犯罪被害と冤罪という人権の衝突

幼児の証言だからという理由で信憑性が損なわれるべきではないが、どのように引き出された証言かによっては信憑性が損なわれることもある」に関連した補足。

幼児に対する性的虐待はもちろん見逃してはならない犯罪・反社会的行為ですが、だからこそ、もし冤罪が生じた場合、容疑をかけられた者は深刻な人権侵害を受けることにもなります。
性的虐待は客観的な物証をとりにくいことが多く、事実性については慎重な検討を要します。
冤罪の可能性を検討すること自体が被害者に心理的苦痛を与えることも当然考慮されるべきですが、被害者の心理的負担と容疑者に生じうる人権侵害のリスクという2つの人権の衝突は事実認定にあたっては避けられないところでもあります。
しかしながら避けられないながらも、それらの負担・リスクを最小限に留める手立ては必要でしょう。

その点で重要なのは、報道のあり方だと思います。
視聴者はその個々の属性によって予断を持つ者であるという前提*1で、確定していない事実関係についてはそのような予断を強化させないような配慮が報道に必要でしょうね。
報道のソース自体も、警察や検察からのリークである場合は、有罪だと予断を抱かせるような情報に偏ることが懸念されますが、それらを踏まえて視聴者が判断することは一般的に考えて困難です。
はっきり言って、裁判を通じて事実関係が明らかになるか、報道機関が独自調査して自社の責任で事実判断しない限り、視聴者に予断を与えるような報道をそもそも行うべきではないと思います。
せいぜい最低限の事実として、容疑の内容や容疑者が認めているか否か、そしてそのソースの明示(警察からのリークの場合は誘導の可能性があることも含めて)を伝えるに留めるべきでしょう。


*1:性的虐待被害を重視する者は被害が事実だとみなしがちであるし、冤罪被害を重視する者は冤罪の可能性を追及しがちです。