アパホテルが「「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々」と称して公表している内容について反論しておく

アパホテルにヘイトまみれの南京事件否定本が常置されていることが海外にばれた件。
指摘を受けたアパホテルは公式サイトに、「「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々」なる文章をアップしていましたので一応反論しておきます。

長くなりますので、アパホテルが「「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々」として挙げている8項目について最初に一言で反論し、詳細はその後に記します。

# アパホテルの主張 事実
1 犠牲者の名簿がない 誤り。名簿は存在してるし、そもそも名簿の有無と虐殺の有無がリンクするわけでもない。
2 南京は人口20万人だから30万人も虐殺できない 論拠不十分。南京の人口が20万人だったという証拠がないし、虐殺数は軍人含めた数値なので民間人の人口だけで否定できるわけでもない。
3 蒋介石南京事件に言及していない 誤り。蒋介石は日記にも書いてるし、国民政府としては国際連盟でも言及している。
4 証拠写真がない 誤り。写真を証拠として事件を主張する人がそもそもいないが、写真の真正性が否定されたわけでもない。
5 朝日新聞が当時「『甦る平和都市南京』と題する写真特集を掲載」したから虐殺はなかった 証拠にならない。単なる戦時プロパガンダで事件を否定する証拠にならない
6 何應欽上将の軍事報告の中に南京事件の記載がない 論拠不十分。軍事報告なる文書に失陥後の虐殺事件が記載されるとは限らないし、そもそも否定論者で直接何應欽の軍事報告を確認した人はおらず、これ自体信憑性が疑わしい
7 日本の記者は東京裁判まで南京事件のこと知らなかった 誤り。事件当時から知っていた日本人記者もいた。
8 1938年7月7日の蒋介石の『国民に告ぐる書』でも南京大虐殺に言及されてない 誤り。「日本軍が占領したどの地区においても」虐殺があったと記載されている。

証拠としてあげている8項目中、明らかに事実と異なる誤りが5項目、証拠としてあげている内容が証明されておらず論拠として不十分なものが2項目、挙げている内容が証拠として成立しないものが1項目。
どれもこれも南京事件を「虚構である」とみなす証拠になってません。

指摘1:名簿の件

南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々

1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』は唯の一人分も無い。」(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。平成十九年十二月二十日付産経新聞)。この一点だけ捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な作り話であるかは既に立証された様なものである。(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば、「三十万人」という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。)

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

【事実と異なる】
犠牲者名簿ありますよ。


 清明節にあたる4月5日、南京大虐殺犠牲者の遺族、生存者、南京各界の代表が侵華日軍南京大虐殺殉難同胞記念館内の犠牲者名簿の壁前で祭礼活動を行い、1937年に中国侵略日本軍に虐殺された身内や犠牲者をしのんだ。

http://www.nj1937.org/jp/2014-08/27/c_133588932_5.htm

これだけでアパホテルが挙げる南京事件否定の証拠の1つ目は明確に間違いだとわかりますね。

あと朱学勤教授は“犠牲者名簿がないから南京事件は作り話だ”という主張をしたのではなく、“30万という概数では犠牲者個々人について追悼することが難しいから個々の犠牲者についての情報をちゃんと収集すべき”という趣旨で述べています。このアパホテルの主張を朱学勤教授が聞いて反論してきたらどうするつもりなんでしょうかね?
似たような主張をしているのが王錦思氏で、名前のわかっている犠牲者が3000人しかいないことを“政府の調査不足”として嘆いていますが、南京事件を否定しているわけでも犠牲者数30万人を否定しているわけでもありません(参照)。

朱学勤教授の件については、リテラが詳細に調べて記事にしています。
世界に知れ渡った「歴史修正主義ホテル」APAの正体(後編)「南京虐殺はなかった」アパホテル反論の“嘘と詐術”を検証する! そして、安倍首相とのただならぬ関係とは?(2017.01.19.)
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指摘2:人口20万人説

2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「三十万人」ということになっているが、日本軍が南京を制圧した昭和十二年十二月十三日当時、南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかったという記録があり、併せて、約一カ月後、昭和十三年一月十四日の時点では、人口が五万人以上増えて、約二十五万人〜三十万人になっていたという「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著『南京事件の総括』二十九頁)。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

1937年12月13日当時の南京市内の民間人人口の記録は存在しません。南京市内の一部である南京城のそのまた一部である国際安全区(難民区)(日本軍非公認)を運営していた外国人が見積もった難民の数として「20万人」という数字を挙げた文書は存在します(アパホテルのいう12月13日の記録ではなく、近いものでも12月17日)が、実際調査に基づくものではなく難民区運営のために見積もった概数に過ぎません。詳しくはこちらを参照。その他、ここも参考

アパホテルは1937年12月13日に20万人だった人口が1938年1月14日には25万人に増えたといっていますが、その増えた5万人がどこから来たのか説明されていません。
難民区を運営したジョン・ラーべはこのように言っています。

難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。

(※:ゆうさんの注釈)
Estimates of the total population of the Zone are now around 250,000. The increase of about 50,000 comes from the ruined parts of the city. People simply don't know where to stay. (”THE GOODMAN OF NANKING" P135)
「難民」などという単語はありません。
 「安全区の総人口の見積もりは現在約25万である。約5万の増加は市の廃墟となった部分から来ている。人々は、実際、どこにとどまるべきなのかわからない」

http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou2.html

ラーべ日記からは1937年12月13日当時難民区にいた20万人以外に、少なくとも5万人は南京市の廃墟となった部分にいたことになります。「南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかった」というアパホテルの主張は間違っています。

さらに言えば、南京事件犠牲者30万人というのは中国軍人も含みますので民間人の数を云々言ったところで、「30万人」という数字の否定は論理的に不可能です。

指摘3:蒋介石は言及しなかった?

百田尚樹氏と同じ論法です*1

3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無かったという。何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

【事実と異なる】
産経新聞が出版した蒋介石秘録に引用されている蒋介石の日記では、1938年1月22日時点で南京事件について言及されています。

蒋介石秘録12 日中全面戦争」P69-70
倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。
 それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。』(一九三八年一月二十二日の日記)

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120226/1330258512

蒋介石夫人である宋美齢からアメリカの友人に送られた1938年1月の手紙でも「現在日本軍はそれ以上のことをやっています。彼らは上海と南京の間で五体満足な男性すべてを一人ずつ、あるいは束にまとめて射殺しているのです。わずかに生き残った五体満足な男は、日本軍の使役を強制されています。南京において彼らは冷酷にも何千人も屠殺いたしました」と南京事件について言及されています。
1938年2月の国際連盟でも中国政府の声明として顧維鈞が欧米紙記事に拠って「南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は二万人と見積もられ、その一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました」と発言しています。
(※資料はいずれもゆうさんのサイトを参照のこと。)

そもそも「当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかった」というのは、どのような目的の記者会見かによります。
戦況報告や今後の作戦方針や展望について語る会見なら、失陥した都市をどう取り戻すかについては語るでしょうが、そこで失陥後に敵軍によって何が起こったかを語る必要はあまりありません。

指摘4:証拠写真がない

4-1

4.「南京大虐殺記念館」等に展示されている写真は、全て合成写真または、「通州事件」等、中国人が日本人を虐殺した写真を始めとする、全く別の写真であることが、東中野修道教授(亜細亜大学)によって証明されている。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

証明されてません。
単純ミスや取り違え程度はあるでしょうが*2、「合成写真」とかはないですね。
参考:南京事件143枚の写真の再検証(1)
参考:南京事件143枚の写真の再検証(2)

4-2

もしも、南京大虐殺なる事が真実であるならば、その証拠写真が一枚も無いはずがない(東中野修道小林進・福永慎次郎共著『南京事件証拠写真」を検証する』草思社)。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

通州事件」の証拠、と言える程度の写真は南京事件ではいくらでもありますね(上記4-1の参考サイト)。
まあ、そもそも写真が無かったとしても虐殺は無かったことにはなりませんが。

4-3

(所謂)「南京大虐殺なること」が有ったと問答無用で決めつけたのは、「極東国際軍事裁判」、(所謂)「東京裁判」の中である。それでは同裁判の内容は一体如何なるものであったのか?

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

東京裁判以前に南京事件があったことは知られています。例えば1945年3月23日にはマニラでの虐殺に言及する文脈で南京事件について「the rape of Nanking was a primeval instinct of the Japanese asserting itself.」*3と記載されています。
だいたい、日本軍自身が1938年には南京で大虐殺があったことを認識しています。1938年6月に第11軍司令官として中国に派遣された岡村寧次は次のような手記を残しています。

 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
 一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
 一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
 註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。
 一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。
 一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕らえられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであると云ったという。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#okamura

岡村は終戦時には支那派遣軍総司令官の地位にありました。
こう認識してながら、東京裁判で“初耳ですぅ”って態度を取るのはどうかと思いますよ。

4-4

 東京裁判を傍聴した冨士信夫氏は、『南京大虐殺はこうしてつくられた』(展転社)の中で、「南京大虐殺」なることが全くの虚構であることを裁判記録として記している。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

傍聴者の感想を「裁判記録」とは普通言いません。
冨士信夫氏がどのような根拠で「「南京大虐殺」なることが全くの虚構である」と判断したのか明示されない限り、冨士信夫という南京事件を信じていない一個人が存在するという話でしかありません。

指摘5:朝日新聞が当時「『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載」したから虐殺はなかった

5.朝日新聞は昭和十二年十二月二十日の朝刊半頁を費やして、『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載している。この風景こそ虐殺否定の何よりの証拠と言えよう(『南京大虐殺の総括』三十二頁)。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

宣戦布告もなしに隣国の首都に攻め込んだ侵略軍が自らが現地から歓迎されていることを宣伝するためのプロパガンダ朝日新聞も協力していたというだけの話ですね。
第二次世界大戦後にスターリン大歓迎の映画とかたくさん作られていますが、それをそのまま事実として信じ込むのは、「数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史」とはとてもいえませんね。

指摘6:何應欽上将の軍事報告の中に南京事件の記載がない

6.「南京に大虐殺が有ったと言う様な記録は、中国側の第一級公式資料である何應欽上将の軍事報告の中にさえ、その片鱗も見出せない。」(『南京事件の総括』八十二頁)。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

元谷外志雄本人はもちろん参考文献としている『南京事件の総括』でも、何應欽上将の軍事報告を調べた上で南京事件に関する記載が無かったことを確かめたわけではありませんね。
元ネタは南京事件に関係する松井日記を改竄*4したことで知られる田中正明の2001年の講演で、田中が1966年に蒋介石から「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。 私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない」と聞いた、という伝聞です。
蒋介石が本当にそのような話を田中にしたのかどうか、誰も確認できません。これを信用するなら「軍事報告」の現物を確認する必要がありますが、確認していないなら根拠にならない噂に過ぎません。
さらに言えば、失陥後の都市で敵軍による虐殺・暴行があったとして、それを軍事報告に書くのかという問題もあります。

指摘7:日本の記者は東京裁判南京事件のことを知って驚いた

7.「当時、朝日、東日、読売、日経、など全国紙の各支局を始め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣していた。これらのプレスマンが異口同音に言うことは、『東京裁判で、南京でのあの様な事件が有ったと聞いて驚いた。』」(同百十一頁)。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

【事実】
朝日の今井正剛記者、中村正吾特派員、足立和雄記者、守山義雄記者、報知新聞・二村次郎カメラマン等は南京での虐殺を見ています*5

指摘8:1938年7月7日の蒋介石の『国民に告ぐる書』でも南京大虐殺に言及されてない

指摘3とかぶりますが。

8.「中国国民党が、作り話を含めて、日本軍の不法行為を糾弾する為に、一九三八年七月七日、国民党の中央宣伝部が「印刷」した蒋介石の『国民に告ぐる書』のどこを探しても、そこには『南京大虐殺』の文字は見当たらない」(同二百九十六頁)。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

【事実】
「日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附け、(略)無辜の人民および負傷兵士に対しても大規模な屠殺が行はれた」と書かれています。
1938年7月当時、南京は日本軍により占領されていました。

日本国民に告ぐ
(昭和十三年七月七日 於漢口)
二 暴を以て徳に報ゆる日本軍閥
(略)
 また日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附けを行つた余勢で、わが方の遠くに避難出来なかつた無辜の人民および負傷兵士に対しても大規模な屠殺が行はれた。また数千人を広場に縛してこれに機銃掃射を加へ、あるひは数十人を一室に集めて油を注ぎ火炙りに処し、甚しきに至つては殺人の多少を以て競争し、互ひに冗談の種としてゐる。
(略)

http://www.geocities.jp/yu77799/shoukaiseki.html

その他

その他、多々ある。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

まあ、あるなら具体的に示してもらえれば反論しますよ。

アパホテルの公表文に対する指摘総評

アパホテルは以下のように自称しています。

理論 近現代史

数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史が、理論近現代史である

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325

ですが、そもそも主張している内容の根拠としているものが事実かどうかすらまともに調べているとは言えません。

犠牲者名簿が存在することは報道もされていますので調べればすぐにわかるはずです。
当時の南京市の人口が20万人だったと主張するなら、原資料に近いものを根拠として示すべきで田中正明南京事件の総括」を挙げても、「数々の事実を付き合わせ」とは言えません。他人の調査結果に乗っかる前にその調査結果は妥当かどうかを自らの責任で判断してほしいものです。
蒋介石の記者会見、何應欽の軍事報告についても、まず自分で記者会見記録や軍事報告を確認しましたか?してませんよね?いずれも又聞きばかりで信憑性に欠け、付き合わせる以前に、事実かどうかすらわかってません。
侵略軍が占領後にプロパガンダを行うことが「あり得ることかあり得ないことか考えて」みれば、「『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載」したことが虐殺事件の有無を判断する材料にならないことくらいわかるでしょうに。


*1:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130927/1380286100

*2:事務的なミスや勘違い等は通常の博物館でもよくやる話で、特段珍しくありませんし、多くの証拠が揃っている出来事で、ごく一部で取り違えがあったとしても根本的な事実性が揺らぐことはありません。

*3:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20150117/1421517619

*4:http://www.geocities.jp/yu77799/matui.html

*5:http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/asahi.html