新潮が「中国研究の第一人者」*1と絶賛している遠藤誉氏ですが、その近著「毛沢東 日本軍と共謀した男」を立ち読みしたところ読む価値なしと判断して購入しませんでした*2。
理由の一つは、張作霖爆殺事件について日本軍の仕業と断定せず「コミンテルンの陰謀説も根強い」と記載していた点です。
まともに資料にあたっていれば、コミンテルン陰謀説など考慮するに値しない都市伝説であることがわかりますから、日本軍の仕業と断定しない時点で遠藤氏が「中国研究の第一人者」などでないことは明白です。
もう一つは、西安事件の直前の中共が国府によって殲滅される寸前だったという誤認です。まるで西安事件が無ければ中共は程なく滅びていたかのように遠藤氏は述べていますが、これは、“中共は陰謀だけで政権をとった”というストーリーに持っていくための誇張でしかありません。
実際には、西安事件直前には対中共最前線の第17路軍や東北軍の間では厭戦気分が広がっており、中共とは事実上の停戦状態にありました。蒋介石が西安に赴いたのはその督戦のためです。特に張学良の東北軍は、この時既に故郷の中国東北部を日本軍に占領されており、中共よりも日本軍を敵とみなす傾向が強かったと言えます。
他にも遠藤氏の事実認識はおかしな点が散見されます。
なぜ、潘漢年が国民党の軍事情報を詳細に持っていたかというと、それは1936年12月に中共側が起こした西安事変により、第二次国共合作(国民党と共産党が協力して日本軍と戦う)が行われていたからだ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20151116-00051441/
遠藤説では、西安事件は「中共側が起こした」ことになっていますが、一般的には中共とは独立して張学良が起こした兵諫とされており「中共側が起こした」などという表現は当たりません。
中華人民共和国が誕生して“まもなく”投獄?
遠藤氏はこう述べています。
◆口封じのためにすべて投獄
http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20151116-00051441/
中華人民共和国が誕生してまもなく、毛沢東は自らの「個人的な」意思決定により、饒漱石をはじめ、潘漢年や揚帆あるいは袁殊など、毛沢東の密令を受けてスパイ活動をした者1000人ほどを、一斉に逮捕し投獄する。実働した者たちは毛沢東の「日本軍との共謀」という策略をあまりに知り過ぎていたからだ。
饒漱石、潘漢年、揚帆、袁殊らが逮捕されたのは1955年で、日本敗戦から10年、中華人民共和国建国からでも6年経っています。これを「まもなく」とだけ表現し、具体的な逮捕年についての記述を避けるのはあまりにも恣意的です。実際には1953年に高崗、饒漱石らが劉少奇、周恩来らと対立して生じた政治闘争が原因で、高崗、饒漱石らの失脚と関連して潘漢年、揚帆、袁殊らは逮捕されています。
ちなみに潘漢年は建国後、陳毅の下で上海における反革命運動弾圧に関与していますが、「毛沢東の「日本軍との共謀」という策略をあまりに知り過ぎていた」から投獄されたという遠藤説は信憑性に欠けるといわざるを得ません。
さらに言えば、袁殊が国民党のスパイ組織である軍統(国民政府軍事委員会調査統計局:軍統局)にも所属していた点についても遠藤記事では触れていません(書籍には書いてあるのかもしれませんが)。
そもそも、1945年春の時点で国府は潘漢年が汪精衛と会っていたことを誇張して、中共が日本と通じているかのような反共プロパガンダに利用しています。日本敗戦直前で中共は勢力を拡大していたとは言え、国府に比べて劣勢な状況で、当時、連合政府構想を掲げていた中共の状況を考えれば、「毛沢東の「日本軍との共謀」という策略をあまりに知り過ぎていたから」という理由で1955年に投獄するなどというのはナンセンスにも程があります。もし潘漢年が毛沢東にとって都合の悪い存在なら、1945年時点で始末したでしょう。少なくとも国共内戦に勝利してから5年も経った後に投獄する理由としては、あまりにも不自然です。
遠藤説は、反共ストーリーに都合のいいように個々のエピソードを切り貼りしているだけ
遠藤氏は最初から中共誹謗目的での「毛沢東は日本軍と共謀していた」という結論を決めており、それにあわせて都合のいい資料を切り貼りしているに過ぎません。それも時系列に不自然な場合は、時期を曖昧にして誤魔化すという悪質さまで現れています。
そもそも日中戦争においては、日本、国府、中共による三つ巴の情報戦が展開されていたことは自明のことです。スパイが一方的に相手から情報を収集することなど基本的に不可能であり、重要な敵情報を得るために重要でない自軍情報を提供して敵の信頼を得るなど日常茶飯事です。その結果、スパイは戦後の権力闘争で対敵協力者のレッテルを張られることも珍しくありませんし、実際に敵に通じていたこともあるわけです。英国、ソ連、米国などでこういった事例はいくらでも見られます。それらの基本的な点さえ押さえていれば、それと反共イデオロギーで目が曇っていなければ、遠藤説がいかに低レベルであるか容易に理解できるでしょう。
実際、潘漢年が敵と通じていたのではないか、という疑惑は、中共内の政治闘争と絡んで現われたり、国府による中共中傷のために利用されたりしていますが、具体的な根拠を伴うものではなく、対立陣営を貶めるための印象操作の具にされたといった類のものに過ぎません。
日本敗戦後の国共内戦に巻き込まれた遠藤氏の境遇には同情しますが、それはデマを流してよいとする免罪符ではありません。