「知の巨人」(?)渡部昇一氏が“発見”したという「岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないこと」

前回の繰り返しになりますが、産経新聞が「「【渡部昇一氏死去】戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人」で持ち上げている右翼活動家の故・渡部昇一氏に関する「紫禁城の黄昏」関連。

産経新聞の桑原聡氏による記載。

英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180004-n1.html

御大層に「発見」と言ってますが、そもそも岩波版「紫禁城の黄昏」には省略した部分について明記されてるんですよね。

岩波文庫版「紫禁城の黄昏」のあとがき抜粋

(P504-506)

 おわりに本書の構成について一言記しておきたい。原著は本文二十五章のほか、序章、終章、注を含む大冊であるが、本訳書では主観的な色彩の強い前史的部分である第一〜十章と第十六章「王政復古派の希望と夢」を省き、また序章の一部を省略した。注は主として引用の原典にかんするものなので、これも省略して、一部を訳注にくりいれた。念のため削除部分を示しておく。
 第一章 一八九八年の変法運動
 第二章 変法運動の挫折
 第三章 反動と義和団運動
 第四章 光緒帝の晩年
 第五章 西太后
 第六章 一九一一年の革命
 第七章 大清皇帝の退位条件
 第八章 大清と浩憲朝
 第九章 張勲と王政復古[復辟]
 第十章 松樹老人[張勲]の自伝
 第十六章 王政復古派の希望と夢
 したがって原著の第十一章が本訳書の第一章となっている。
(略)

紫禁城の黄昏 (岩波文庫)は、映画ラストエンペラー 公開(1987年)直後に出版されています(第一刷、1989年2月16日)。
ジョンストンの「著作は同時代の中国人の考え方をまったく無視して、彼自身が信奉する儒教的伝統のみを重視し、それを破壊しようとするものに対する嫌悪感を表明するもの」*1と評価されているわけですが、それでも中国最後の皇帝・溥儀の家庭教師として仕えた外国人の回想記である「紫禁城の黄昏」は、その意味での価値がありました。
1989年に出版された岩波文庫版「紫禁城の黄昏」では、ジョンストンが溥儀の家庭教師として仕えた時期の部分を中心に翻訳され、それ以外の部分については翻訳する意義が無かったに過ぎません。

省略された第一〜十章と第十六章はまさにその部分です。

それを「岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見」と功績のように語る産経新聞は“紙のまとめサイト”の名にふさわしい低レベルっぷりと言わざるを得ませんね。

*1:岩波文庫版「紫禁城の黄昏」P487