塩田兵団が慰安婦連行を要請した文書は割と知られている文書

この件*1

慰安婦の連行に協力を」 日本軍発行の証明書を発見

中央日報日本語版 4月9日(木)8時29分配信
旧日本軍が慰安婦を連行したと明示した過去の日本の記録が発見された。安倍首相が慰安婦の強制動員を否認し、日本政府が中学校の教科書から慰安婦連行の絵を削除するよう指示した中で出てきた文書だ。
金文吉(キム・ムンギル)韓日文化研究所長(70)は8日、「従軍慰安婦関係資料集成」と題した報告書の写本を公開した。日本の財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金)が1997年に出版し、日本のある市立図書館が所蔵している報告書だ。
600ページ分量の報告書の152ページには、中国と戦争をした日本軍塩田塩田兵団の林義秀部隊長が1940年6月27日、部隊傘下の慰安婦所の管理者に発行した証明書が出てくる。国民基金が報告書で「外務省と警察庁で確認した」とする証明書だ。証明書は「この人は当部隊付属の慰安婦所の経営者であり、今回慰安婦を連行して帰ってくる。慰安婦は当部隊に慰安をするために必要であるため、渡航に便宜を図り、問題がないようにするべき」という内容だ。
金所長は「『連行』という言葉を日本軍が直接使ったという点で、慰安婦強制動員を否定する日本政府の主張に反論できる資料」と述べた。証明書には慰安婦の国籍が出ていない。金所長は「海を渡り中国に行くという内容からみて、韓国人である可能性が高い」と分析した。
その間、日本は93年の河野談話をはじめ、いくつかの裁判の判決文で慰安婦動員の強制性を認めたが、日本軍が直接作成した文書で慰安婦を連行した事実が明らかになったのは初めて。

慰安婦を正しく知る教材を制作=女性家族部は8日、小中高校生と教師のための「日本軍慰安婦を正しく知る」教育教材を今月中旬に配布する計画だと発表した。生徒を対象にした慰安婦関連の初めての教育資料だ。女家部は昨年11月、教材の制作に着手した。教師からなる「韓日歴史交流会」の会員10人と教育部傘下の東北アジア歴史財団所属研究員5人が、生徒用の自習書(40ページ分量)や動画(35−45分)など5種類を準備した。教材は慰安婦被害者サイト(www.hermuseum.go.kr)と北東アジア歴史ネット(contents.nahf.or.kr)でダウンロードできるようにする。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150409-00000002-cnippou-kr

当該文書は、記事にもあるように1997年にアジア女性基金から出版された資料集に含まれている史料で、WEB上でも公開されています。こういうのが新発見として扱われるのは、日韓の研究者同士で情報交換が緊密にはできていない状況を感じさせますが、まあそんなもんでしょう。
困ったことに日本側でも、画像ファイルになっている史料をテキスト化してWEB上に公開するような手間のかかることをやる人はあまりいませんし、ましてその内容をちゃんと理解し、英語や中国語、韓国語にするなどはほとんど見かけません。
そもそも研究者の絶対数も少ない場合、アクセスできる資料があってもその内容をちゃんと把握して他の史料との関連を検討して整理するというのは相当困難でしょう。国立公文書館アジア歴史資料センターでは結構な量の資料が公開されていますが、その中から必要な情報とちゃんと見出し他の資料、既存研究と関連付けを行うのは少数の専門家だけでは限界があると思います。
私自身、アジア歴史資料センターで「営外施設規定」を見つけてテキスト化して2013年に公表しましたが、知られていない資料だとは認識していませんでしたし、こういうのもさほど珍しくもないのかもしれません。

ちなみに、この史料はアジア女性基金のサイトで公開されており、いくつかのサイトでもテキスト化されています。

証明書
■■■■
当年二十二歳

右ハ当隊附属慰安所経営者ニシテ 今回 慰安婦連行ノタメ帰台セシモノナリ
就テハ 慰安婦ハ当隊ノタメ是非必要ナルモノニ付 之カ渡航ニ関シテ何分ノ便宜附与方取計相成度
右証明ス

昭和十五年六月二十七日
南支派遣塩田兵団林部隊長 林義秀
(吉見義明「従軍慰安婦資料集」133頁)

http://ameblo.jp/qtaro9blog/entry-11779758678.html

内容は、当時中国に駐留していた台湾混成旅団(塩田兵団)(旅団長・塩田定七少将)に所属する台湾歩兵第1連隊(林部隊)(連隊長・林義秀)に所属する慰安所の経営者を慰安婦連行のために台湾に向かわせたことを示しています。当時、日本の植民地であった台湾と中国を行き来するにあたっては旅券は不要でしたが、官公署の発行する証明書が必要でした*2。この事例では、台湾歩兵第1連隊が証明書を発行したということになります。
面白いのは記載内容です。内地の警察などで発行した証明書であれば、ここまで露骨な記載はしなかったと思いますが、戦地の軍人の思考回路は少しおかしかったのか、「慰安婦ハ当隊ノタメ是非必要ナルモノニ付」などと、軍の命令で慰安所経営者を派遣したことを明示しています。

こんな状況でありながら日本政府は1992年まで軍関与を否定していたわけですから大した嘘つきだなと思わされますが、この史料自体は、慰安婦集めが軍の要請によるものであったことの証明です。当時の世相から、募集にあたって当然に人身売買や威圧、就業詐欺がまかり通っていたことが予想できたはずで、その意味では軍の責任は回避できません。
そうは言っても、安倍晋三信者によく見られる二次強姦魔は、強制連行の証拠ではない、と言い張ってますけどね。

「連行」という文言そのものは、必ずしも直接的な強制性を含意しませんから、そういう言葉遊び的な解釈が否認論者によってもてあそばれるわけです。

今回報道されたことの意味

金文吉韓日文化研究所長の意図したことではないでしょうが、日本では既知の史料について「連行」という語に注目して報道されたのは、直近にこんな報告書が出されていたことを踏まえると味わい深いところではあります。
2014年12月22日付けの朝日新聞第三者委員会による報告書です。なお、この報告書は、安倍談話のための有識者(笑)に名を連ねている北岡伸一氏らによるものです。この報告書には、植村氏による1991年8月11日記事*3を批判する次のような記述があります。

 しかし、植村は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり」と記載したことは、事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招くものと言わざるを得ない。この点、当該記事の本文には、「十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」との記載があり、植村も、あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で「連行」という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった旨説明している。
 しかし、前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること、「だまされた」と記載してあるとはいえ、「女子挺身隊」の名で「連行」という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である。そもそも「だまされた」ことと「連行」とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない。

http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf

「連行」という言葉の持つ一般的なイメージは「強制的に連行されたという印象を与えるもの」で、「「だまされた」ことと「連行」とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない」とはっきり言っていますね。
北岡氏らだけではなく、読売新聞も「連行」と言えば「強制連行」だと主張しています*4

北岡氏のような歴史修正主義者や読売新聞のような安倍に阿るプロパガンダ紙は、「連行」と言えば「強制連行」だといって植村氏を誹謗中傷したわけですが、その等式を採用するなら、塩田兵団林義秀発行の証明書に記載された「慰安婦連行ノタメ帰台」とは、まさに慰安婦を「強制連行」するための命令書に他ならなくなりますね。

植村氏による「連行」表現を非難していた人たちは、1940年当時公文書に使われていた「連行」表現について己の見解を弁明すべきでしょうね。匿名ブロガーにも結構見かけましたけどね、そういう人。

こういった意味で、金文吉韓日文化研究所長の「連行」記載発見の報道は興味深いものではありました。

どうせ、否認論者は都合の悪いことは見てみぬ振りでしょうけどね。