ヘイトかどうかの判定基準、あるいは産経新聞は表現の自由を憎悪している件

例の右翼紙・産経新聞がこんな社説を出しておってですね。
【主張】愛知の企画展中止 ヘイトは「表現の自由」か(2019.8.7 05:00|コラム|主張)

以下のように国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の展示物を指して、ヘイトとレッテルを貼っています。

(略)企画展の在り方には大きな問題があった。「日本国の象徴であり日本国民の統合」である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった。
 バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示した。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画の題は「焼かれるべき絵」で、作品解説には「戦争責任を天皇という特定の人物だけでなく、日本人一般に広げる意味合いが生まれる」とあった。
 「慰安婦像」として知られる少女像も展示され、作品説明の英文に「Sexual Slavery」(性奴隷制)とあった。史実をねじ曲げた表現である。
(略)
 これはおかしい。憲法第12条は国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を濫用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記している。今回の展示のようなヘイト行為が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。大村氏は開催を反省し、謝罪すべきだろう。県や名古屋市文化庁の公金支出は論外である

https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

「バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像」「昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画」「「慰安婦像」として知られる少女像」の展示を産経は「ヘイト行為」とみなしているようです。

法的な要件

一応ヘイトスピーチ解消法という法律の定義を見るとこうなっています。

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律

(定義)
第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000068

法律上の定義は「本邦外出身者に対する」という限定のため、その時点で「天皇や日本人へのヘイト行為」は法律上のヘイトにはあたらないのですが、それを除いても「差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知又は(略)著しく侮蔑するなど、(略)地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」にあたるかどうか、ですが。
「バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像」「昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画」は、「著しく侮蔑」にはあたる可能性はあるかも知れませんが、「差別的意識を助長し又は誘発する目的」とは言えないでしょうし、「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」とも言えませんから、その意味でも法律上の「ヘイト」にはあたらないでしょうね。
「「慰安婦像」として知られる少女像」にいたっては、「公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知又は(略)著しく侮蔑する」にも該当しませんね。

個人的な判定基準

あくまで個人の意見ですが、ある主張がヘイトか否かを判定する基準を、以下の2点を共に満たしているかどうかで考えています。

・主張の中のメッセージに攻撃性がある
・攻撃性のあるメッセージを向けられた対象がその社会において相対的な弱者又はその社会に属さない者である

攻撃性とは、誹謗中傷、攻撃又は誹謗中傷の煽動、攻撃対象とそれ以外の社会的分断の煽動 と考えています。また、相対的弱者とは人数、経済力などを総合した政治的影響力がメッセージの主な受け手である集団内において相対的に弱い集団を指します。その社会に属さない者とは、メッセージの主な受け手である集団に属さない集団を指します。

この視点でみた場合、「「慰安婦像」として知られる少女像」にはそこに含まれるメッセージにそもそも攻撃性がなく、ヘイトになりようがありません。
しかし、「バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像」「昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画」は、天皇・皇族やその信者に対する攻撃性があると言えるでしょう。しかしながら、展示されたのは日本国内であり、天皇・皇族やその信者はどう見ても相対的弱者という条件を満たしません。したがって、これもまたヘイトとは言えないでしょう。

もし仮に、「バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像」「昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画」が日本以外の、日本人・日系人がマイノリティとして居住している社会で展示された場合は、ヘイトになりうる可能性はあります。この場合は展示の仕方が重要で、アジア太平洋戦争の責任者としての昭和天皇と現在の日本人や居住している日系マイノリティとは違うということを明確にした上で、過去の戦争に対する批判として行われた場合はヘイトとは言えないでしょうが、今の日本人もアジア太平洋戦争の時と変わらないものとみなした上で「バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像」「昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画」の展示がなされたのなら、ヘイトとなります。

つまり同じ作品であっても展示される状況によって評価が変わり得るわけです。

ちなみにメッセージの内容に正当性があるかどうかは関係ないと思っています。
例えば、相対的弱者が攻撃的で過激な主張で抗議している場合、たとえその主張に正当性が無くても、ヘイトにはならないという理解です。クレームではあるでしょうが。
逆に、相対的強者による相対的弱者に対する正当な主張であっても、メッセージに攻撃性があれば、それはヘイトです。相対的強者は正当な主張であれば、穏当に表現することができるのですから。


産経社説(2019/8/7)の問題点

さて、改めて産経社説を見てみます。

【主張】愛知の企画展中止 ヘイトは「表現の自由」か

2019.8.7 05:00|コラム|主張

 芸術であると言い張れば「表現の自由」の名の下にヘイト(憎悪)行為が許されるのか。
 そうではあるまい。
 だから多くの人が強い違和感や疑問を抱き、批判したのではないか。憲法は「表現の自由」をうたうとともに、その濫用(らんよう)をいさめている。
 愛知県などが支援する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕から3日で中止された。直接の理由は展示内容に対する脅迫だとされる。
 暴力や脅迫が決して許されないのは当然である。
 一方で、企画展の在り方には大きな問題があった。「日本国の象徴であり日本国民の統合」である天皇や日本人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった。

https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

のっけから産経は、今回の展示物を「ヘイト」だと決め付けていますが、その根拠は何も示されていません。上述しましたが、今回の展示物がヘイトスピーチ解消法などの法律上の要件を満たすことは条文上ありえません。
今回の展示物を「ヘイト」とみなすのは産経の個人的見解としか言いようがありませんが、「ヘイト」とみなす具体的な定義は一切示されていません。単純に不快な表現ということであるなら、産経新聞が散々やらかしてきた、民主党自民党に批判的な野党に対する記事は「ヘイト」に溢れた記事で「表現の自由」に含むべきではないということになるでしょうね。あるいは韓国・北朝鮮・中国などに関する産経記事など、産経的「ヘイト」に該当しないものを探す方が難しいでしょう。

 バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示した。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画の題は「焼かれるべき絵」で、作品解説には「戦争責任を天皇という特定の人物だけでなく、日本人一般に広げる意味合いが生まれる」とあった。
 「慰安婦像」として知られる少女像も展示され、作品説明の英文に「Sexual Slavery」(性奴隷制)とあった。史実をねじ曲げた表現である。

https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

意に反する売春を強いられることや未成年に売春させることをSexual Slavery と呼ぶのは国際的には常識の範疇で、産経や安倍日本の主張の方がおかしいんですけどね。

 同芸術祭実行委員会の会長代行を務める河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として像の展示中止を求めた。
 これに対して実行委会長の大村秀章愛知県知事は、河村氏の要請を「表現の自由を保障した憲法第21条に違反する疑いが極めて濃厚」と非難した。
 これはおかしい。憲法第12条は国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を濫用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記している。今回の展示のようなヘイト行為が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。大村氏は開催を反省し、謝罪すべきだろう。県や名古屋市文化庁の公金支出は論外である。

https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

産経は憲法12条を根拠に検閲を正当化するようです。しかし、憲法12条に関する通説はこうじゃないでしょうか。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

人権が生まれた国イギリスでも当初、人権はイギリス人の権利でしかありませんでした。フランス人権宣言ですら、そこでは男性しか想定されていません。つまり、人権は、歴史的に見れば人類の普遍的な価値ではありませんでした。人類が過去幾多の試練の中から勝ち取り、普遍的な価値であるべきだと主張し、拡大し続けてきたものなのです。ですから、私たちが権力などの強い力を持ったものに対して人権を主張し続けなければ、人権など消えて無くなってしまいます。私たちが日々の生活の中で主張し続け、実践し続けることによってやっと維持できるものなのです。
もちろん、他人に迷惑をかけたり、自分勝手が許されるわけではありませんから、公共の福祉のために一定の制限は受けます。この「公共」(public)とはpeopleと同じ語源を持つ言葉であり、人々を意味します。けっして天皇や国を意味する「公」や抽象的な国益のために人権制限が許されるわけではありません。
(2006年4月21日)

http://www.jicl.jp/old/itou/chikujyou.html#012

「けっして天皇や国を意味する「公」や抽象的な国益のために人権制限が許されるわけでは」なく、「他人に迷惑をかけたり、自分勝手が許されるわけではありません」という意味で考えると、今回の展示が、具体的な誰かに迷惑をかけたとかでもない限り制限される理由はありません。「日本国民の心を踏みにじる」などという「抽象的な国益のために人権制限が許されるわけではありません」ね。

ちなみに上記サイトでは憲法21条をこう説明しています。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

人はその内面に持つものを外に表現して他者に伝えることができたときに、一人の人間として幸せを感じることができます。また、一人ひとりが自分の意見を自由に他者に伝え政治に反映させることができてはじめて民主主義は成り立ちます。このように表現の自由は個人にとっても社会にとっても不可欠の重要な権利です。こうした言論活動は、その多様性が確保され自由活発に行なわれることでより進化します。
本条の核心は、既存の概念や権力のあり方に異論を述べる自由を保障するところにあるといってもよいでしょう。そこに国家が予め介入してコントロールすることは許されません(検閲の禁止)。公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていないのです。
なお、本条によって情報を受け取る側の知る権利も保障され、公権力に対する情報公開請求が民主主義の実現にとって重要な役割を果たします。情報を持つ者が持たない者を支配することがあってはならないのです。
(2006年6月30日)

http://www.jicl.jp/old/itou/chikujyou.html#021

「本条の核心は、既存の概念や権力のあり方に異論を述べる自由を保障するところにある」とありますが、今回の展示物が「日本国民の心を踏みにじ」ったのなら、それこそ「既存の概念」に「異論を述べ」たのであった、その自由こそ保障されるべきでしょう。

 芸術祭の津田大介芸術監督は表現の自由を議論する場としたかったと語ったが、世間を騒がせ、対立をあおる「炎上商法」のようにしかみえない。
 左右どちらの陣営であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。当然の常識を弁(わきま)えるべきである。

https://www.sankei.com/column/news/190807/clm1908070002-n1.html

最後まで「ヘイト」の定義を示すことなく、今回の展示物を「ヘイト」だと決め付けた上で「ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない」と産経は述べています。「暴力や脅迫が決して許されないのは当然」と言いつつ、今回のよう展示物に対しても「「表現の自由」に含まれず、許されない」と産経は言っていますが、それは要するに、公権力が表現を規制するように求めているということですよね。
なんとも産経的ですねぇ。