池田信夫氏の偏向(今さらだが・・・)

この件。
日本共産党はなぜ「暴力革命」の方針をとったのか(2020年02月14日 06:10 池田 信夫)

相変わらず、池田信夫氏が変なことを言っています。

当時、共産党が「所感派」と「国際派」と呼ばれる分派に分裂したことは事実だが、書記長は1953年まで(所感派の)徳田球一であり、彼と野坂参三が起草して1951年10月に開かれた5全協(第5回全国協議会)で採択された「51年綱領」は、明らかに党の正規の方針である。
そこには「日本の解放と民主的変革を、平和な手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」 と明記され、軍事方針では「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」と書かれていた。この方針にもとづいて山村工作隊や中核自衛隊などによる武装闘争が行なわれ、白鳥事件三鷹事件など、共産党の破壊工作とみられる事件が相次いだ。

http://agora-web.jp/archives/2044296.html

これ色々おかしいんですけど、例えば、「51年綱領」を「党の正規の方針」だといっていますが、採択したのは党大会でも中央委員会でもないので手続上「正規の方針」とは言い難いんじゃないですかね。そもそも池田氏自身、当時共産党が分裂していた事実を認めている以上、「党の正規の方針」として採択できたと考えるのも無理があるでしょう。

もう一つ、明らかに間違っているのは、「白鳥事件三鷹事件など、共産党の破壊工作とみられる事件」が「51年綱領」の後に起こっているという池田氏の認識です。

白鳥事件は1952年1月で、「51年綱領」後の事件ですが、三鷹事件は1949年7月で「51年綱領」より前に起きた事件です。当然ながら三鷹事件が「51年綱領」の影響を受けているはずがありません。
おそらく、三鷹事件と同様の列車暴走事件である青梅事件(1952年2月)と池田氏は混同しているのでしょうが、この青梅事件というのは、警察が共産党員を犯人として逮捕した後、拷問によって自白させ、裁判で拷問の事実が明らかになり、最終的に無罪判決が下った事件です。したがって、青梅事件と混同したとしても、これを2020年の現在においてなお「共産党の破壊工作とみられる事件」とするのは不適切です。

ちなみに1952年には確かに共産党系によると見られる事件が多数起きていますが、一方の日本警察も警察官を工作員として共産党系団体に送り込み、その覆面警察官が爆弾テロを煽動して交番に爆弾を仕掛けて爆発させ、その罪を共産党員に擦り付けて逮捕するというでっち上げ事件(菅生事件)を起こしています。他にも警察による自作自演と見られる事件はいくつかあり、「51年綱領」以前から、日本政府と占領軍当局が共産党を弾圧する方針に転じていたことを考慮すれば、共産党だけを非難するのは偏っているという他ありません。