国民情緒法がまかり通っている国で主張しても無駄なことですが。

この事件。

心愛さん虐待の様子、動画で撮影 父親の記録媒体に保存

2019年2月9日07時00分
 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、心愛さんが虐待される様子の動画データを県警が発見していたことが8日、捜査関係者への取材でわかった。心愛さんが死亡した日より前に撮影されたとみられ、県警は事件に至るまでの虐待行為を解明する重要な証拠になるとみている。
(略)

https://digital.asahi.com/articles/ASM284QJHM28UTIL01H.html

被害者が死亡したことに関する責任が両親の少なくとも一方にあることは間違いなく、凄惨な虐待があったであろうことは推測できるのですけどね。
裁判が始まる前から「捜査関係者への取材」という名の警察・検察からのリーク情報で、容疑者の残虐性を一方的に強調する情報が報道され続けている現状って、この事件の裁判がほぼ確実に裁判員裁判になることを考えると、裁判員になる人に明らかに先入観を刷り込んでいるようなもので、とても賛同できないんですよね。

容疑者は非道卑劣な輩だからと言って公正な裁判を受ける権利が消滅するわけではありません。
裁判官に予断を抱かせるような報道が溢れた状態で開かれる裁判が公正なものとは個人的には言い難いと考えます。

まあ、裁判所はこんなことを言っていますけどね。

○ 証拠だけに基づいた判断が裁判員にできるのでしょうか(マスコミの報道により予断を持ってしまうおそれはないでしょうか。)。

裁判員制度の対象となる重大事件は,テレビのニュースや新聞といったマスコミに取り上げられることが多いと思います。そのような報道により,事件についての感想などを抱くことがあるかもしれません。
しかし,裁判員は,そのような情報によって判断するのではなく,法廷で見たり聞いたりした証拠のみによって判断していただく必要があります。また,被告人の有罪無罪の判断や有罪の場合にどのような刑にするかという判断は,他の裁判員や裁判官と一緒に証拠に基づいて議論をする中で決めていくことになりますので,そのような議論を通じて,その事件について抱いていた先入観も解消されると思います。
もちろん,裁判長や他の裁判官も,この議論の中で,証拠以外の情報に基づく意見があった場合には,それが証拠に基づくものではないことを指摘するなどして,裁判員が証拠に基づいて判断できるように努めることになります。

http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c4_12.html

ただ「証拠のみによって判断していただく必要があります」とか「議論を通じて,その事件について抱いていた先入観も解消されると思います」とか「指摘するなどして,裁判員が証拠に基づいて判断できるように努める」とか、ものすごく曖昧ですし、そもそも公判以前に警察・検察リークに基づく報道が抑制されていればいい話ですからね。

言うまでも無いですけど、警察や検察がマスコミに情報をリークするのは情報公開とかの精神に則っているわけではなく裁判で出来る限り重い量刑で有罪にしたいからです。
ですから、容疑者に有利な情報があったとしても、それがマスコミにリークされることはなく、逆に容疑者に不利な情報は真偽曖昧なままでもリークという警察・検察側が責任を負わない形にして出してきます。

まあ、“子どもを虐待して殺したとんでもない奴は吊るせ”みたいな状況で、こんなことを訴えても無駄なんでしょうけど。