日本軍慰安婦と米軍慰安婦の共通点と相違点

軍隊と性暴力―朝鮮半島の20世紀」には、軍隊の性処理に関する日本軍と米軍の共通点と相違点についても書かれています。

(P247-250)
 日本軍の「慰安婦」制度が派遣軍司令部さらには陸海軍中央によって組織的に導入された理由としては、将兵による地元女性に対する強かん予防、将兵の性病予防、将兵のストレス解消、軍の機密保持という点が指摘されている。特に強かん予防ということが軍指導部に強く意識されていた点に、日本軍のきわだった侵略性が表れていると言える。
 また日本軍の場合、
(1)軍自らが慰安所設置計画を立案。設置場所、必要な「慰安婦」の人数まで計画。
(2)軍が(しばしば警察や行政機関の協力を得て)、女性集めならびに慰安所経営のための業者を選定・依頼・資金斡旋。時には軍自らが女性集め。
(3)軍が、集めた女性を慰安所まで輸送(軍の輸送船、車両を提供)。そのための証明書を警察あるいは軍が発行。
(4)軍が慰安所建物を接収または建設、あるいは業者に建設用資材を提供。
(5)軍が直接、慰安所を経営。あるいは業者に経営を委託した場合でも軍が管理規則を制定し、その監督下で業者に経営をおこなわせる。
(6)慰安所運営のためのさまざまな便宜供与(業者や「慰安婦」などへの食糧・医薬品などの提供など)。
など、軍慰安所の計画・準備・設置・運営に至るまで、軍が最初から最後まで主導したのが日本軍「慰安婦」制度である。
 それに対して、米軍の場合、基本的には売春を禁圧し、売春への軍の関与自体を認めない政策を一九一〇年代以来、採用してきた。米軍指導部にとって、将兵の性病罹患を防ぐことが最大の関心事であったが、政策は日本軍とはまったく反対であった。つまり、将兵と売春婦との接触機会を極小化させること、売春の容認は逆に性病を増やす結果となるという医学的な判断、軍による売春の公認あるいは容認は米本国において社会的に認められないものであり、そうしたことが本国で知られれば軍は社会的に厳しい批判を浴びてしまうこと、軍による売春の公認は米本国市民の軍に対する信頼関係を損なうこと、などがその理由であった。
 しかし米軍は、その建前を維持しながらも、第二次大戦中よりその政策が各地で弛緩しはじめた。特に性病治療法が確立し、性病が直接には兵力の損失につながらなくなった一九五〇年代に入ると、売春禁圧は建前化し、軍が直接には手をつけない方式を取りながらも、米本国に知られないかぎりにおいては、現地行政機関に米兵向けの民間売春婦を管理させる方式をとった。ドルの強みを生かして、軍が直接、手をつけなくても、米軍将兵を相手とする女性たちが集まってきたのであり(より正確には業者が女性たちを集めてきたと言うべきかもしれない)、その女性たちの管理は、米軍がなんらかの示唆を与えるだけであとは現地行政と関連業者にやらせればよかったのである。その点では、米軍は巧妙だったと言えるかもしれない。ただ軍による売春公認を許さない本国社会や議会の存在は、米軍の政策とその遂行に大きな影響を与えている、その点でも日本軍との違いはきわめて大きい。その後、ドルの価値が下落し、駐屯地の経済が発展すると、日本本土のように米兵による買春が影をひそめたことからも、米軍の関わりが日本軍のような直接的なものでなかったことが示されているように思える。
 女性を将兵たちのための何らかの道具として差別あるいは利用する点では日米両軍に共通しているが、日本軍「慰安婦」制度と、米軍の売春対策とでは、軍の関わりは大きく異なっていたと言うべきだろう。そこで被害を受ける女性たち立場からみれば、性暴力の被害者として違いはないという主張も可能であろう。ただ軍の直接の管理下におかれ、市民社会から切り離され、不十分な市民法の適用からも見捨てられた日本軍「慰安婦」と、市民社会のなかで、市民あるいは市民法の何らかの助けを得る手がかりがある性売買に関わる女性とでは、その位置は同じとは言えないと考えている。もちろん後者においても、米軍の特権の程度や市民法が彼女たちの人権をどれほど保障しうるのかという程度によって異なるだろう。さらに植民地の場合、市民法といっても本国に比べて明らかに差別されている。したがって植民地支配のあり様によって、特に本書第一部で取り上げている朝鮮北部のようなケースでは戦時体制ないしは準戦時体制が継続しており、日本軍「慰安婦」のおかれた状態と連続的になることもありうる。
 この点は、日本国憲法が軍法も軍事法廷も認めていないことの意義をどう評価するのか、という問題とも関係している。被害者の視点からは軍法も市民法も違いはないという主張も成り立ちうるかもしれないが、しかしそれにしても軍法を認めず、あくまで市民法のみしか存在を許さないことの意味は大きいと考えている。

米軍の対応も人権侵害と無縁だったわけではなく、ある意味では日本軍慰安婦制度と連続的だったとも言えますが、それでも人権侵害の程度において明らかな差が日本軍と米軍の間にはあり、日本軍慰安婦制度の方がより深刻な人権侵害をもたらしたわけです。
これらを乱暴に一括りにする論者はネット上では少なくありませんが、そのような論者が現れる場所は、決まって人権侵害の程度が深刻な方、すなわち日本軍慰安婦の問題が語られている場所に限定されます。それは、その論者の意図が一括りにした人権侵害の被害者を救済することではなく、目の前の人権侵害被害者に対して「被害者はお前だけじゃない」と言い放つだけで救済するつもりなど皆無であることを示唆しています。