アメリカにおける離婚後共同親権とDV対応の進展

なんか、離婚後共同親権反対派が日本はDV対策が遅れているという理由で共同親権に反対しているようなんですが。
主張としては“共同親権には賛成だが、DV対策が不十分なままでの導入には反対”という慎重論の形式をとっていることが多いんですよね。

ただ、この手の主張は“南京事件は否定しないが、疑問点があることは事実”といった選択的懐疑主義に類するもので、こういう選択的懐疑論者を南京事件否定論者とみなすのと同様に、離婚後共同親権慎重派も離婚後共同親権反対派とみなすべきでしょう。

それはともかく。

アメリカでの離婚後共同親権ですが、これは1970年代に進展し1980年ごろに立法化されています。それまでは、現代日本と同様に単独親権制度をとっており、離婚後は母親の単独親権になることが多かったようです。

離婚後の子供の親権に関する米国の法律

Jan 22, 2010
ジェフ・アトキンソン
(抜粋)

共同親権

共同親権の概念が生まれたのは1970年代のことである(ほぼ同時期に、法律によって父親と母親を同等に扱うことが定められた)。共同親権には2つの要素がある。ひとつは、「法的共同親権」と呼ばれるもので、これは、子供に関する主要な決定をする権利を、両親にそれぞれ平等に与えるものである。主要な決定とは、子供の教育、医療、および宗教教育に関するものであるが、そのほかにも、子供の課外活動や、何歳からデートや車の運転を許可するか、などについての決定が含まれることもある。法的共同親権の下では、両親は協力して共通の決定を下すよう指示される。両親が合意できない場合には、裁判所がいずれかの親を選んで決定させることもある(ただし、宗教に関して両親の意見が合わない場合は、両親共に、子供に悪影響を与えない範囲で、それぞれの宗教に子供を触れさせる権利を有する)。

共同親権のもうひとつの要素は「物理的共同親権」である。これは、子供がそれぞれの両親とどれだけ時間を過ごすかに関するものである。物理的共同親権の下では、子供はそれぞれの両親とかなりの時間を一緒に過ごす。同じだけの時間を一緒に過ごしてもよいが、同じでなくてもよい。両親のそれぞれと同じ長さの時間を過ごす例として、1週間ごとに交互にどちらかの親と過ごす方法がある。また、2日間片方の親と過ごしてから2日間もう一方の親と過ごし、続いて5日間片方の親と過ごしてから5日間もう一方の親と過ごし、この周期を繰り返す、という方法もある。同じ長さの時間を過ごすというやり方が機能するためには、通常、両親がお互いに近くに住んでいなければならない。また、両親が相互に協力的であることも極めて有用である。

すべての州が、共同親権を子供の養育の選択肢として規定している。共同親権を法的推定としている州もある。それらの州では、当事者同士が他の方法を選ぶことで合意した場合や、共同親権が子供の最善の利益にならないとの証拠がある場合を除き、裁判所は共同親権を命令することになっている。

https://amview.japan.usembassy.gov/children-and-divorce/

では、アメリカでのDV対策はどうかというと、これも1970年代まで公式の支援の場は無かったようです。

DVへの社会の対応の変化

女性に対する過去の不平等な扱いやジェンダーの社会化(男女の社会的役割分担の習得)がDVの根本的な原因のひとつになっていると考える人は多い(注2)。1970年代になるまで、性的暴行を受けたりDVに苦しむ女性が助けや支援を求める公式の場はなかった。DV被害者のためのシェルターや支援サービスは存在せず、刑事あるいは民事裁判所、警察、病院、社会福祉機関もDVにはほとんど対応しなかった。社会や公的機関はDVを「私的な問題」とみなした。この問題に対する意識や認識が高まるにつれ、女性グループが被害者の安全確保の必要性と、DVの一因となる制度上の問題や社会の考え方への取り組みに焦点を当てた権利擁護運動を組織するようになった。ボランティアが自宅をDV被害者用の避難所をとし、危機対応のサービスを提供した。また集会を開き、女性への暴力を政治問題ととらえるようになった。一般に「暴力を振るわれた女性たちの運動(Battered Women’s Movement)」と呼ばれるこの草の根運動は、女性への不当な行為に対抗する取り組みを、今では全米に存在するDV関連の地域密着型の権利擁護プログラムの基盤となる社会運動へと大きく変えた(注3)。

https://amview.japan.usembassy.gov/diversity-visas/

DVに関する連邦法ができるのは1984年で、「DVに対する一般の意識の向上を目指す州政府の取り組みを支援」する1984家庭内暴力防止・サービス法が連邦議会で成立したのが最初です。
より積極的に取り組む法律ができたのはその10年後の1994年で、女性に対する暴力防止法(VAWA)が成立しています。


州法レベルでどちらが先かというのは明確にはいえませんが、少なくともアメリカでの離婚後共同親権制度はDV対策と並行して進展したと言っていいでしょう。


日本には既にDV防止法が存在しているわけで、アメリカの導入事例を踏まえても離婚後共同親権を採用する上でDV対策が不十分すぎるとはいえないように思います。