渡部昇一氏の仕事

「「【渡部昇一氏死去】戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人」の件。
右翼政治勢力と癒着して排外思想や選民思想を流布するのに、別に「勇気」は要らないと思うんですけどね。

個人的には、渡部昇一氏は「マッカーサーが“太平洋戦争は日本の自衛戦争だった”と証言した、というデマを拡散した人とかインドネシアとインドシナの区別も出来ない2万人以上のネトウヨを集めた朝日新聞に対するSLAPPの仕掛け人という認識で、言論人というよりは活動家という印象が強いですね。
評価できる仕事は、知る範囲では「ドイツ参謀本部」くらいですかね*1

週刊文春「神聖な義務」論争(1980年)

産経記事がドヤ顔で「堂々と論陣を張った」という週刊文春「神聖な義務」論争(1980年)ですが、これについては私は知りませんでした。
で、今、渡部氏の「神聖な義務」*2を読んでみても、「ナチスの優生思想」という評価が妥当としか思えませんでした・・・。
産経新聞としては「《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》」が免罪符になると考えているようですが、ハンセン病患者を隔離収容して、患者同士が結婚しても子どもが産めないように断種したのとどこが違うのでしょうかね?

渡部氏は「自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべき」という意見を「理性のある人間としての社会に対する神聖な義務」と言っているわけで、これが優生思想でなくて何だと考えているのでしょうか。

「人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間」

ここは産経の認識ですね。
天皇教や日本無罪教という宗教に支配されている産経から見れば、人権や平等という思想は宗教に見えるということでしょう。そういう産経の記者にも人権や平等が保障されるべきという戦後日本の価値観の方が私は好きですけどね。

岩波文庫版「紫禁城の黄昏 (岩波文庫)」にはそもそもどの章を訳さなかったか書いているんですけどね

 また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180004-n1.html

産経は「岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見」とか書いてますが、どの章を翻訳しなかったかについて岩波文庫版にそもそも明記されています*3から「発見」とかいう表現はどうかと思いますね。
ちなみに、映画ラストエンペラー公開時期(1987年公開)に翻訳された岩波文庫版「紫禁城の黄昏」(第一刷、1989年2月16日)にジョンストン本人の体験ではない部分を入れなかったのが別に問題だとは思いません。ジョンストン自身、溥儀を擁護し正当化する立場ですから、その趣旨で書かれたジョンストンによる中国史認識の部分を翻訳する意義が岩波文庫版「紫禁城の黄昏」出版時にあったとは言えないでしょう*4

2017.4.18 01:01更新

渡部昇一氏死去】戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人

 産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。
 人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。
 もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。
 批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。
 大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。
 また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。
 繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)

http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180004-n1.html

*1:これに対しても批判があったような記憶があるし、今読み返すと気になるところも無いではないが。

*2:http://www.livingroom.ne.jp/d/h003.htm

*3:岩波版P505 に第一章〜第十章と第十六章、序章の一部を省いたと記載されている。省いた理由も「主観的な色彩の強い前史的部分」であるからと書かれていて、実際、省略された部分はジョンストンの宮廷体験ではなく、いずれもジョンストンが溥儀の家庭教師に就任する1919年以前の話。ジョンストンの中国生活自体は1898年から。

*4:紫禁城の黄昏」の価値は、溥儀の側近であった外国人の記録という点にあって、ただ単に中国にいた外国人による記録という意味では儒教的伝統に偏向しており、その記述自体に高い価値を見出せるものではない。