉、織田恒雄(国民学校教員)、中野匡三(中学校教員)となっている。いずれも住所が「○○区」「○○国民学校」「○○中学校」と丸印におきかえられ、地名がかくされている。これは軍機保護法による措置である。つまり具体的に地名をあげると、その地区に空襲の被害が出たということが、敵側に知られてしまうというのである。
 これらの人たちの体験は、特筆するほどのものではないが、体験発表のあとで、内務省防空局指導課長・館林三喜男が総評をし、「次回の空襲もこのようなことと思ったら大間違いで、凡ゆる場合に備えねばならぬ」として、今後、ますます防空訓練をしっかりやれといっている。

大坪中佐の答弁

 つぎに体験発表者たちが当局側に質問をし、これに防衛総司令部の参謀陸軍中佐・大坪義勢や東京市の中川防衛課長といった面々が答弁しているのだが、なんといっても、大坪中佐の答弁がものすごい。答弁というよりは訓辞、いや、訓辞というよりは恫喝みたいなものである。じつはこの小冊子を取りあげた理由も、その辺にある。そこには、当時の軍人の思いあがった言動の典型ともいうべきものがあるからである。

 只今のところ、本当に爆弾を防げる防空壕は、物資の関係で到底皆様方には出来ません。そんなにしなくても、爆弾はめったに当りませんよ。弾丸にはタマにしか当らぬから弾丸という。その弾丸に当るのは、よくよく前世に悪いことをしたと考えてもらいたい(笑声)。爆弾が落ちた場合、少し離れていれば、何も防空壕へ入っていなくても、地に伏せただけでも助かります。
 何としても、日本では、敵の空襲に際しては、絶対に焼夷弾と戦わねばなりません。この意気がなかったら日本は亡びる。だからたとえ弾丸に当って死んでも、なお幽霊になっても、火を消すというふうに考えてもらいたい。

などと、爆弾で死亡した犠牲者を小馬鹿にするようなことをいっている。とにかく、それまで強制的に作ることをすすめられて、せっかく作った家庭防空壕など、爆弾が落ちたら、ひとたまりもないといっているのである。

なぜ真相を発表しないか

 ついで体験者が、空襲について、防諜関係から、詳細には発表できないであろうが、今後の参考までに、せめて焼失家屋数とか死傷者数くらいは発表してもらえないだろうかと、遠慮がちに懇願する。それに対する大坪中佐の答弁がまた、いやらしい。

 それはですね、第一に日本の国民が直さなければならないのは、お喋りを止めることです。何でもかんでも、真相をつかまずしゃべることはやめてもらいたい。真相を発表することが、よい悪いとの問題を抜きにして、絶対におしゃべりはやめて欲しい。これが第一です。
 次に何故真相を発表しないかという問題は、日本国民に対して大いに発表したいのですが、日本には、まだいくらでも外人崇拝の日本人がいます。また外人がいます。イギリス人やアメリカ人は、どこかに押し込めたが、まだ第三国人がいる。のみならず、外人的日本人がいる。日本でいわれたことは筒抜けです。だから、日本国民に対してもいえないのです。向こうとしては、知りたくてたまらないでいるわけですが、日本が真相をいわないので、ホトホト弱り抜いています。何とかわかれば、今度はこの手で行こうと、いろいろと新手を考えるのですが、日本が何ともいわないので、閉口頓首しているのがアメリカの状態です。将来何とか、国内にだけ知らせて、外国へ知らせないという方法をとりたいのですが、それは百年くらいしないと出来ないと思う(笑声)。現在は、日本人に知らすことは、全部外国へもれてもよいという心得でやらねばならないのです。
 私は三年ばかり、防諜ばかりやっていましたが、外人にもれることを覚悟していなければいえない。空襲の真相は、更になお効果的な空襲をお願いしますと、相手に頼む場合にのみ、発表すべきです。だから、真相は発表すべからざるもの、従って国民は絶対に想像でものをいわないこと、黙って政府のやり方について行くことにしたい。

「おしゃべりはやめろ」

 これでは、真相は、真相を知りたがるのは、まるで日本国民ではない、非国民であるといっているようなものである。口先では、国民の協力にまつといいながら、じつはまるっきり国民を信用していないのである。なんのことはない、軍人度もが大日本帝国を占領して、大日本帝国臣民は「高度国防国家」という名の捕虜収容所に押し込まれて、彼らの監視下におかれていたのと同然であった。
 だから大坪中佐は、ほんのわずかでいいから真相を明かしてくださいという捕虜臣民の懇願を、にべもなく一蹴し、おしゃべりはやめろ、と一喝する。真相をつかまずに想像でものをしゃべったら、敵に筒抜けになる、というのである。いい替えれば、お前達は敵だ、収容所の捕虜だ、身のほどを知れ、ということなのである。真相を明かされない以上、想像するしか手がないではないか。つまるところは、なんにも想像するな、考えるな、なんにもいうな、だまっていうとおりにしておれ、ということなのである。
 あげくの果てに、前掲の答弁に続けて、「とにかく日本人がもう少し立派になってくれれば打ち明けたいのだが、打ち明けられないという事で弱り抜いている、というのが現状です。米・英化した日本人の生活を早く精算*1してもらいたいですね」などと暴言を吐いている。いったい「立派に」なるというのは、どういうことなのだろうか。それははっきりしている。大本営発表だけをひたすら信じて、なにもいわず、なにも考えず、だまっていうとおりにして奴隷のように働け、ということなのである。これでは大坪の言い草ではないが、それこそ幽霊になってやるしかないではないか。

その後の歴史を知っている我々には、大坪中佐の答弁の間抜けっぷりを笑えますが、当時はそれができませんでした。ただ単に情報がないというだけでなく、政府が秘密を隠そうとする主たる相手が敵よりもむしろ国民になっている喜劇的な倒錯に当時の政府・軍が陥っていたと言えるでしょう。その後、本土空襲が本格化すると、日本軍・政府がいくら国民に対して「真相」を隠したところで、空襲の成果は空中偵察で筒抜けになったわけですから。
安倍政権が強行採決した秘密隠蔽法ですが、一体誰に対して隠したいんでしょうね。

*1:ママ