なぜ国際機関が国境封鎖に消極的なのかという話

なんか“WHOは中国の言いなり”的な論調があちこちで見受けられますので、初歩的な話を一つ。

小松志朗准教授の「世界政府の感染症対策 ―人の移動をめぐる国境のジレンマ―」から。

 このようにWHOと安保理という2つの主要な国際機構は、どちらも国境を閉ざすことに否定的である。それはつまり、グローバルな観点からは感染症対策において国境を閉ざすのは望ましくないということである。なぜそうなのかといえば、少なくとも3つの理由がある。第一に、国境を閉ざすことは感染症対策としてそれほど有効ではない。例えば、国境を閉ざす具体的な措置として比較的に穏健なタイプである検疫にしても、押谷が述べるように、日本にはSARSが入ってこなかったことや新型インフルエンザの被害が大きくなかったことから、ある種の「安全神話」が生まれているように思われるが、「航空網の発達した現代では、多くの感染症は、潜伏期間の間に日本に入国する可能性があり、空港でのサーモスキャナーによる発熱のスクリーニングなどだけでは、感染症流入を完全に防げないことは明らかである。/現在の日本と世界の間の人や物の移動を考えると、エボラウイルス病のようなより致死性の高い感染症の国内への流入が起きることも十分に考えられる」。これは日本の文脈で論じられたものだが、一般的にもいえることだろう。また、検疫よりも厳しい措置として渡航制限や国境封鎖を行う場合でも、それをかいくぐろうと不法入国をしたり、迂回ルートをたどったりする人間が増えてしまい、結果として監視の目が届かない移動が増えかねない。
 第二に、感染国以外の国々が国境を越える人の移動を制限すると、感染国が世界の中で孤立してしまい、医療従事者やNGOなど支援活動を行う人間が感染の現場に行けなくなり、結果として事態が悪化して感染拡大のリスクが高まる。エボラ出血熱の事例では、世界中でいくつもの航空会社が感染国発着便の運航を停止したが、これに対して国境なき医師団のメンバーは次のように批判している。「航空会社は多くの便を停止したが、そのせいで援助活動が遅くなったり妨げられたりといった意図せぬ結果が生じており、逆説的にもこの感染症の流行が西アフリカの諸国の間で広がり、次いで他の地域へも広がるリスクは高まっている。われわれはエボラ〔の流行〕を源で止めなければならず、そのためにはそこに行かなければならない」。WHOのチャン事務局長も、感染国が孤立しているせいで支援スタッフの派遣が難しくなっている現状を指摘し、「孤立化は事態の解決法ではない」と述べている。後にエボラ検証パネルも、各国の過剰な渡航制限のせいで「その結果、感染国は政治的・経済的・社会的に深刻な影響を被ったばかりか、必要な人員・物資も届かなくなった」と指摘している。この問題で分かりやすいのは、感染国への渡航を禁ずるケースである。しかし実はそれだけでなく、逆に感染国からの渡航を禁ずることも、支援の停滞につながる。なぜなら、感染国を支援するために現場に行こうと考える人がいても、後で帰国が難しいとなれば、そもそも行くことをためらうからである。
 第三に、渡航制限はグローバル経済に大きな悪影響を及ぼす。先述のように、グローバリゼーションの時代において国境を閉ざすことは、経済を停滞させる危険性がある。だからこそIHR2005の目的を規定した条項には、貿易を不必要に妨げることは回避すべきであると書かれていたのである。

http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/book/supranational/a2komatsu.pdf

これに続いて「個々の国家は国境を閉ざすのに対して、諸国家から構成される安保理は国境を開くよう求める。言い換えれば、国家はグローバルな観点からすれば国境を閉ざすことの弊害を分かってはいても、やはり自国のことを考えれば国境を閉ざしたくなる。国境を越える人の移動の管理のあり方については、国家レベルとグローバル・レベルの間で折り合いがついていないとも言い表せよう。」と指摘しています。

中国やWHOに対する冷静とは言い難い批判の渦巻く現状もまさに「国家はグローバルな観点からすれば国境を閉ざすことの弊害を分かってはいても、やはり自国のことを考えれば国境を閉ざしたくなる」という傾向を示していますね。

で、前記事で示したとおり、INTERNATIONAL HEALTH REGULATIONS(国際保健規則)の第2条でこう記載されています。

第二条 目的及び範囲

 本規則の目的及び範囲は、国際交通及び取引に対する不要な阻害を回避し、 公衆衛生リスクに応じて、それに限定した方法で、疾病の国際的拡大を防止し、防護し、管理し、及びそのための公衆衛生対策を提供することである。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/dl/kokusaihoken_honpen.pdf

第2条の他にも第43条1項にこう記載されています。

第四十三条 保健上の追加措置

1. 本規則は、参加国が、自国の関連国内法及び国際法上の義務に従って、特定の公衆衛生リスク又は国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態に対応して、次のような保健上の措置を実施するのを妨げるものではない。
(a) WHO の勧告と同じかそれ以上の保健水準を達成するもの。又は、
(b) 第二十五条、第二十六条、第二十八条第一項並びに第二項、第三十条、第三十一条第一項(c)号及び第三十三条により別段禁止されているもの。
但し、かかる措置は、本規則に合致することを条件とする。
また、かかる保健上の措置は、適当な保健水準を満たすと思われる合理的に利用可能な代替措置よりも国際交通を制限せず且つ人に対して侵襲的又は立ち入ったものであってはならない。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/dl/kokusaihoken_honpen.pdf

他に合理的な手段があるのに国際交通を制限するな、という規定です。
で、第43条3項でこのように求めています。

3. 本条第一項に言及する保健上の追加措置で国際交通を大幅に阻害するものを実施しようとする参加国は、その公衆衛生上の根拠と関連する科学的情報を WHO に提供しなければならない。WHO は、その情報を他の参加諸国と共有し、さらに実施される保健上の措置に関する情報も共有しなければならない。本条の適用上、大幅な阻害とは、国境を越える旅行者、手荷物、貨物、コンテナ、輸送機関、物品等の入出国の拒絶、又はその二十四時間以上の遅延を一般的に意味する。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/dl/kokusaihoken_honpen.pdf

国際交通を阻害するのなら、その根拠をWHOに報告しろという要求です。

ちなみにこの国際保健規則ですが、世界保健機関憲章第22条に基づき全てのWHO加盟国を拘束する国際法です。

まあ、国際法を尊重する気なんてさらさら無いってんなら、無責任に国境封鎖でも煽ってればいいと思います。