小樽高等商業学校軍事教練事件(小樽高商軍教事件)

最近は関東大震災の時の朝鮮人虐殺ですら否定する傾向が強くなっていますので、関連する事件を備忘的に。
日本による朝鮮支配の40年 (朝日文庫)

(P252-257)

関東大震災・小樽高商事件

 日本人との連帯で忘れることのできない非常に重要な運動が、一九二五年十月の小樽高商事件です。この年はどういう年かというと、四月から学校軍事教練がはじまっており、また治安維持法もできています。つまり、ファッショ化が急速に進んだ年なのです。そういう背景があって、十月十五日に小樽高商の野外演習があった、ところがその想定は、小樽の天狗岳地震が起こり、無政府主義者朝鮮人が暴動を起こす、だから小樽高等商業学校の学生たちは、在郷軍人会と一緒になって暴動討伐をするというものなのです。ですから、一九二三年の関東大震災とまったく同じ想定です。
 当時、日本には学生社会科学研究会というものがあって、それは小樽高商にもありました。小樽高商は北海道の思想運動の中心的な役割を果たし、優秀な人材もかなり出ています。これに外部の政治研究会小樽および札幌支部や、小樽総労働組合朝鮮人親睦会、北潮新報社などが呼応して、学校当局に抗議活動をする。そして小樽高商社会科学研究会の名で、全国的に「全国の学生諸君に檄す!」というアピールを出すわけです。
 このアピールを受けた日本学生社会科学連合会は、二十二日に別掲したような、「小樽高商軍事教育事件に関して」というサブタイトルのついたアピール「全日本の学生諸君に訴ふ!」を発表しました。このようにして小樽高商事件は、全国の大学、高等学校、専門学校の軍事教育反対運動に発展するのです。もちろんこれには、在日本朝鮮労働総同盟をはじめとする各団体も呼応して、日本国民にその真相を訴えます。つまり、学校軍事教練はこういう目的のためじゃないかということですね。なかでも、東大新人会の林房雄さんや東北大学島木健作さんなどが非常に活躍します。それが近畿地方にも波及し、運動がはげしくなって、とくに京大や同志社大学などでは最初の治安維持法違反事件として三〇名余りの逮捕者を出します。
 ところが小樽高商事件でおどろくことは、その二年前の一九二三年九月一日に関東大震災が起きたとき、日本政府の治安当局や軍部が、朝鮮人社会主義者無政府主義者に対する一般民衆の偏見や恐怖心をあおって虐殺するという、天災を人災に変えたにがい経験から、何一つ教訓を引き出していないという思考パターンです。
 震災当時日本政府の内務大臣は水野錬太郎、警視総監は赤池濃でした。水野は三・一運動直後の一九一九年九月、斎藤実総督の政務総監としてソウル駅に降りた途端、姜宇奎の爆弾の洗礼を受けた人です。赤池はその水野によって総督府警務局長に起用された人です。
 震災と同時に朝鮮人が放火する、来襲するなどの流言が伝わると、水野内相は勅令をもって戒厳令を試行して軍隊を出動させ、警察や各町内の自警団と一緒になって東京をはじめ神奈川、埼玉、千葉などで六〇〇〇名余りの朝鮮人を殺し、東京の亀戸では純労働者組合の平沢計七、南葛労働会の川合義虎ら八名が、近衛師団騎兵第十三連隊の兵士によって殺されました。また大杉栄夫妻や六歳の甥までが憲兵大尉甘粕正彦によって殺され、中国人も約二〇〇名が軍隊に殺されています。
 この虐殺の真相については、朝鮮人側でも北星会をはじめとする青年団体が朝鮮人迫害事実調査会をつくって調査していますが、日本の文化人のなかでも吉野作造、金子洋文、江口渙らが、また国会では永井柳太郎らが真相糾明に活躍しています。
 それから二年後の小樽高商事件が教えてくれた貴重な教訓は、他民族に対する偏見と離間のデマゴギーが、日本国民を軍国主義化の方向に引きずっていくうえで、重要な思想動員の武器となっていること、それに対して学生たちが、学園内の軍事教育反対闘争と結びつけて闘い、社会的に広くアピールしたことではないか、と思います。

参考:小樽高商軍教事件(pdf)


関東大震災での朝鮮人虐殺という社会的経験を経てなお、わずか2年しか経っていない時点で朝鮮人による暴動を想定した軍事教練をやろうとする発想が異常です。結局、関東大震災時の虐殺を政府が隠蔽し、社会が忘却しようとしたことで何の教訓も得られなかったのでしょう。
小樽高商は背景的にこういった問題にかなり敏感であったため、表面化し問題化したわけですが、表面化しなかっただけでこれと同様のことは結構あったのではないかと思います。

ちなみにほぼ同時期の1921年内務省警保局長から各都道府県(当時は、庁府県)長官に以下のような注意がだされています。
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06030000200、新聞紙取締ニ関スル例規(国立公文書館)」

 大正十年十一月十二日
                  警保局長
 庁府県長官宛
近時朝鮮人に関する新聞紙の記事中往々僅少なる一部不逞の徒の言動を誇大に報道し又何等拠る所なきに拘らず朝鮮人を以て犯罪嫌疑者なる如く伝え若くは特別注意に値せざる市井の一瑣事も朝鮮人に関するの故を以て特に之を掲載する等の嫌あるもの有之候処右は瞑々の中に彼等の心裡に悪影響を及ぼすこと少からず又時に外交上不利の影響を及ぼす場合も有之現に殊更に或種の浮説新聞紙法に照し処分せらるることも有之際にて場合に依り事の選択報道に就きては特に慎重の態度をとり事の真相を誤らざる様管下各社に対し厳重御注意相成度

このわずか2年後の1923年、関東大震災の混乱に乗じて多数の朝鮮人を虐殺し、さらに2年後の1925年、朝鮮人が暴動を起こしたという想定での軍事教練をやったわけです。

90年前の出来事ですが、今とどれほど違うでしょうかね。