英領インドのインド人将校について若干のこと

こんなドヤ顔のツイートを見かけたので。
[https://twitter.com/justprejudice/status/1173399710318485505

まず、洪思翊中将ですが、中将進級は1944年10月で比島俘虜収容所長としてフィリピンにいました。俘虜収容所ですから第一線とは程遠い任務です。戦歴としては1941年頃に歩兵第108旅団長として華北八路軍と戦ったくらいでしょうか。
元々は大韓帝国の陸軍武官学校の在籍しており、1907年に日本の圧力で大韓帝国軍が解体され、1909年に武官学校も廃止となったため日本の幼年学校に留学という形で転籍し、そこから陸軍士官学校に進学したため*1朝鮮半島出身者として唯一、中将まで進級できたという経緯があります。金錫源もほぼ同じ経緯ですね。
なお1911年時点での幼年学校在籍の朝鮮学生は本科15名、予科23名*2、同時期に陸士入学した陸士卒は約700名いましたから、全体のごく一部に過ぎません。

さて、ツイートはそのような内容を挙げて、「インド人の英陸軍将官」や「アルジェリア人の仏陸軍将官」がいたかと問う形で、日本の植民地政策を正当化あるいは相対化しようとする意図と思われます。

しかし、そもそもインドの場合はイギリスの植民地下にあっても軍隊を保有しており、その点で既に植民地朝鮮とは異なります。
そういうわけで、英領インド軍に所属するインド人将校について見てみましょう。

カリアッパ(K. M. Cariappa)は、インド独立後に元帥となる最初のインド軍最高司令官です。カリアッパは1938年にインド陸軍少佐となっています*3。1944年11月には准将に昇進し、1947年8月15日のインド独立(英連邦下のインド連邦として)の後、少将、次いで1947年11月に中将昇進。1949年1月にインド軍司令官となり、初のインド人司令官です(それまではイギリス人が司令官)。インドはその後1950年に共和制に移行し、インド共和国となります。
この他、1946年から1947年にかけて日本占領の任を負った第268インド歩兵旅団を率いたシュリナゲシュ(S. M. Shrinagesh)やドイツ軍とたたかった第3インド旅団を率いたラジェンドラシンジ(Rajendrasinhji Jadeja)(1946年に准将に、1947年に少将に、1948年に中将)なども英領インド軍のインド人将官ですね。

もちろん、こういったインド人将官がいたからと言って英領インドでインド人が差別されなかったわけではなく、カリアッパも准将に昇進しながら旅団指揮権を与えられないなどの冷遇を受けています。

フランスのことは私はよくわかりませんので、とりあえず英領インドの例のみ挙げておきます。




*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C02031421000、永存書類乙輯第3類 明治44年(防衛省防衛研究所)」

*2:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C02031421000、永存書類乙輯第3類 明治44年(防衛省防衛研究所)」

*3:https://www.thegazette.co.uk/London/issue/34541/page/5189 他にも進級したインド人(パキスタン人)少佐の名前がいくつかあります。