ネトウヨ化する日本

今さら感が無いではないですが、朝日が良い記事を出しています。

売れるから「嫌中憎韓」 書店に専用棚/週刊誌、何度も扱う

(略)
 昨年1年間に発行された週刊文春全49号のうち、見出しに「中国」「韓国」「尖閣」「慰安婦」などがついた記事は48号に上った。週刊新潮は49号のうち37号、週刊ポストは44号のうち38号、週刊現代は46号のうち28号だった。
 ほとんどの記事が両国や、両国の指導者を非難する内容だ。「売れるのでやめられない。政治家スキャンダルなどと違い、国外のニュースを紹介するだけなので訴訟リスクが極めて低いことも記事を増やす要因だ」。30代の週刊誌記者は明かす。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S10972937.html

冷戦期もソ連中共を敵視する傾向はありましたが、侮辱・中傷するような論調は風刺以外では一般的ではなかったと思います。まして民族単位で相手を侮辱・差別するような言説はまあ少なかったでしょう。冷戦後、その対象は北朝鮮に移行したものの、脅威のレベルがソ連とは比較にならないほど低いこともあってか、脅威視というより軽視・侮辱といった側面が色濃くなっています。その対象は中共・韓国へと拡大し、戦前の中国・朝鮮に対する差別感情が再来したような状況です。
小泉政権・安倍政権を経て、日本社会は“差別すべきではない”といった理性を失い、中国・韓国に対する排外差別が露骨に表面化してきました*1
その結果が上記のような状況です。

気に入らない外国の指導者や民族を侮辱する記事は、日本国内で訴訟を起こされる懸念は少なく、出版社にとっては安心できる素材です。メディアに本来期待される政府の監視と言った役割に沿った報道は政府からの圧力を受け、些細な記述の揚げ足を取られることもしばしばです。安倍氏NHKに対し圧力をかけ慰安婦関係の番組を改変させましたし、橋下氏は週刊朝日記事を差別だとして圧力をかけ社長を辞任にまで追い込んでいます。自民党政権に批判的なメディアは同行取材から外されたり、選挙前の報道に対し自民党に不利な報道だと謝罪を迫る行為もありました。その多くの場合において、一般市民は傍観し、メディアを見捨てました。
このような状況にあって、メディアは市民のための政治監視をして政府と市民に煙たがられるよりも、市民が喜ぶ情報だけ提供して政府に触れない選択するようになったわけです。資本主義社会としては当然でしょうし、ある意味で、政府に圧力をかけられたメディアを見捨てるという一般市民の選択の結果とも言えます。

引用中の「30代の週刊誌記者」が言う「国外のニュースを紹介するだけ」ですが、もちろん相手の失態を喜ぶというブタの欲望を満足させるようなニュースだけを選別しているのは言うまでもないでしょう。今の日本人は、“意図的に”抽出された「国外のニュース」を見て外国を知った気になり、矮小な自尊心を満足させています。まるで、虫歯・肥満になるまで、甘い高カロリーのお菓子を食べ続けるかのように。

少しは状況が変ってきたのか、あるいはさすがに危機感を覚える人も出てきたのか、記事は以下のようにまとめます。

 新しい動きもある。昨年末に編集長が交代した週刊現代は1月末の号で嫌中憎韓路線を転換。「『嫌中』『憎韓』に酔いしれる人々は本当に武器を取るつもりか」と訴えた。
 若手記者からは異論もあったが、「面白いだけでなく、ためになる週刊誌でなければならない」(同誌記者)と決めたという。売り上げは「落ちなかった」という。
 メディア批評誌「創」篠田博之編集長は「週刊現代は思い切った方向転換だったが、それが長期的方針になるかはまだわからない。売れる限りブームは終わらないだろう」と分析。慶応大の大石裕教授(ジャーナリズム論)は「週刊誌などだけがブームを作ったわけではない。メディアが日韓・日中の対立ばかりを報じ、日常的な交流のニュースを捨象してきたことも根本にある。報道全体の検証が必要だ」と話す。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S10972937.html


さて、こういう自称保守はどうしたものかと。

the_sun_also_rises 韓国は子供の時点から民族史観を教え反日教育を徹底している。中国もそうだ。その負の感情はいずれ相手国に届く。今日本はそれに呼応している。負の感情の連鎖は続く。どこが出発点だったかを見落とせば対策できない 2014/02/11

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/DA3S10972937.html

「子供の時点から民族史観を教え反日教育を徹底している」などという情報を彼はどこから得たのでしょうか?よもや“意図的に”抽出された「国外のニュース」ではありますまいな?あるいはネットですか?
「どこが出発点だったかを見落とせば対策できない」とか言ってますが、出発点は自身の差別感情にありますよ。多分気づかないのでしょうし、気づきたくもないのでしょうけどね。

*1:差別はそれ以前からありましたが、表面に出すべきではないという程度の社会的理性はありました。もっともそれが差別を糊塗したという側面もありましたが。