1965年発行の「朝鮮人強制連行の記録」における慰安婦関連の記述

朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」は、朝鮮人強制連行問題に関する古典的な書です。

述べられているのは、1937年以降の戦時強制連行だけではなく韓国併合以来の植民地朝鮮時代を通じた問題としての朝鮮人強制連行全般です。

この書のなかではごく一部ですが、慰安婦に関しても言及しています。

(P122)
 同胞で軍人、軍属として南方に連行されたものは数十万の大変な数に上ると思うが、このように輸送船が沈められて死んだものが相当多い。またこの中には同胞の女性も多かった。
 玉致守氏の乗った船で南方に連行された朝鮮女性だけでも二千数百名にも上る。これらの女性は故郷にいるときには戦争への協力を強制され、軍需工場、被服廠で働くのだといわれて狩りだされた一七−二〇歳前後のうら若い娘たちであった。しかし実際はこうして輸送船に乗せられて南方各地の戦線に送られ軍隊の慰安婦としてもてあそばれた。
 玉氏は沖縄でも下関や博多駅の待合室でも南方に送られるこのような同胞の女性を無数に目撃し、何ともいえない怒りと悲しさを味わった。
 玉氏が三回目に沈められた船にもはじめ一五〇余名の同胞の女性がのっていた。途中沖縄の宮古島に下船させたので海のもくずとはならなかったが、彼女らの運命はどうなったかわからない。

(P168-169)
 この軍隊への連行と並行して軍関係の労務者―「日本陸海軍要員」すなわち「軍属」として多くの同胞が強制的に動員された。軍属への徴用は一九三九、四〇年からすでにおこなわれているが、より大々的に行なわれるようになったのは一九四一年からである。同胞は好むと好まざるとにかかわらず「海軍作業愛国団員」「北部軍経理部要員」「運輸部員」「海軍施設部要員」「米英俘虜監視要員」などの名目で軍隊とともに戦線に連行され、軍需物資、軍隊の輸送や道路や飛行場つくり、俘虜監視に当った。その数をみると一九四一年一万六千名、四二年二万二千余名、四三年一万二千余名、四四年四万五千余名、四五年四万八千名、合計約一五万名に上る同胞が、南方や中国、北方基地などに配置された。さきにあげた軍人と合せると実に三七万名の多きに達する。戦線に連行されたのは軍人、軍属としての青年ばかりではない。うら若い同胞の女性が多数「女子挺身隊」、「戦線慰問隊」などの名目でひっぱられ、「慰安婦」として戦争遂行の犠牲にされた。さきの辻政信の著書*1にも「第一線の陣地にまで天草娘が進出し、朝鮮娘が附添っている」「慰安婦二〇名が軍服を着て弾丸運びに看護にあるいはお握り作りで・・・」とあり、また同戦線での生残りの中野礼造氏(福岡出身)の語るところによってみても、ビルマ派遣軍各師団には大勢の朝鮮女性が慰安婦として配置されており、一部隊だいたい二〇名前後で、彼女らの軍人とともにほとんど死亡している。同胞女性は中国や南方、沖縄の各戦線にも多数連行されているが、全体の数は数万に上ると思われる。

1965年時点では、吉見教授の研究成果はもちろん吉田清治氏証言も千田夏光氏「従軍慰安婦」もありませんでした。しかし「南方各地の戦線に送られ軍隊の慰安婦としてもてあそばれた」「うら若い同胞の女性が多数「女子挺身隊」、「戦線慰問隊」などの名目でひっぱられ、「慰安婦」として戦争遂行の犠牲にされた」と彼女らを犠牲者・被害者として言及し、その数を「全体の数は数万に上ると思われる」と認識しています。
連行時の公権力による直接的な暴力の有無だけが問題視されていないことは明白ですし、慰安婦問題が吉見氏や吉田氏、千田氏、朝日新聞の捏造でないことも明白です。

今の日本でこのようなことを指摘しても無駄だとわかっていますが、アベという名の麻薬による幻覚から覚めて更正する際の助力にでもなるかも知れませんので一応書いておきます。

目次

まえがき 1
序 帝国主義と民族の問題 9
一 祖国を奪われ日本へ(1910-38年) 19
(1)故郷を追われて日本に渡航 20
(2)在日朝鮮人の生活状態 33
(3)在日朝鮮人に対する迫害 38
二 強制連行(1939-45年) 43
(1)強制連行政策 48
(2)強制連行状況と労務管理 68
(3)強制的な訓練状況 74
(4)逃亡の続出と弾圧政策 85
(5)死傷状況と遺骨問題 90
(6)無責任な日本政府 98
(7)むすび 105
三 体験者は語る 107
だまされて北海道のタコ部屋へ 108
人狩り日立鉱山に連行さる 110
手錠をはめられ九州豊州炭鉱 112
行先も知らされず飛行場建設工事へ 115
「官斡旋」で日本鋼管 117
軍属として南方設営隊へ 119
軍属として片脚切断の重傷 121
四 いまだに残されている爪あと 125
(1)ひどい虐待で自殺者まで出た日立鉱山常磐炭鉱 126
(2)飢えと酷寒の中で虐殺 136
(3)ビル建設と軍需産業に酷使 146
(4)地下工場建設に多数動員され生死も不明 156
(5)軍人・軍属として多数動員され犠牲にされて放りださる 166
(6)最も虐待され、最も死亡率の高かった北海道炭鉱 177
(7)最も多くの朝鮮人が連行され、遺骨の散在する九州炭鉱 189
(8)現在も屍体埋まる花岡鉱山および岩手虐殺事件 199
(9)信濃川発電所虐殺事件と多数の屍体が海底に埋まる宇部炭鉱 209
五 資料 217
(1)信濃川水力発電所虐殺事件 218
(2)関東大震災時の虐殺見聞記 229
(3)岩手県大船渡線工事虐殺事件 240
(4)朝鮮人徴用労働者の労務管理 250
(5)朝鮮にたいする日本帝国主義の罪悪行為について 264
(6)文献目録 293
六 むすび 333
あとがき 341



*1:「十五対一」